徒然草をひもといて 5章⑪155段   世にしたがわん人は・・・

 155段に進む。”世にしたがわん人というのは、註解によれば、世間に順応して生きる人、という意味で、それは、どうすればいいか、その心得を説きつつ、筆を進めていく。
 そのまえの152段から154段までだが、そこでは従3位権中納言の日野資朝(すけとも)卿、1324年=元享4年に後醍醐天皇と共に鎌倉幕府討幕を企てた罪で佐渡に配流されてのち刑死した人のことが書かれている。後醍醐天皇に寵愛されていた人物だったが、この事変の時は、後醍醐天皇は無罪でおさめられた(事件の詳細は、太平記に詳しい)かなり異端児だったらしく、152段、123段、154段ではこの人の異常な性格や、行状がこと細かく描かれている。法師は、よほどこの人物に興味を覚えたらしく、わざわざ3篇にわたってそれらの逸話を書き留めているのだが、文中、背景の時代色はかなり強烈に感じられるものの、現代の視点でいうと、道徳的に、また仏教など宗教の観点からいっても、あまり共感できる逸話ではない。世に従わずに生きた人物の見本かもしれないが、こと細かに紹介するまでもない気がして、この3段の紹介は省くことにした。
 次いで155段、世に順応して生きるには、まず機嫌を知ることである、と説く。ここでいう”機嫌とは、適切な時期、とか頃合いのことで、それを違えると、人の耳にも逆らい、心にも違い、反感を持たれて、ものごとは成就しない、という。だからこうした好機というものは、心得ておくべきである、と。ただし、病気にかかったり、子を産んだり、死んだりする時期に限り、よい時期を見計らうことはできないし、順序がよくないといってやめられるものではない、仏語でいう生・住・異・滅(生じ・留まり・変化し・滅する)の四相が移り変わりゆくが、真の大事は、急流の河がみなぎり流れていくようなもので、しばしもとどまらず、すみやかに進んでゆく。だからこの世のことも後世のことも、必ず果たそうと思う事は、機嫌は云ってられないから,ためらうことなく、足を留めてはならないのである、と。
 続いて、四季の移り変わりにみられる宇宙のいとなみへと筆が進む。流れるようなリズムで自然の原理が説き進められる。”春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋はすなわち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ(蕾をつける。)木の葉の落つるも、まず落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはる(新芽がきざしてくる)に堪えずして落つるなり。迎うる気、下にもうけたるゆえに、待ちとるついで甚だ速し(迎えて受け入れる気が、内がわに醸し出されているゆえ、待ち受けて交替する手順も非常に速やかなのだ)(続く)
  


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