サンタの面じゃなさすぎる#パルプアドベントカレンダー2023

 ため息交じりの白い吐息が、空に浮かんで消えていく。カメラのレンズ越しにじっと、そのチャンスを伺い続ける。クソ、早く出て来いよ……と誰に聞こえるでもない声で悪態を付きながら、ライナス・ルーカ―はタレコミの情報を信じ、ヒーローが馬脚を晒す瞬間を待ち続けている。

 詳しい経緯は省略。この世は超能力者で溢れている。溢れすぎていて、火を使う系統の人間、水を使う系統の人間など能力の細かい区分が決められて登録されている程度に。そんな社会なのでライナスも実の所「超能力者」側ではあるが、ライナス自身はとある事情により超能力者を蔑んでいる側の人間だ。

 超能力者が珍しくなくなった世界では、能力に殊更特殊性がある人間が自らをヒーローとして称して社会活動する様になって久しい。逆に言えばヴィラン……闇に落ちる側も少なくはないのだが。では、超能力者を否定するライナスが就いている職業。

 それは、世間で持て囃されているヒーローのスクープを……いや、もっと下世話で、生々しい系統のゴシップを掴んで世間に新聞という形で突き付ける、そんな新聞記者……見習い、と言った方が正しい。見習いというより雑用、使いっ走りである。遡る事数時間前。


「ライナスてっめえ! また他社に出し抜かれやがったな!」

 編集長の怒号と共に、新聞紙を強くデスクに叩きつける音が響く。他の同僚のクスクス笑いにも晒されながらも、ライナスはじっと黙して編集長からの説教に耐えている。しかしそれが更に怒りを仰ぐ。

「黙ってりゃ俺の説教が終わると思ってんのか!? 丸一日怒鳴ってやってもいいんだぞ!」
「す、すみません……じょ、情報屋がガセ掴ませてきたので……」
「マジかガセか判断するのがテメエの仕事だろ! 人のせいにしてんじゃねえ!」

 それから納期の遅れや誤字脱字等々の多岐に渡る説教を長時間食らった末、編集長の真っ赤だった顔が次第に落ち着いた肌色に戻ってくる。デスクに転がっている煙草に火を点けて一服すると、大分落ち着いた声で背中を丸めて縮こまっているライナスに問いかける。

「……なぁライナスよ。右も左も分からんガキだったお前に記者の心得教えたのは俺だよな」
「はい……そうです」
「憎いよな、ヒーロー面してる奴らが。暴いてやりたいよな。あいつらの本性」

 ずっと俯いているライナスが、その言葉に僅かに顔を上げる。

「あいつらの薄汚ねえ所を何も知らない奴らに教えるのが俺らの仕事だ。分かってるよな」
「はい。俺はその為なら何でも……」
「じゃあ仕事してこい」

 と、編集長がライナスの目前にドサッと置いたのは新しい取材の依頼……ではなく。どっさりと積まれた未整理の書類書類書類の山である。編集長自身が面倒でやりたがらない、そんな雑務中の雑務だ。

「えっ、またこれやるんですか」
「何でもやるっつったろ。無駄な仕事なんてねえぞ」
「は、はい……」

 そうしてすごすごと、書類の日付ごとの整理や整頓をしていると別の同僚からはトイレ掃除の頼み、近くのドーナツ店へと買い出し、電話番……とろくに取材にも行かせても貰えずにあらゆる事を押し付けられる。それでも、ライナスはこの職場を辞める気はない。なんやかんやで編集長には前々から恩義がある為だ。

「ドーナツ買ってきました……」

 買い出しから戻ってきて両手一杯の袋に抱えたドーナツを各デスクに置いていると、おい、ライナスと編集長が後ろから肩を叩いてきた。また怒られるのか……と青ざめていると。

「お前これ行ってこい。張り込みだ」
「えっ……えっ!」

 編集長の指先にはメモが挟まっており、ライナスは嬉々としてそれを受け取る。そこにはヒーローの名前と張り込みに使う場所、おおよその出没時間が書かれている。顔を上げると、編集長は言う。

「これ担当する奴が腹壊しやがって出れねえんだよ。他に手空いてるのもいねーし、お前でいいから行ってこい」
「これ、俺が行ってもいいんですよね……」
「だから良いっつってんだろ。しっかり不倫の現場、抑えて来い」


 現在の時間に戻る。

 ライナスがいまかいまかと待ち構えているヒーローの名前はアイススラッシュ。氷属性のヒーローで、対象を自在に凍結させたり冷気による攻撃を行う、実力人気共に高いヒーローである。普段は本名であるショーン・レオナルドなる投資家として……投資家というより、派手な募金活動等で知られるマルチタレントとして活躍している。容姿端麗でパフォーマンスも達者な為、どの層からも好かれている。

