徒然草をひもといて 5章⑫続世にしたがわん人・・・

 生と死、この人生の大問題について、法師はこの章の最後に、つねづねの持論を示して、しめくくる。すなわち、”生、老 病 死 (佛教の基本概念、四苦)の移り来たること、またこれに過ぎたり”と。これとは❓さきの文で、縷々述べてきた四季の移り変わりを指しているが、”四季はまだ、このように定まれる「ついで」あり”という。「ついで」とは、なにを指し示しているのかというと、「順序」というような意味を示していて、「死期」は「ついで」を待たない、と述べる。さらにそれは前より来る、とは限らない、”かねて後(うしろ)に迫れり”と述べるのだが、これは、彼が、他の章でも繰り返し説く理で、決して脅しているわけではないのである。つまり、人は皆死があることは知っていても、それを待つのに、さほど切迫した気持ちでいるわけではない。けれどもそれは、不意に、思いがけなくやってくる、と説き、人の死の訪れのかたちを、次のような譬えで閉じる。
  ”沖の干潟(ひがた)遥かなれども、
   磯より潮の満つるが如し”


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