徒然草をひもとく 4章 (19)続124段、

 124段に取り上げられる是法法師は、 1世紀前に法然上人が開祖した浄土宗の僧侶で歌人でもあった人物で、兼好とは同時代人だが、とくに交流があったわけではないらしい、註に、よると、もと青蓮院門跡に仕えた坊官とか、祇園界隈に住み、寺社や武家を顧客にして土倉業をいとなみ、とあるので豊かな事業家でもあったらしい。
 しかも、浄土宗の名に恥じない学識を持っていたすぐれた上人でもあったが、それは表に出さず、ただ朝晩念仏を唱え、やすらかに世を過ごしている様子は見上げたものである、と誉めたたえている。わずか50字あまりの文だが、前段につづく、生き方論のひとつの典型として取り上げたのであろう。

 法然上人のひろめた浄土宗の教えは鎌倉時代から室町、戦国へと続く不安定な世のなかで、民衆のあいだにますますひろまっていく。


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