日記:9月18日;台風到来

 台風14号が日本各地に上陸し、和歌山県に上陸、日本全体、広範囲に大雨を降らせている。今朝早く、登校する孫を、いつもとちがい埼玉の志木市まで車で送った娘が、九時過ぎ、学校の周りでも、バケツをひっくり返したような大雨だった、と云いながら戻ってきた。窓を開けると、東京の空全体に雲が低く垂れこめているという感じで、雨も降ったりやんだりしていた。

 昼前、私の部屋の前のベランダの窓を開けると、外は雨で、以前、知人がくれた鉢植えの折鶴蘭や、従妹がくれた、最近花をつけなくなったシクラメンの大きめの鉢のそばに、散歩で採集した名も知らぬ野草たちが、秋になって思いがけず、紫や白の花を咲かせて風に震えている。

 ニュースでは愛知県や関東に雨雲が広がり、台風14号はかなり動きが速い。雨量は東海280ミリ、関東北部で180ミリ、近畿で80ミリなど、静岡県でも大雨警報が出ている。断続的に激しい雨が降り、風速もかなり早い。空は灰色一色で、ビル群も霞んでいる。 

 昨日は、久々に娘と外出した。蒲田の歯科医院に定期検診の予約をしていた娘の車に便乗し、診療に行った娘を待っている間にグランュオ東館をぶらぶらしたのである。

 わたしが二年ほど千代田区に住んでいたあいだに、東館もおおきく変貌してしまっている。五階のフロアーを占領しているのは、最近あちらこちらで、おしゃれなデザインの日用品を、リーゾナブルな価格で提供しているニトリ店で、見て回るだけで楽しい小物類やキッチン用品、寝具からカーテン迄展示されている。

 この春、華やかな色彩のクッションカバーや、枕カバーなどを数点買ってみたが、狭い六畳ほどの部屋で、その辺に適当に投げ出してあるだけで、いくらか気分を楽しませてくれる。

 私の父は身の回りの持ち物や、家具に、特別な嗜好を持っていた。それは私の目から見ても上質で洗練されたものだった。東京の私大に在学中に、下宿していた部屋の写真など、今も残っているのを見ても、卓上の電気スタンドなどに、彼の好みがよく見て取れた。

 この17日が私の誕生日で、長年あまり意識せずに過ごしてきたが、覚えている人たちから、おめでとう、というメールや電も来て、佐藤愛子さんにならうわけではないが、なんとなく気ぶっせいな日もあり「なにがめでたい」という心境で、ほろ苦く受け止めたが、90年の生涯で覚えていることは、書き留めてみようか、という心境にはなっている。

 1950年、わたしが京都の大学に、入学したとき、大学の仮校舎があった宇治に、下宿を見つけてくれたのも父だった。それは、宇治の平等院に近い、昔の農家によくある造りで、戸口を開けるとすぐ、たっぷり広い土間に式台のついた座敷があり、土間に続く台所も、広々した土間に井戸などもあった気がする。家主はいたって気さくな感じの田舎風のお婆さんで、腰は多少曲がっているが、元気なひとだった。

 細かいことは、残念ながら、もう記憶もおぼろで、メモさえないが、お婆さんには孫娘がいたと思うのだが、息子や娘がいたかどうかは、記憶にはない。もしかしたら、二人だけで、暮らしていたのかもしれない。わたしのほかに、若い会社員風の人と、たしか小学校の先生という若い女性が、以前から止宿しているらしく、彼女の部屋とは、ふすまか何かで仕切られているだけの気楽な間取りだった。道路に面し日当たりのいい2階の6畳間が私の部屋だった。窓の下は道路で、向かいには、なにかよくわからないが、ひとがよく出入りする大きな倉庫のような建物が立っていた。






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