徒然草とともに 3章 27

 WBCの勝利で日本中が沸き返り、数日たった今も、マスコミなどに、その余韻が漂い、テレビで彼らの顔を見い日はない。
 いずれにしても”侍ジャパン”だれが名付けたのか知らないが、武道の心得の伝統は、わが徒然草のなかにさえ、読むことができる。
 92段の弓術の師が説く心得、術というよりは、道と名付けたほうがふさわしい教えもそれで、現に兼好法師も、後の方で、道を学する人、と呼びかけることで、武道にかぎらず、あらゆる修練の道へ話を発展させている。
 ともあれ、まず弓術の初心の人に対し、師は説く「諸矢(もろや)、つまり二つの矢をもつことなかれ」と、その訳は、後の矢をあてにして、はじめの矢をおろそかにする心がおきるからである、と。毎度、あとの矢はなく、この一矢で決まると思え、と。なるほど、そうかもしるない、と思うが、兼好は、「だれが師のまえで、一つの矢をおろそかにしようと思うであろうか?」と言い、一歩進んで、達人だけが見抜いている、初心者の深層心理を読み解くことで、話を展開させていく。つまり、道を学ぼうとするならば、ひとの心の底につねにひそんでいる懈怠の心こそ、深く戒めなければならない、ということなのである。
“夕べには朝(あした)あらんことを思い、あしたには夕べあらんことを思いて”いつか改めてねんごろに修行しようと心づもりしついる、その一刹那のうちに、懈怠の心が潜んでいることに気がつかない。
 思いたった只今の一念でただちに実行することは、それほどむづかしいことなのだろうか?
どうもそうらしい、と兼好師は見ているようだ、彼は瞬間、とか、刹那、がいかに大切か、ということを、しりぬいて、しばしば触れている。

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