日記:2月3日 木曜日 節分薄曇


 ありふれた言い方だが、1日、2日はあっという間に過ぎ、今日は節分。昔、祖母がよく節季という言葉を口にしていたが、一年は旧暦では二十四節気に分けられている。古人の知恵は素晴らしく、これが太陽の周期を基準としていることに驚かされるが、それぞれ懐かしい美しい呼び名がつけられていて、そのなかの「立春」というのが今年は今日らしい。また、春分、夏至、秋分、冬至と、四季ごとに気候の変動を象徴する名辞がつけられている。

 それで思い出したが、かつて宮中では、毎年、「五節の舞」という催しをする習わしがあったといい、これも暦の節季に合わせた宮中の催しと簡単に考えていたが、調べてみたところ、暦とは全く別の日本古来の雅楽だと知った。宮中で、決められた儀式の日に、女性が演じる舞のことを指し、大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、大歌所の別当の指示のもと大歌所の人が歌う大歌に合わせて、舞われたという。そしてもともと天武天皇の時代、吉野に天女が現れて舞ったという伝説がもとで、聖武天皇の天平14年(742年)あたりに始まる歴史を持ち、10年後の752年、大仏開眼供養にも舞われたという大変な歴史を持つ舞踏とわかった。そしてもと「五節の田舞」と呼ばれ、天皇自ら舞ったこともある、という古い伝統を持つ儀式舞と知って驚いた。本来は米の豊穣を祝う儀式で、新嘗祭や大嘗祭で舞われたというから、昔から日本人は米に支えられて生きてきたのだ、としみじみ感じたことである。いまも大嘗祭で舞われるというが、舞姫はおそらく高貴の生まれであったろうと思われる。枕草子にも触れられている、というから、日本古来の伝統的儀式であったらしい。

 かつての旧友で京都生まれだったひとは、そのお母さんが、、公卿の娘だったので、この舞姫に選ばれ、宮中で舞ったことがあった、と聞いたことがある。いまはその人も世に亡く、控えめで気配りの行き届いた心ばえの暖かいひとで、お互い旧い町のよそ者同士で、唯一、話の通じるかけがえのない友だった。思い出すたびに懐かしく寂しい限りである。
 
 ところで、最近、日本では節分の日に、その年の方位を向いて、黙って、その年の祝いおせち(海苔巻き寿司一本丸ごと)を頂く風習が広がっていて、娘も必ず実行しているので、彼女の家に住むことになってからは、私もその習わしに加わっている。「以前は、普通こんな風習はなかったよねえ」と娘も不思議そうで「どこかのお寿司屋さんが、古い習わしを掘り出してひろめたのかもねえ」と笑いながら楽しんでいる。

 風はまだまだ冷たいが、東京ではコロナ感染者は2万人を超え、私も高齢者として三度目のワクチン接種を終えた。前回2回は「モデルナ」で、今回は「ファイザー」で、近くの行きつけの医院でやっていただいた。前回同様、今のところ、とくに何の症状も出ないでいる。早く収束してほしいけれども、なかなか手ごわいウィルスのようだ。

 世界中のどこかで不幸な出来事が絶えない。ロシヤは隣接する国ウクライナに野望を燃やし、夥しい軍勢を差し向けているし、アジヤでは、ミャンマーも不穏な情勢が続き、多くのなんの手の施しようもできない多くの人々が、子供も含めて犠牲になっている。北朝鮮は、意味不明のミサイル発射を繰り返し、中国は台湾や香港への野望を隠そうとしない。

 時々想うのは、ノアの箱舟である。旧約聖書(新改訳)の記述を(日本の新改訳で)書き写してみる。「主は地上に人の悪が増大し。その心に計ることがみな、いつも悪いことばかりに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。『わたしが、創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。』」(創世記6章5節~7節)
 この地上で、これまでも、そしてこれからも、実際に災害はいつ起こるとも知れず、怖ろしい話ではあるが、遠い昔の話として、箱舟で救われた善き人々や獣たちのその後はどうなったのか?それについては続いて次のように記されている。「『主は心の中でこう仰せられた。私は、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。』・・・」神様さえ諦められたのだ。
 古い古い時代の話で、なんとなく牧歌調でもあり、絵本はたくさん作られている。そしていつか私も自分なりの絵本として作れたらいいなあ、と思ったりしながら、なかなか果たせないでいる。もしこれが真実ならば、怖ろしい話ではあるが。

  


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