徒然草とともに 2章 ㉜

 39段の法然上人の項で、お弟子の親鸞が説いた歎異抄へとへと話が進展し、足踏み状態になった。けれどもそれについては、さらに深く豊かな課題があって、今ここで論じることではないと思うので、ともあれ徒然草を読みあじわう道にもどることにする。

 40段の不思議噺はさておき、41段の賀茂の競べ馬の項に移ろう。これは5月5日上賀茂神社の境内で、今も行われ続けている行事。始まりが1093年で堀河天皇の御代から連綿と現代まで続いている、というから、さすが京都と驚く。

 兼好法師、この5月5日の競べ馬の日に、見に出かけたときの話である。大勢の見物客にさえぎられてし進むこともできず、なにも見えないのでどうしようかと思っていたところ、ふと見上げると、広場の向かいがわにある賀茂名物の樗(あうち】の木(栴檀の一種ともいわれ若葉が美しく初夏には薄紫の小花をつける)に、ひとりの法師が登って見物しているのをみた。

 そして、その法師、枝につかまりながら居眠りをし、落ちそうになるとつかまり直す、といったことを繰り返していて、見物人たちに「世の愚かものよ。こんな危うい枝の上で、安心して眠ったりするやなんて」と、嘲られている。
  
兼好師はふと心に浮かんだままに「私たちの生き死にも、いつ到来するやら、もしかしてたった今かもしれないものを、忘れはてて物見に日を過ごす、愚かさからいえばこっちの方がまさっているのでは?」と云うたところ、前で見ていた人たちが「まことにそうでありますな。われらこそもっとも愚か者でありましたな」とうしろを見返って「どうかここにお入りなされ」と席をあけて呼び入れた、という話

 兼好は、これを忘れず、このような理屈は別にどうということもないのに、折からの雰囲気なのか、ひとは木石ではないから、ときによってこうして、ふと物に感じることがあるものだ、という感懐を抱き、競べ馬の行事の思い出のひとつとして書き記しておいたらしい。


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