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第二章・白銀の巨人(2)



「これは……また」
 省吾はその場所を高校生のころ、新しいベッドタウンになると、テレビ番組で何度か紹介されているのを見たことがある。
 ところが、今目の前に広がるのはベッドタウン以前になにもなく、駅前コンビニが「夜九時閉店」の看板を堂々と出している「辺境」そのものだった。
「エライ所に飛ばされたなぁ」
 思わず呟く。
 何しろ、造成工事のまっただ中……ではなく、途中で放棄されたらしい建物の基礎部分が空き地化したものが、延々と広がる風景である。
バス停に行きながらスマホを確認したが、驚いたことにまだ通信帯域に入っている。
「腐ってもビッグフォー傘下の組織、ってことか」
 その彼方に、ぽつんと一軒だけ、ビルがあった。
 銀色のビル……目をこらすと、壁一面が液晶になっていて、AVASの3Dロゴが回転したり拡大したりしながら表示されている。
 一見すると四階建てほどの小さなビルに見えたが、すぐに考えを改める。
 ここからあのビルまでバスが必要なぐらいに離れているのだ。
「周りに比較物がないから大きさと遠さを見誤るな、これは」
 それぐらい、堂々としたビルだ。
 二十階建てはあるだろう。
 


「バイザー」たちを載せたトラックは、次々と地上に出ると、それぞれ一旦分散して渋滞を器用に避け、警察の取り締まり箇所を外すようなルートで東京郊外に出ると、山梨へ向かう高速道路の下をゆく。
 それぞれのトラックは型こそ同じだが、コンテナ部分や牽引車部分の塗装は全て変えてあり、その輪郭が判別しにくいようなデザインになっていた。
 ある一定の間隔を開けて、トラックは進む。
 さらにその上空を、貨物輸送の大型ヘリコプターが数機、飛んでいく。
 日本にしては珍しい、そして見たこともないデザインのヘリだ、と数少ないマニアが数名、空を見上げたが、殆どの人間にとって、空の上のことは感心の外にある。
 スマホにしろ一眼レフの本格的なカメラにせよ、それらに向けられた途端、何故か機能障害を引き起こしてシャッターが降りない、という事態も起こったが、彼等が撮影可能圏内から出ていくとすぐに元通りになったため「一時的な不調」だと誰もが思い込んだ。
 また航空管制室も、一瞬、唐突に現れたヘリコプター数機に驚いたものの、すぐに提出されていたフライトプランを「見落としていた」ことに気づき、そのフライトプランのデータが数秒前に書き加えられたものであるとは認識できなかった。
 こうして「RAVEN」の手は埼玉某所の元ベッドタウン予定地へと伸びていく。