 ……が、そんなショーンを「政治的な面」で快く思わない層がおり、その為には明確に人気が落ちる女性関係のトラブルが欲しい……という事でお鉢が回ってきたのがライナスが属する新聞社だったという。

 そんな訳でライナスは使われていない(が、建物の権利は新聞社が所有している)廃ビルの三階から、カメラを構えてショーンの不倫現場を激写する為にレストランの裏口を見張っている。

 メモ帳に書いてある時間帯にはもうなっているが、出入りしているのはゴミを捨てに来る調理師や食品を運んでくる業者などで、中々当の本丸が姿を現さない。気温の低さもあり手が限界になってきた、と、ライナスは気づく。低いというより……凍える! 両手に纏わりつく異様な冷気にカメラを落としそうになると。

「人のプライバシーを覗き見とは感心しないなぁ、青年」

 震えながら振り返ると、ライナスに何者かが指を差して歩んでくる。ライナスはその男性の顔を見、ア、アイス……! と分かりやすく動揺する。オフの日の為か、スポーツウェアに身を包んだ褐色肌の長身の男性が、白い歯を覗かせながらライナスを見つめている。

 ライナスが動揺するのも無理はない。やってきたのはショーン本人だからだ。ショーンは口元には笑みを浮かべつつ、冷淡な声色で続ける。

「大方私の女性関係でも探りに来たんだろうけど、生憎潔白なんだ。申し訳ないが、君にスクープは与えられない」
「ど……どうしてここが……」

 ショーンはあぁ、それはねと前置きしつつ、

「私も君の様な人間に執着されて長いんだ。だからこうして釘を刺しに来る。つまらない事はやめなさいってね」
「……ヒーローが暇つぶしで説教してんじゃねえぞ」

 ショーンはわざとらしく肩をすくめる。ライナスは舌打ちして、クソ野郎……と小声で呟きながら急いで機材をリュック一式に詰めるとその場から逃げ出した。

「やれやれ……」

 その情けない後ろ姿を見送ると、ショーンの体は透明色になって、そのままバシャリと音を立てて、コンクリートの地面へと溶け出した。どうやら能力の一端だったようだ。


 必死に逃げ出して、ライナスは荒い息をどうにか整えながら足を止める。どこまで走ったか、上に目を向けると知らない番地が書かれた看板。頭の中でまた仕事をこなせなかった事への後悔と、結局編集長からのタレコミもガセだった虚脱感、それでも会社にこのまますごすごとは戻れない現実がごったになる。

 一度スマホを取り出すが、どう報告すれば、まんまとショーンにしてやられた事をどう報告するかが分からず、……あぁ、クソ! とスマホを投げそうになるのが堪える。取りあえず、取りあえず……歩きながらどうするかを考えよう、とライナスは力なく、トボトボと歩き出す。

 あまり来た事の無い番地だが、どうやらあまり治安のいい場所ではなく、首にガッツリとタトゥーが入った恐らく売人っぽい集団や、ホームレスが何人もたむろしている。ライナス自身、過去色々ありこういう場所で住んでいた事はあるが、それ故に肌感覚でここから早く離れた方が良い、と感じている。と、その途中。古びたアパートとアパートの間の路地裏から妙な声がする。

 足を止める理由はないはずだが、気づけばライナスはつい、足を止めてその路地裏を覗いてしまう。背丈からして、ライナスと同じくらいの年齢に思える若者達が群がっている。よせばいいのに、ライナスはその集団の方へと歩いてしまう。

 集団の足元で何かが動いている。ライナスは一寸動物か何かをイジメているかと思ったが、動物どころではない。赤い……コスチューム? を着た、太った中年男性がじっと体を丸めている。集団はその中年男性を四方八方から足蹴りしておりあまり気分のいい光景ではない。

 何だこれ? 変態でも退治してるのか? とライナスは思ったが、それにしてもあまりにも一方的だ。男性はどれだけ激しく蹴られても、その身を動かそうとしない。どんな理由かもしれないが死んじまうぞ……とライナスは思ったが早く。

「おい、ガキども!」

 ライナスの一喝に集団の一部が振り返る。いかにも素行の悪そうな顔、顔、顔が並ぶ。だが、ライナスに怯えはない。その内の一人が見てんじゃねえぞ! と自分に向かって勢いよく殴りかかってきた。

「おせえよ」

 そう呟きながら、ライナスはカウンターとばかりに、その顔面目掛けて思いっきり握り拳をぶつける。ぐらりと鉄拳を鼻っ柱に受けて地面に突っ伏すのを見、他の奴らがざわめき出す。ライナスの経験上、弱い輩は群がっていると気が強いが、こんな感じで誰か一人でも打ちのめされると急に弱気になる。今回はまんまそのパターンの様だ。

