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日本統治時代に甲子園で準優勝した「KANO」 の故事館に

2014年3月、私がはじめて台湾を訪問したときに台湾で初上映された映画が「KANO 1931海の向こうの甲子園」でした。物語は1931(昭和6)年,日本統治時代に台湾南部の嘉義にあった嘉義農林学校野球部(略してKANO)の選手たちが、日本人監督の指導のもとで努力して練習を積み重ね、日本の甲子園大会に出場して準優勝したという内容です。こんな実話があったことを知らずにいた私はその後、日本でも2015年に上映された映画を見てから、ぜひKANOの故郷である嘉義に出向きたいと思っていました。現在はDVDで鑑賞することができます。

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2016年3月、嘉義に出向く機会があり、ちょうど檜意森活村とよばれる日本時代の木造建築28棟を移築した文化區にKANOの映画撮影に使われた数々の品物を展示したKANO故事館オープンしたとのことで出向いてきました。

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こちらが「KANO故事館」です。入場料は30元でした。

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それでは内部を紹介していましょう。建物は映画KANOの撮影で使用された近藤監督の家の内部を再現しているとのことです。

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映画の場面を思い起こさせるものが数多くあり感激しました。

2018年、100回全国高校野球選手権大会で秋田県立金足農業高校が準優勝しました。このとき、嘉義農林学校以来で農業系の高校が準優勝したこと、そしてユニフォームに「KANANO」という文字が記されていたことから、「KANO」を想い起こすということで話題になりました。KANOで監督を演じた俳優の永瀬正敏さんも台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」の物語との「不思議な縁」を感じると語りました。

 金足農業高校の準優勝投手である吉田輝星選手はその後、ドラフト1位で日本ハムファイターズに指名されました。

檜意森活村があるこの付近一帯はその昔、阿里山で伐採された檜などの木材が集められる拠点として林業が盛んな地域でした。この檜の大木は日本まで運搬されて、明治神宮の大鳥居や靖国神社の神門などに使用されたのです。樹齢は1000年以上の檜とのことです。

明治神宮の大鳥居の檜は台湾産です。


日本で訪問直前に読んでいた月刊台湾観光No.573がちょうど嘉義特集で、檜意森活村のページがあり、そこに載っていた森珈琲を探して入ってみました。この台湾観光はフリーペーパーで日本国内の台湾料理店などに置いてあり、最新情報満載なのでお薦めです。また下記リンク等やアプリで読むこともできます。

森珈琲では、凍らせたコーヒーにミルクをかけて飲むアイスコーヒーと苺のパンケーキを食べました。

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日本との接点も多くある檜意森活村はなかなかおもしろかったです。KANOの展示はその後、移転したとの情報もあるので、もし出向かれる方は調べてみてください。

なお、嘉義市の野球場等には2018年に訪問したので、別ページで紹介いたします。

詳しくは下記の本をご覧ください。



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