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「おまわりさんこいつです」はなぜ「こいつおまわりさんです」ではないのか

 pixivなどで、「おまわりさんこいつです」というタグをよく見かける。登場人物が犯罪を犯している、あるいは倫理的にまずい行動をしていたりする場合に閲覧者が付けるタグのひとつである。要は「おまわりさん、ここにヤベーのがいますよ、捕まえてください」というタグなのである。ここでいう「おまわりさん」はあくまで話者(この場合はタグをつけた閲覧者)に呼ばれた立場であり、「こいつ」とは別人である。
 この派生タグとして、「こいつおまわりさんです」というタグがある。こちらは前者から一転して、犯罪や倫理的にまずい行動を起こしている人物が「おまわりさん」であったときに使われるタグだ。すなわち、「おまわりさん」=「こいつ」なのである。

 ここでひとつ疑問が生まれる。日本語は助詞が単語の意味や役目などを表すため、「昨日走って学校行った」「走って学校行った昨日」のように、文章内で多少単語の順序が入れ替わっても同等の意味を読み取れる言語である。しかし「おまわりさんこいつです」と「こいつおまわりさんです」は、意味が全く変わっている。これは一体なぜなのか。

 なお私は言語学の知識が小指の爪の先ほどしかない。そもそも全くの専門外だ。その事を踏まえて、半分疑いの目を持って読んでいただければ幸いである。


例①「おまわりさん構文」


a.おまわりさんこいつです
b.こいつおまわりさんです

 まず今回取り上げる二文を考察する。
 例文aではまず「おまわりさん」と呼びかけてから「こいつです」と報告しているように見える。省略している助詞は特になく、強いていうなら「こいつ」と「です」の間に「犯人」とか「ヤベーやつ」とかが入るだろうか。
 対して例文bでは、「こいつ」と「おまわりさん」の間に助詞の「が/は」が省略されている。ここでの「こいつ」は主語として扱われている。
 文章を構成している単語そのものは例文ab共に「おまわりさん」「こいつ」「です」の三つだけであり、それ以外は変わらない。

 ここで私はひとつ仮説を立てた。語順そのものは日本語の特性上関係ないはずである。となれば、こういった「職業・人称代名詞・助動詞」といった品詞の単語で形成された文章にこそ原因があるはずだ。つまり、「おまわりさん」「こいつ」「です」のいずれかに原因があるはずなのである。

 そこで私は、上記の構文を「おまわりさん構文」と名付けた上で、まず「おまわりさん」に注目して例文を作ることにした。


例②「おまわりさん」を変える


c.猫こいつです
d.こいつ猫です

 とりあえず「生き物を表す名詞」という漠然とした範囲で変えてみた。

 なんか、ぱっとしない。特に例文cがしっくり来ない。例文cは「猫=こいつです」とされているか、あるいは「猫と呼びかけている」かのどちらかなのだが、そのどちらもなぜか落ち着かない。「猫」という単語があまりに漠然としているからだろうか。
 という訳で、もう少し具体的な例をいくつか作ってみることにした。


e.うちの猫こいつです
f.こいつうちの猫です

g.マヌルネコこいつです
h.こいつマヌルネコです


 例文e,fでは「うちの猫」と所在を明らかにし、例文g,hでは猫そのものの種類を明らかにしてみた。(マヌルネコとは猫の中では最古の種類とされる猫である)。これらの例文を見てみると、例文e,fではどちらも「うちの猫」を紹介しており、例文g,hではどちらも「マヌルネコ」を紹介している。これはおまわりさん構文とは違う結果である。

 興味深い結果となった。この構文を「猫構文」と名付けて、次にいくことにする。


例③「こいつ」を変える


i.おまわりさんこの方です
j.この方おまわりさんです

 「こいつ」だとちょっとキツい言い方だと思って丁寧にしてみた。例文iはおまわりさんに誰かを紹介しているように見えるが、例文jは「おまわりさん」=「この方」である。これはおまわりさん構文となりそうだ。
 どうやら「こいつ」はおまわりさん構文に関係ないらしい。

 
例④「です」を変える


m,おまわりさんこいつだ
n,こいつおまわりさんだ

 とりあえずですます調から変えてみた。こちらも例文mでは「おまわりさん」≠「こいつ」であるのに対し、例文nは「おまわりさん」=「こいつ」である。これはおまわりさん構文だ。

 つまり、「です」もどうやらあまり関係ないらしい。

例⑤「おまわりさん」をもう少し変えてみる


o,先生こいつです
p,こいつ先生です

q,大工こいつです
r,こいつ大工です

 「おまわりさん」部分が大きく関係していると分かったので、今度はもう少し「おまわりさん」に近いところで例文を作ってみたい。すなわち、職業である。
 例文o,pはおまわりさん構文である。例文oでは先生に言いつけている光景が浮かぶが、例文pでは「先生」と「こいつ」が同一人物である。
 例文q,rはどうだろうか。こちらは猫構文に見える。どちらも「大工」と「こいつ」が同一人物として読み取れる。

 つまりこうだ。「おまわりさん」「先生」にあって、「大工」にないもの。なんだかあるなしクイズのようになってしまったが仕方ない。
 ここでまたひとつ仮説を立てる。敬称じゃなかろうか?