「次はどいつだ」

 はっきり言ってしまえば今のライナスの行動は諸々積み重なっての八つ当たりなので情けないと言えば情けないのだが、襲われている誰かを助けている、という大義名分はある。蜘蛛の子を散らす様に集団が逃げ去っていく。雑魚がよ、と吐き捨てつつ、ライナスは危機は去ったのに地面でまだ背中を丸めている男性に声を掛ける。

「おい、あんた。生きてんのか?」

 ビクッと肩を震わせて、その男性は恐る恐る、と言った感じでライナスの顔を下から覗く。近づいてみると分かるが思ったよりもその体つきはふくよか……というより、肥満体ですらある。着ているコスチュームもよく見るとピッチリとしている位に。

「お……終わり、ましたか……」

 ついでに頭頂部もかなり寂しい。赤、いや、経年劣化なせいか、くすんだ朱色。至る所にツギハギが目立つ、いかにも手作りというコスチュームを見、ライナスはまさかこいつ……と思い反射的に聞いてしまった。

「あんたまさか……ヒーローしてんのか?」

 その時、男性の腹部からにゃーと、小さい鳴き声がした。つぶらな目を光らせて、黒い子猫が不思議そうにライナスを見上げている。

「いやぁ、本当に助かりました。子供達が四方八方から殴ってきて……」
「にしても弱すぎだろあんた……。完全にリンチだったぞ」

 ライナスの率直な発言に男性はえぇ、まぁ……と気まずそうに返事する。

 男性によると事の経緯としては、ヒーロー活動中に捨てられていた子猫をあの集団がいじめていた、のを見かねたので庇っていた。そしたら一人二人と殴ってきて、子猫を守る為に身動きが出来なくなり四面楚歌になった所を通り掛かりのライナスが助けに来た……という感じだ。
 子猫を保護センターに届けた後、ライナスはすぐ離れようとしたがコーヒくらい御馳走させてくださいと男性から言われて、まあ会社にすぐ戻りたくもない……という心境もあり、ついつい男性に付き合う。何となく悔しいが、凍えた体に珈琲の温かさが染みる。

「つうかあんたヒーローなんだよ……な?」

 と、ライナスは全身を一瞥する。ずんぐりむっくりとした体型に、至る所に不器用さが滲むコスチューム。それに寂しい頭部。
 季節柄遠目から見たら、もしかしたら赤いしサンタのコスプレに見えなくもないが……白い髭も生えてないしどことなく頼りなさげな垂れ目も相まって、ライナスはサンタって面じゃねえなと内心笑う。男性は大きく頷いて、割と自信ある声色で。

「はい! ……と言いましても、この活動をし始めたのは最近、なんで名乗れる名前もないんですが……」
「一応聞かせてよ」
「あっ、はい、ええと……」

 と、何か取り出そうとあたふたする姿からあぁ、こいつダメだわとライナスは思う。数十秒の格闘の後、男性は何かをライナスの前へと差し出した。

「名刺代わり……にはならないかもなんですけど」

 男性が差しだしてきたそれは、非常にオブラートに包めばヘタウマ……な絵の、何とも言えないイラストのシールだ。多分ぼんやりと、自分自身を描いたんだろうなと分かる。そこにはヒーローとしての名前か、マルコ・トロンと書いてある。ライナスはそれを二度見して。

「このマルコっての、あんたのヒーロー名?」
「あっ、それは私の本名ですね。名乗れるような人間でもないので……」
「だとしても、活動するなら普通隠すだろそういうの……」

 男性、マルコに対しライナスはもう呆れて言葉も出ない。いや、別に本名で活躍しているヒーローもいない事はないが、大概そういうのはそれこそショーンの様な名前その物が商売になるようなランクのヒーローでもなければ、ただただ悪党から狙われやすくなり危険なだけだ。ついでに気になる所もあり、ライナスは質問する。

「なんか組合のマークとかもないけど入ってないのか」
「えっと……あの、もう少し実績付けてからに……」

 目を泳がせるマルコに、更にライナスは呆れかえる。ヒーローとして活躍する際に法律で定められている訳ではないものの、超能力保持者労働組合というのに入るのがそれとなく常識とされている。もしもの際に保険に入れたり、必要に応じ防具や武器を無償で借りれたりする。ついでにショーンはこの組合の広告塔である。

 これに入らないタイプは大まか三種類に分かれるという通説があり、組合に入る必要がなく自身の財力や伝手で充分活躍できる富裕層か、何の保証もないから仮にヴィランや悪党に殺されても構わないという命知らずか、世間知らずのアホ。ライナスから見たらマルコは最後の類にしか見えない。