 バスが来た。
 無愛想な運転手に軽く頭を下げ、交通カードを料金支払用のセンサーにかざそうとしたが、
「ああ、このバスは無料」
 とぶっきらぼうに言われた。
 そのまま後ろの席に座り、何もない風景を眺める。
 バスはゆっくりした速度で目的地に向かった。
 やはり、目についてしまうのは有機的なラインが多用された、近未来的なデザインのAVASのビルだ。
(近未来と言うよりあれは要塞だな)
 省吾は近づいてくるにつれ、建物が一見全面液晶パネルで華やか(反バイザー同盟のCMや風景画像を写し続けている)に見えて、実は窓がない装甲なのだと理解した。
 さらに周辺には河が流れているが、暗渠になっているところも多い。
(つまり堀か)
 バスはビルの側にある高い塀の中央にあるゲート前で停車した。
「ありがとう」
 礼を言って降りる。
 この塀も、高いだけで何もないように見えるが、巧妙にあちこちに監視カメラであるファイバーレンズや、いざとなるとその箇所が開いて「何かがせり出してくる」パネルラインが見て取れる。
 ゲートは無人だが、たどり着くと「身分証を提示して下さい」と人工音声が聞こえ、ゲートの門部分にカメラがせり出してきた。
 言われたとおり、身分証をカメラの前に提示して、
「陸上自衛隊、津島省吾陸曹、本日より御世話になります」
 所属部隊名は一応、実験分隊……重要機密に属する……ので名乗らなかった。
 すぐにカメラは引っ込み、門が開く。
「中へどうぞ」
 音声ガイドに従って中に入る。
 門の中に入ると、そこから左にずれた場所にある、もう一つのゲートが開いて、さっそうと白衣を翻し、二メートル近い巨漢が現れた。
「やあ、君が津島陸曹どのか!」
 厳つい骨格を丁寧に鞣し革のような皮膚で覆った、いかにも武人、という顔立ちだが、白衣の着こなしは様になっている。
 だが、白衣と言うより、王様のケープのように見えるのは、二の腕を見ても判るとおり、まるで格闘技の選手なみに鍛え上げた身体故だろう。
 中はだぶっとしたTシャツとジーンズ、そして安全靴という出で立ちだ。
「私はAVASエイヴァス、いやバイザーフォース日本支部の支倉大悟。君の上司になる。役職は学者で、システムオペレーターだ!」
 白衣以外、外見的には何も保証しない身分を、堂々と支倉大悟は名乗った。
(正式な略称はエイヴァスなのか)
「は、よろしくお願いいたします」
 省吾は背筋を伸ばし、堅苦しく敬礼した。
 どうもこの馴れ馴れしさが勘に触ったが、同時にどういう相手であろうとも、初対面、まして民間人にはまず礼儀を尽くす、という自衛隊の教育の賜物である。
「堅苦しい挨拶はいい。津島陸曹、私のことは大悟と呼んでくれ。私も君を省吾と呼ぶ」
「しかし……」
「ここは自衛隊でも役所でもない、民間企業だ。能力の上下で区分けはされるが基本みな同じ扱いになる。平等ではないが公平ではある」
「……」
「というわけで頼むぞ、省吾」
 そう言ってポンポンと肩を叩いて大悟は大笑いした。
(いきなりタメ口に決めやがった、このデカブツ)
 体育会系の塊のような陸上自衛隊の中でも、ここまで図々しいのは滅多にいない。
 そして大抵、そういうタイプに省吾は碌な目に遭わされたことがなかった。
「さあ、とりあえず職場見学だ! 来たまえ、みんなに紹介する」
 そう言って颯爽と大悟が白衣を翻して背中を向けた途端、自衛隊が今年春から「RAVEN」犯罪用に採用したのと同じ、襲撃警報が鳴り響いた。
 省吾は、首を傾げるよりも緊張で周囲に視線を向けた。
「支倉だ、どうした?」
 見ると大悟が白衣からヘッドセットを取り出して通話している。
「省吾、とにかく中へ!」
 そういって小走りになった。
 ついていく省吾だが、警報はますます高く、大きくなっていく。
 通路を進み、奥の扉をくぐると中にいる白衣の職員、背広の職員に交じって、黒い作業服を着用した、自分と同じ雰囲気を持った男女が走りまわっている。
「保安隊の指示に従って、避難所へ移動して下さい! 仕事は中断して!」
 黒い作業服を着けた、省吾と同年齢の若い男が声を張り上げている。



 ビルの地下深くにあるAVASの司令室は厳重に隔離され、装甲されている。
 薄暗い、広大な室内には十数名のオペレーターと分析官が状況を判断し、情報を確認し、手動入力での情報送信を行いつつ、状況の把握と報告を行っている。
 最奥部のオペレーションルームの中核は見永舞、特先裕治のふたりである。
 作戦オペレーターの彼等は同時に、別の重要な役割を負ってもいた。
 ふたりの背後で椅子に悠然と座り、目の前にある数十分割された監視カメラの映像と、周辺レーダー、各種情報を眺めている六〇代と思しい、髪の真っ白な壮漢は、AVASの日本支局長、徳広直也だ。
「予想より三十八時間早い!」
 悲鳴をあげるように、見永舞が叫んだ。
 つい二分前、唐突に、かつめまぐるしく変わり始めた各種センサー、モニター及び外部情報の怒濤の流れを整理しまとめ、各部署へ情報の仕分けを瞬時に行っていく。
 今はAIで出来る部分も多いが、「RAVEN」の騒動以後、ここは旧世代のコンピューターと手動入力で行っている。
 奥の座席の徳広は無言のまま、じっと地形図とそこに挿入される各種監視カメラの映像、およびリアルタイムで測定される「バイザー」たちの移動速度と進行方向を見つめていた。
 かつては防衛省の幕僚であり、同時に兵器開発にも関わったエンジニアでもある彼は、日本では数少ない作戦指揮の出来る科学者でもあった。
「仕方ありませんや、こっちは直観と電卓片手、あっちは量子コンピューターで一瞬ですからね」
特先裕治が、いささか時代がかった口調で言う。
「電卓は使ってないわよ」
「比喩、もののたとえですよ、見永先輩。量子コンピューター以前の旧型しか使えないんですから」
 そう言いながら見永、特先の二人とも手は素早く動き続け、入力オペレーションを続行している。
「防衛体制は構築完了しました。オペレーション要員以外の避難所への退避も終了」
「ヴァルキリーシステムチェック終了、いつでも出せます」
「全職員、待避完了」
「保安隊、保安隊別班第二段階へ移行」
「勝てるかしら、私たち」
 見永が思わず呟いた。
 この場合の「勝利」は「バイザー」たちを殲滅することは入っていない。
「バイザー」の襲撃を受けて七割の人員に被害が及ばず、施設の六割の無傷を維持できるか、ということだった。
「勝率は五○に上がるかどうか、ってとこかな?」
『こちら大悟、今一〇〇になった』
 不意にふたりのヘッドセットに支倉大悟の深い声が割り込んだ。
『バイザーライダーが到着した』
「でも、こちらの「ヴァルキリー」の稼動には認証が……最低でも本国の承認を取り付けるには十二分かかります」
「第一、着任の認証がまだ……」
 それまで沈黙していた徳広が、初めて口を開いた。
「人間相手は後回しだ【ヴァルキリー】を先にする。大悟、やれ!」