例⑥敬称について考える


s.おまわりこいつです
t.こいつおまわりです

 とりあえず例文a,bから敬称を取った。これはかなり猫構文に近いのではないだろうか。少々例文sがわかりづらいが、これは恐らく、ですます文なのに「こいつ」を使っているせいだろう。試しにここも変えてみよう。

u.おまわりこいつだ
v.こいつおまわりだ

 ……しっくりはくるが、これはおまわりさん構文ではないだろうか。一体なぜ?

 ここで、そういえば「おまわりさん」ってなんぞや、と思ったので調べてみた。

おまわり‐さん〔おまはり‐〕【▽御巡りさん】
巡査を親しんで呼ぶ語。また、(制服姿の)警察官を親しんで呼ぶ語。
(引用:Weblio辞書 デジタル大辞泉 https://www.weblio.jp/content/%E3%81%8A%E3%81%BE%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%95%E3%82%93)(2021年5月24日現在閲覧可能)

 要は「おまわりさん」は「巡査」や「警察官」の愛称なわけだ。ということは、「おまわり」もある種の愛称となる。もしや、愛称も敬称と同じく、おまわりさん構文を構成する要素なのだろうか。もしそうなら、「おまわりさん」の敬称や愛称を取らないことには比較ができない、ということになる。

 じゃあ何にするか。「巡査」は階級でもあるし敬称でもある(「社長」「総理」みたいなものだ)。「警察官」も、一人称で「本官」とか言うからちょっと敬称チックかもしれない。じゃあ「警察」はどうだろうか。

w,警察こいつです
x,こいつ警察です

 例文xを読んだとき、「警察」が呼びかけであるとは捕らえにくい。それにどちらも「警察」=「こいつ」に見える。この例文w,xは猫構文であると言えるのではないだろうか。

 以上のことをまとめると、「文頭に敬称または愛称を含む(もしくはそのものである)単語がある場合、単語の順序を入れ換えると、文章そのものの意味が変わる」ということになるのだろう。

 試しにいくつか例を挙げてみよう。上記の条件にさえ当てはまれば、例②で扱った猫構文の文章もおまわりさん構文になるはずである。


例⑦検証

y,マヌルネコ様こいつです
z,こいつマヌルネコ様です

 「様付けで呼んでおきながらこいつ呼ばわりかよ」と思わないでもないが、これはおまわりさん構文と言っていいのではないだろうか。どこかにマヌルネコ教みたいな宗教があって、そこの教祖がマヌルネコ様なんだろうかとか色々ツッコみたい文章になってしまったが、無事おまわりさん構文となってくれた。これでめでたしめでたし……




ではない。



A,うちの猫様こいつです
B,こいつうちの猫様です

 こっちは猫構文なのである。どういうこと?


 例文A,Bの元になった例文e,fは、「猫」という単語の所在を明らかにしたものだった。つまり、「所在を明らかにする」ということが猫構文となった原因なのではなかろうか?
 というわけで例文である。


⑧所在を明らかにしたおまわりさん構文

C.東京のおまわりさんこいつです
D.こいつ東京のおまわりさんです

E.東大出身のおまわりこいつだ
F.こいつ東大出身のおまわりだ

G.聖地に住むマヌルネコ様こいつです
H.こいつ聖地に住むマヌルネコ様です

 やっぱり例文G,Hのこいつ呼ばわりは気になるところだが、ほぼ猫構文と化したのではないだろうか。もしかしたらマヌルネコ教にはマヌルネコ様を住処もつけて呼ばなきゃいけない、みたいな教えがあるのかもしれないが、とりあえず字面だけでみれば猫構文である。

 するとまた気になることが増える。所在以外を付けるとどうなるのだろうか。


⑨所在以外の副詞を付けたおまわりさん構文

(名前)
I.佐藤のおまわりさんこいつです
J.こいつ佐藤のおまわりさんです

(性格)
K.優しいおまわりさんこいつです
L.こいつ優しいおまわりさんです

(動作)
M.走っているおまわりさんこいつです
N.こいつ走っているおまわりさんです

 色々と挙げてみたが、だいたいおまわりさん構文ではなかろうか。だいたい、というのは、この辺りになると見方によってはおまわりさん構文にも猫構文にも見えるからだ。ただ、一見ぱっと見たときに例文I,K,Mなどの「こいつ」が「おまわりさん」だと感じやすいかどうかの問題である。
 

 いつまでたっても終わらないので結論にいこう。
 とりあえず、主軸となる法則は以下の通りだ。

・文頭に敬称または愛称を含む(もしくはそのものである)単語がある場合、単語の順序を入れ換えると、文章そのものの意味が変わる(ことがある)
・上記のルールに従っている場合でも、敬称または愛称を含む(もしくはそのものである)単語に所在がついている場合、単語の順序を入れ換えても、文章そのものの意味は大きく変わらない(ことがある)

 もちろん他にも色々法則はあるだろう。今回は特に 「おまわりさん」と「こいつ」という、「尊敬されるべきもの」と「蔑称」が組合わさっているからこそ生まれるちぐはぐさであるのかもしれない。その辺りはこれを読んだ方々の方で検証してほしい。「(ことがある)」と文末に付けたのはそういうことである。

 繰り返して言うが、私は言語学の知識が小指の爪の先ほどしかない。あるいはもっと少ない。そのため、反論や批判は大いに認めるし、これが間違っている可能性は大いにあると思っている。というか全然違ったらごめんなさい。責任は全く取れないので、あまり信じないでほしい。

 ただ、少しでもこの不思議な構文に興味を持っていただければ幸いである。

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