「もしこう……電話番号も下に載ってますので、お困りの事とかあれば駆けつけますので」
「あっ、そう……」

 何となく助けたものの、もうこのおっさんと関わる事はないな、とライナスは思う。流石に口には出さないが、こいつはタチの悪い悪党か何かに殺されて終わるだろうな、とさえ思う。だが他人の人生だ、知った事ではない。それでは、助けていただきありがとうございましたと深く礼をしてマルコが去ろうとした、のを。

「あっ、おい」

 つい呼び止めてしまった。

「一応あんたの能力見せてくれよ。もしかしたら頼るかもしれない」
「良いですよ!」

 意外なほどマルコは元気に返答した。ライナスは少しばかり期待する。いや、もしかしたら、もしかしたら子供にボコボコにされていたのは何らかの理由で力が封じられていたからかもしれない。

 いきますよ……とマルコは一歩、二歩と後ずさる。そうして、ふんっ! と両手の拳を握って顔を赤くする。体をプルプルと震わせながら歯を食いしばる。その様がライナスには何だか下品な例えだが便意を堪えているようで嫌になる。

「はぁっ!」

 そう声を発した瞬間。

 ライナスの目の前をひらひらと十匹ほどの蝶々が飛んでいく。……? とライナスが怪訝な顔をしていると、マルコはまるで全力疾走した後の様に顔を赤くして、肩で激しく息をしながら言う。

「お……終わりです」
「……は?」
「い……一応、私幻覚を見せる……能力がありまして……」
「あの蝶々?」
「見えましたか! そうです、私のイメージした物が他の方の目に投影されるんですよ。物凄く疲れるんで、数秒だけですが……」

 たった三秒しか使えない幻術ってなんだよと喉からぶっ放しそうになるが流石に気の毒というか、もうあんたはそれでいいよ……とライナスは謎の優しい気持ちになる。このマルコという男、体術もダメ、ルックスも良くない、おまけに超能力もへっぴりと、よくこんな奴がヒーローとか以前に生きてこられたなとさえ思う。

「うん、良いと思う」
「ありがとうございます、子供達には喜んで貰えるんですよ。本当に凄く疲れるんですが……」

 子供達? と一寸気になるワードが出たが、あぁ、どうせ戦闘には使えないから、自分のガキに戯れで見せるとかそういう用途なのかとライナスは勝手に納得する。何にせよもう興味のかけらもない。

「じゃ、頑張って。俺仕事に戻るから」
「あっ、そうですか。お時間取らせてすみません」
「ていうか早くここから離れなよ。変なのに絡まれるぞまた」

 そう言うが早く踵を返し、ライナスはマルコから離れる。無駄な時間を食った。すっかり忘れていたがショーンの件が空振りなのを編集長に報告しなければ……と考えてまたグッと暗い気持ちになる。恐る恐るスマホを取り出すと、案の定連続して編集長からの着信が鬼のように入っている。

 あぁ~~~もう……とついその場で項垂れながらライナスはスマホを眺める。確かに社会人としてすぐに連絡しなかった事は完全な悪手ではあるが、もう充分絞られた上にまだこれからしばかれると思うと、何かがライナスの中で弾けた。いいか、もう。どうせ……怒られるなら明日の俺に任す。それより、何故だか。

 何故だか、先ほどまでどうでもいいと思っていたマルコの事が妙に気になる。また不良とかに絡まれているかもしれないが、どうせ会社に帰る気も無いしどんな間抜けな姿を晒すのかを見に行ってやろう。そう、ライナスは暇潰しをする事にする。やっている事は最低ではある。

 非常に特徴的な外見をしている事もあって、街中に出ると割とすぐにライナスはマルコの事を遠目から見つけられた。さて……と観察していると、マルコは時に信号を渡ろうとしているお婆さんの歩行を助けたり、重い荷物を持つ家族の荷物運びなどをしている。ヒーロー……というよりも、何でも屋、濁さず言えば言い様に他人に使われている様に見えてライナスは苦笑いする。

 しかし心の中でどこか、決して同情する訳ではないが、それでもなんか今の職場の俺も似たようなもんかもな、と片隅で感じてしまう点はある。とはいえライナスは正直疑問に思う。

 マルコは本気で、どんな人間に呼ばれようと、感謝もされず用事が終わり無視をされてもそれに文句を言わない。どころか、いちいち一礼している。信じられないが根っからの善人であるのか、それとも底抜けのアホなのか。ライナスはマルコという人物がよく分からなくなっている。気づけばマルコの後を長時間追っていた。その末に、マルコはどこかの孤児院らしき建物へと入っていく。

 何やってんだ……? と流石に建物内には入れないが、柵越しに見える中庭で、シスターらしき人物と子供達の前で例の異能力を使うマルコが見えた。あの三秒蝶々に笑っているのか、能力を使っている時のマルコの姿にウケているのかは定かではないが、確かに子供達は楽しそうに笑っている。

