徒然草とともに 3章 ⑲

第80段は兼好法師の、世の風潮に対する苦言であろうか。
 時代はしばらく平和を保ち、京の都でも、ひとそれぞれの人生を楽しみ、誰も彼も、本業とは縁遠い余技ば好んでいる。法師は武道に励み、荒武者の東国武士も弓を引くことさえ知らずに仏法を知っている顔で、連歌を詠んだり、管弦を嗜みあっている。しかしそれは、ちゃんとできない本業より、なお人に思い侮られるであろう、と批判し、筆は宮廷の公卿や蔵人たち、いわゆる上達部・殿上人にも及ぶ。註によれば、”暗に建武の中興の時代、後醍醐天皇周辺の尚武の気風を指すか”、とあるが、殿上人たちではまた、おしなべて武を好む人が多い、と。

 しかし、それはどんなものであろうか?武勇とは、じつはもっときびしいものではないか、
 武勇の道といえば、勝運に乗じて敵を粉砕するときは勇者に違いないが、武器も尽き、矢もなくなっても降伏せず、死をものともせず戦って初めて名をとどろかすのがこの道である。生きているうちは武勇を誇るべからず、だ。これは人間倫理からは遠く禽獣に類した振る舞いとなる、それゆえ、その家柄(武家)でなければ、武芸を好んでも無益なことである。と。
 本業をよそに、いい加減なお稽古ごとにいそしんでいる人々を眺めて、苦言を呈する気難し屋の法師の一筆である。

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