徒然草をひもといて 5章㊱

 前号㉟で、久我家の貴人が、木造りの仏像を、下着姿のまま田圃の水で洗い清めていた、という逸話についての法師の見解を紹介した。けれども言葉が少し足らず、誤解された向きもあった。
 実はこのお話は、かつては由緒ある家柄の当主として内大臣をも勤められた方が、供もなく白昼の野で、異様な振舞をなされ”心得難く見るほどに”云々”その家の家来たちが急いで連れ戻した、と、ある人が語っていた、というむすびになっているのだが、これをもう少しわかりやすく云うと、実は心を病んでいる貴人、そしてそれを懸命に介護している従僕たち、それぞれの、ある日の風景の目撃者が、謹んで語ったことばを書き写したものである。
 話しは少し変わるが、久我家といえば、戦後まもなく久我家出自の久我美子という女優が多くの映画でヒロインを演じたことがあった。私もいろいろ見たことがあった。
 そして、この久我家は、村上天皇の皇子を祖とする10世紀以来の名家で、その後も1000年近く連綿と続いた家柄だった。戦前は侯爵家を名乗り、貴族院議員も務められていたらしい。
 それはともかく、兼好法師も、これを語りつつ”世の常におわしまし”心が病まれる前は、思慮深く品位ある”やんごとなき人”であられたのに、と惜しんでいる。


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