 その度にマルコは大汗を掻きながら、頼ってくれてありがとうとばかりに深く一礼する。世の中、幻術系のヒーローも既に飽和しているし、言わば人助けを主体にしたヒーローも腐るほどいる。

 その上で、こいつはこういう形でヒーローを選ぶのかとライナスはほんの少しだけマルコの事を見直す。少なくとも、ヒーローとしての信念だけは固いらしい。……飯でも奢ってやるか。そんな気まぐれで、ライナスは孤児院を出たマルコの元へと足を早める。

 仕事を終えて空腹なのか、マルコは目に付いたダイナーへと入っていく。気づけば既に陽は落ちすっかり暗くなっている、ちょうど良い、俺も腹空いたしとライナスもそのダイナーへと足を急ぐ。割と盛況な中で、マルコはカウンター席へと座っている。

 偶然隣席が空いているのを見、ライナスは迅速な早足でその席に座ると、あくまで偶然を装いマルコへと自然に声をかける。

「さっきぶりだな、マルコさん」

 急に声をかけられたからか、マルコはビクッとしつつライナスの方を向く。と、パッと明るい顔つきでマルコは返事した。本当に人が良いようだ。

「あっ、先程の……! 凄い偶然ですね!」
「広い様で狭いからな、ニューヨークって。仕事の息抜きで入ったんだ」

 ライナスは息を吸うように嘘をつく。流石にずっとストーカーみたいに動向を追い続けていたなんて言えやしないが、ずっと仕事を放棄していると言える訳もない。マルコは純粋にそうなんですか……本当にお疲れ様ですと労ってくる。疑う様子もない。

「私も活動中の息抜きですね……。年のせいか、すぐ疲れてしまって」
「死ぬほど肌寒い時期だしな。もうすぐクリスマスだってのにあんたはよくやるよ」
「いえいえ、好きだからしてる事なので……すみません、ちょっと失礼」

 そう言い、マルコはどこからか小物を、オレンジのケースに入った薬を数錠取り出すと、置かれた水で喉に流し込んだ。そうしてライナスに照れ臭そうに。

「ごめんなさい、能力を使うと偏頭痛が凄くて……。手放せないんです、これ」
「偏頭痛ってあんた……」

 あんな、というのも失礼だが発動時の体調といい薬といいライナスはマルコがなぜそこまで、ヒーロー活動をしようとするのかいよいよもってわからない。言い換えれば身を削る様な理由が何なのか。

 勿論ライナス自身、そういう見返りを求めない、信じられないくらい高潔な使命感を持った(気色悪いとは思うが)ヒーローはいくらから知ってはいるが、マルコのそれはまるで……と思って。

「……なぁ、マルコさん。何であんたヒーローに」

「全員跪いて手上げろ!!」

 突然店内に野太い男の怒声が鳴り響く。ギョッとしてそちらに目を向けると、三人組の大柄な男がそれぞれオオカミ、ブルドッグ、ライオンのラバーマスクを被って客を威圧している。咄嗟に店員が通報ボタンを押そうと動いた時、オオカミが天井に向かって乱射して叫ぶ。

「動いたら皆殺しにすっぞ! いいか、ありったけの金と貴金属床に置いて俺らが回収するまで動くな!」

 ライナスは椅子からすぐに降りて、両手を上げながら強盗達に目を向ける。一応職業柄人間観察に長けてはいる。計画的な犯行を企てそうな人間なら防弾チョッキを挟めそうな厚い服装をするが、三人ともいかにも安っぽいジャンパーやほつれ・汚れが目立つコートを羽織っており、持っている銃器も他国のテロリストが好んで使う安価のライフルに思える。

 何より、こんな金が動く季節に銀行や富裕層の自宅ではなく、警察やヒーローからしたら包囲し易いし、大してデカい金も持ってないであろう客が来るダイナーを襲うくらいな奴ら……と考えてライナスは内心舌打ちする。こいつらに計画性はない。本当に突発的な強盗だ。

 却ってこういう奴らの方が何をしでかすか分からない。あらゆる意味で余裕がないからだ。そっと客席に目を配ると、家族連れが複数いるのも気分が悪い。こういう時に限って客の中にヒーローや警察がいない。仮に……最悪なケースが起きた場合を考えて。と、ふと気づいた。

 何故だかわからないがマルコは命令に背いて椅子から降りない。他の客が皆怯えて、自分の持ち物を放り投げながらしゃがむ中、一人だけ席に座り続けている。ライナスは肝を激しく冷やしながら、マルコの椅子を叩いて小声で呼びかける。

「何してんだあんた! 撃たれちまうぞ!」

 その時、ライオンがあ? とマルコに気づいてしまった。

「おいそこのハゲデブ! お前聞こえてねえのか!? 跪けって言ってんだよ!」

 つかつかと銃口を突きつけながらライオンはマルコの方へと早足で向かってくる。その姿を見、必死に急いで財布やブレスレットなどを拾い上げているオオカミが声を掛ける。

「バカ何してんだ! ヒーローが来る前にさっさと金拾ってズラかるんだよ!」
「こんなのにナメられんのムカつくんだよ俺はぁ!」

 言うが早くライオンはマルコの頭部を銃器で殴りつける。マルコは椅子から滑り落ちて、踏み付けられているのか、何度も痛々しい打撃音が響く。だが、そのライオンをマルコはじっと見上げたまま抵抗さえしない。こいつマジでどうかしてんのか……とライナスが驚愕していると。

「やっちゃおう」

 ライオンより先にブルドッグがマルコへと銃口を向け、軽率に引き金を弾いた。

 バ、バカ! とオオカミが先走ったブルドッグの行動に慌てるが早く銃弾がマルコの額に掠ってカウンターに大量の穴を開ける。肌が切れたのか、マルコの額からおびただしい量の血が流れ、床をとめどなく染めていく。上手く命中させられなかったのを不思議そうにブルドッグは銃器を眺めて。

「んだよ、クソ精度わりいなこれ」
「お前らいい加減にしろ! ずらかるっつってんだろ!」

 その時だった。張り詰めた緊迫感に耐え切れなかったのか、幼い男の子が声を上げて泣き始めた。それに続く様に咽び泣く声まで聞こえてくる。クソッ、最悪だ……とライナスは最早これから起こるであろう、最悪な事態を頭の中で思い描いた。

「うるせえんだよ!」

 案の定、気の短いライオンがその男の子へと体を向ける。次の瞬間。

「……あ?」

 ライオンが上擦った声を出す。戸惑った様子で何故かウロウロとしている。何だ……? とライナスも立ち上がると、店内にいる筈なのに綺麗な雪が辺りに降り積もっている。どこからか……そんな筈はないのだが、トナカイやらリスやらが降り積もる雪の上で佇みこちらを見つめている。

「……がして」

 這いずり寄ってきたマルコが、ライナスにだけ聞こえてくる、そんなか細い声でそう言った。顔全体を真っ赤に濡らし、かつ、口から血を流し咳き込みながらも。

「皆を……逃してあげて……ください。お願い……します」

 今までにない、真剣な顔つきでそう頼んできたマルコの顔を見、ライナスは気づけば、叫んでいた。

「皆逃げろ! 早く!」

 ライナスは腹の底から必死に、周囲の客へと叫ぶ。恐らくマルコが命をかけて見せているであろう幻術に同じく呆然としていた客達が、ライナスの声にハッとすると、我先にと出入り口へと駆け出していく。しかし、とライナスはマルコに目を向ける。

 マルコはその場に突っ伏しており動かない。息もしていないのか、広がる血溜まりの中でぐったりとしている。マ、マルコ……! とライナスは手を震わせながらその体に触れようとした時。

「邪魔しやがって!」

 あれだけ冷静であったオオカミがライナスの背中に力強い蹴りを入れる。驚きで振り返ると、ライオンが横っ面を殴ってきて視界がブレる。どうやらマルコの仲間だと思われている様だ。

「どうすんだこいつら」

 ブルドッグに聞かれて、オオカミは銃口を二人に突きつけて見下ろしながら、言った。

「殺す。お前らも撃て」

 オオカミの命令に笑い声を発しながら残りの二人も銃口を向けてくる。間違いなくライナスもマルコも蜂の巣にされる。最早これまでという中で、ライナスは何故か両手を広げて天井へと突き上げた。目を閉じ、そうして――――心の中で、叫ぶ。

 ……父さん、あんたの事は許さないけど……力、貸してくれ。

 途端、ライナスは閉じている目を開く。瞬間的に目が真っ赤に充血し、鼻孔から血が垂れていく。すると。

 ギャッ! などと短い悲鳴を上げながら、オオカミが持つ銃器を慌てて手放した。その掌はまるで熱したストーブに直接触れたかの様に、痛々しく火傷し爛れている。それだけではない。ライオンもブルドッグも、跪いで悶え苦しんでいる。そうして三人組は呻き、痙攣しながら床に転がって動かなくなった。その体からは白い煙が湧き出ている。

 数十秒ほどすると、店内はあの狂乱が嘘のようにしんと、静かになった。ずっとカウンター内で隠れていたウェイターらが顔を出すと、マルコと共に横たわるライナスがおり――——。


 ……どこだ、ここは。ライナスは自分の置かれている状況が分からない。取りあえず視線を下に向けると、シーツが見えた。同時に頭を触ると包帯が巻かれているのが感触でわかる。恐らく病院だと気付いて、次第に記憶が蘇ってきた時。

「おはよう、よく眠れたかい?」

 急に横から声がして顔を向けると、文庫本片手に椅子に座っているショーンが白い歯を見せた。な、何であんたが……と明らかに警戒しているライナスにまぁまぁ、落ち着きたまえ、と爽やかな笑みを浮かべて。

「通報があってね、君達がいたダイナーに向かったんだよ。そうしたら強盗達はもう瀕死だし、君と一緒に妙な仮装の男性が血みどろだしで、久しぶりに私の方が混乱した位だよ」
「妙な仮装……あっ! マルコ、マルコは……」

 と体を動かそうとするが、ずっと寝ていたのと恐らく頭に傷を負ったせいか、動きが鈍ってしまいつい歯を食いしばる。だから落ち着きたまえよ、と諭されてライナスは渋々ベッドに戻る。

「マルコさんについては今集中治療室で経過を見てる。……一命は、取り留めてる。一命はね」
「そう……そうか……」
「……それと、趣味が悪いのを前もって謝るが君の事は調べたよ、ライナス君」

 ショーンの言葉にライナスはシーツの上の手をギュッと握る。そんな反応を見せるのは無論、掘り下げられたくない事だからだ。

「君の父親はスティーブ・ルーカー。いや、ヒーロー名で言おうか。”ボルケーノ・スティーブ”。能力は」
「言うなよ。分かってる。熱で何でもドロドロにしちまうひでえ能力だろ。……ホントクソだ」
「……彼に隠し子がいたとは驚いたよ。それに、あの編集長にも人の心があったんだな」

 ライナスは顔を背ける。実の所ライナスの父親……スティーブ・ルーカ―は既にこの世にはいない。

 数十年前、ヴィランとの戦いの中で能力が抑えきれずに暴走。市民をも巻き込む爆発事故、通称「レッドウェーブ」なる事故を起こし、自身も死亡した。スティーブがその事故を起こした際に、母とライナスをマスコミの報道から守ったのが、ライナスが属している新聞社の編集長だ。

 問題は、スティーブがライナスが物心付く前からずっとヒーロー活動に出向き続けて、家庭を顧みなかった事だ。ライナスは母がスティーブの帰還を待ち望み続けた末にこの顛末を迎えて精神のバランスを崩したのを見てしまった。以降、ライナスは編集長を実質親として慕って生きてきた。例え、あの扱いでも。

「君は恨んでいるんだね。スティーブを」
「恨めねえ理由があるかよ……。だから俺は……」

 と、自分の掌を見る。記憶の中で、しっかり覚えている。覚えてしまっている。マルコを助ける為に、スティーブから受け継いだ能力を使った事を。それがライナスの心の置き所を無くしている。あれだけ、スティーブを恨み、父親代わりに編集長を慕い、ヒーロー達の本性を暴こうとしていたのに。

「俺は……」

 ショーンは腕を組み、思い悩むライナスを眺めているがやがて一息つくと。

「君が我々を憎悪する理由は理解した。仮に私が君の立場ならもしかしたら同じ生き方だったかもしれん」
「あんた……」
「だがな。ライナス君。これだけは言っておく」

 そこでショーンはライナスの目を見据える。

「君はスティーブのコピーでも、君を救ったとはいえ、編集長の駒でもない。君は君自身の人生を生きるべきじゃないかな」
「……どういう意味だよ」
「説教は嫌いだろう? ならここから先は宿題だ」

 そう言ってふっと笑うと、ショーンはライナスに背を向けて病室のドアを開いて出ていく。と、すぐに戻ってきて。

「いけないいけない、これを忘れていた」

 スーツのズボンから何かを取り出してライナスの前に置いた。

「何だよこれ」
「マルコさんが回復して来たら君の手から渡しなさい。それと、君と彼の治療費と入院費は私から出しておく。町の平和を守ってくれてありがとう」

 それだけ言い残すとショーンは颯爽と病室から出ていく。変な奴だ……とライナスは思いつつ、受け取ったそれを確認する。どうやら持ち歩き用の写真入れの様だ。中を開けて――――。


「おーい、マルコさん!」

 大体一か月後。ベンチに座っているマルコに、ライナスは声を掛ける。マルコもライナスを見、嬉しそうに顔を綻ばせる。あの事件の後、マルコはリハビリ、ライナスは私事で忙しくしていたが、連絡を取り合いようやく今日会える事になった。マルコはまだ治り切っていないのか杖をつきつつ顔色は良い。その様子を見、ライナスが。

「大分回復したんじゃないか、体調」
「一応歩けるくらいには……ですがその……脳に強い負担が掛かるからもう超能力は使わない様にとお医者さんに釘を刺されてしまいました」
「そうか……辛いな」

 ライナスの言葉に、マルコはいえいえ、と明るい声で。

「でも、超能力使えなくてもヒーロー活動なら出来ますしね。今、子供達に喜んで貰える様に色々教わってるんですよ、バルーンアートとか」

 そう言うマルコの手には練習中なのか、膨らませる前のゴムバルーンがある。本当に凄いなあんた……と呟きつつ、あぁ、そう言えばとライナスはマルコにあの受け取った写真入れを取り出して。

「あの現場で落ちてたのをその……警察が拾ってな。あんたに返す」
「あっ……ありがとうございます。その……」
「……悪い。中身見ちまった。その……映ってる子供って」

 写真入れを受け取り、マルコは大事そうにそれを胸に抱える。その中の写真は……今とはまるで体型は違いスラリとしており、赤いコスチュームが似合うマルコと、彼の腕に楽しそうにぶら下がっている男の子が映っている。

「……私の、いえ、正確には私と別れた妻の子です。リック、って名前で。生きていたら、今年で十歳でした」
「……そうなのか」
「私……その、昔本当はヒーローだったんですよ。だけど上手く幻術使えないし喧嘩も弱いダメダメなヒーローだったんですけど……その子が喜んでくれるから、辞めよう辞めようと思いつつ続けまして」

 やっぱり、とライナスは思う。マルコがヒーローになっている訳、その理由が、無知だとかではなく。

「だけど……あの、レッドウェーブ……。あれで私……」

 マルコの手が震える。ライナスは目を合わせられず俯きながら、だがしっかりと聞き入れる。それがせめてもの、ライナスなりの償いだからだ。

「あれで私……リックを助けられなかったんです。だけどその時、リックが……最後に言ったんです。パパ、ヒーローで居て、って」
「……それで、辞めないで続ける事にしたのか」

 マルコは力強く頷く。ライナスは一言で言えない、こんな因果が巡るのかよと思う気持ちも、そうまでしてヒーローを続けようとするマルコに対する純粋な尊敬も混じる。しかし、どうしても。

「リックが亡くなった後かなり時間が経ってから、なんですけどね……。妻と別れて、一人になって……じっくり考えた時に、やらなきゃならないなって。もう、昔に比べたら能力も衰えましたが」
「そっか……。立派だよ、あんた」

 そうですか……? とマルコは気恥ずかしそうにする。だけど、とライナスはあくまで推測ではあるが、あのダイナーでの時のマルコは死ぬつもりだったんだろうなとは思う。昔ヒーローであるなら組合を知らない筈がないし、きっとあの場で――――皆を逃がす為なら死んでもいい、と。

「だけどさ」

 ベンチから立ち上がって、ライナスはマルコに顔を向ける。向けて、真剣な声色で。

「まだリックに会うのは早いだろ。マルコさん。俺は、あんたに生きててほしい。マジで」

 ライナスの言葉に、マルコは僅かに口を開けると、俯いて、やがて堪える様に歯を食いしばって泣き始めた。ライナスは何も言わず、マルコが泣き終わるまで青空を眺めながら見守る。やけに太陽が眩く見えた。

「今日はありがとうございました」
「いや、俺こそ写真入れ渡せてよかった。あんまり無理しないでね」

 と、マルコが何となく何か言いたそうなのを察して。

「何か小綺麗だな、って思っただろ」
「あっ、いえそんな……」

 確かにライナスの格好は身綺麗というか、ヒーローのゴシップを追っていた時に比べて清潔感のあるカジュアルスーツにサッパリとした短髪と大分装いが変っている。もっと言うと、幾分か健康的になった。

「実は俺も告白すると仕事変えたんだ。……辞める時大分会社と大喧嘩したけど、その……ちゃんと、良い面も悪い面もひっくるめて、ヒーローの事を理解しようと思ってさ。頑張ってジャーナリストになろうと思うんだ」
「ジャーナリストですか……!」
「うん。信頼出来る人に弟子入りっていうか、助手になって今修行中なんだ。毎日目回りそうだけど、充実してるよ」

 そうして、ライナスはマルコに手を差し出す。マルコはそれに応じて、握手をする。

「マルコさん。いつかまた、取材させてくれ。ヒーローとして」
「取材される様に頑張ります。ライナスさんもお元気で」
「あぁ、お互いにな」

 そうして、ライナスはマルコと別れる。いつまた会えるかは分からないし、本当にマルコがヒーローを続けるかは分からない。だが、ポジティブに考えたい。今はそうしたい。

 頭の中でふと、やっぱりマルコはサンタかもしれないと思った。顔や服装ではなく、きっかけをくれた存在として。とはいえ、ちらりと振り向くと髭も生えていない、その顔を見てライナスはボソリと呟く。あくまで照れ隠しで。


「……やっぱり、サンタの面じゃねえな」


<終>

最後まで読んで頂きありがとうございました。

明日は透々実生さんの
Lost Christmas 〜概念保全委員会活動記録〜

をお送りします。お楽しみに。


#パルプアドベントカレンダー2023

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