 AVASの保安隊別班は、同時刻、省吾たちから離れた施設の北端に位置する詰め所兼格納庫で準備を終えていた。
 その装備はアーマースーツである。
 自衛隊が開発していたものとは違う、ドイツとアメリカが共同開発していた重装備のものだ。
 正式名称はAMA―01A・愛称は「愚連隊ラフネック
 身体強化装備という概念を初めて小説に持ち込んだロバート・A・ハインラインの小説「宇宙の戦士」からの引用だ。
 それが三〇体。
 率いているのは蓮杖猟子れんじょうりょうこ、元自衛官だ。
「三十八時間早いな」
 ようやく全ての装備類の構成が整った途端の警報である。
 切れ長の目を細めつつ、猟子は俯いたような体勢で固定されたアーマースーツの武装を点検し、自らも、背中の部分からその中に納まった。
 鍛え上げて、女性ならではの柔らかいラインを残しつつ引き締まった身体を、それまで展開していた無骨な装甲が覆う……現在開発中の他のアーマースーツと違って、このAMA―01Aラフネックは中の人間を防御するために装甲板が覆うようになっている。
 この辺が最新型たる所以だ。
「準備を繰り上げて正解でしたね、隊長」
 隊員のひとりが数歩歩いて調子を確認しながら言う。
「とにかく、ありったけの武器をぶちこむ用意をしろ! 時間を稼げ! 予定では今日こそ勝てる筈だ!」
 そう大声で命じ、部下たちが従うのを見ながら、猟子自身も自分のスーツを点検する。
「総員準備完了、いつでも出られます!」
「よし、待機!」
 赤みがかったショートヘアの猟子は、ヘッドセットでこの施設の指揮所へ通信を繋いだ。
「徳広指揮官、蓮杖です。保安隊別班、準備完了です」
 日本AVASの支局長、徳広直也が落ち着いた声で応えた。
『頼めるかね?』
「過剰な期待なさらなければ、ご期待にお答えできると思います」
『いい返事だ』
 徳広が微笑む気配がした。
『頼む。最悪を想定してこちらも「ヴァルキリー」を準備させる』
「動かせるんですか?」
 猟子が驚くと、
『今、パイロットがついた。支倉君が「暴走」してくれるだろう』



 最初、省吾は大悟に言われるまま……というより保安部の人間の誘導通りに避難所へ移動していたが、途中で大悟が足を停めた。
「判りました、はい。結構です。私も書類処理なんかしてる場合じゃないと考えていました。はい、局長の思惑に乗ります……ええ。私の『暴走』は今に始まったことじゃありませんから」
ヘッドセットの通話越しに聞こえる会話はよく分からない。
 だが、省吾は「何か」が起こると直感した。
「すまんが、避難はなしだ」
 振り向いた大悟の顔からは最初のころの笑みは拭い去られていた。
 そうなると端正な鬼瓦めいた顔立ちが現状のシリアスさを嫌でも理解させる。
「これから、君の仕事を早速して貰う」
「判りました」
「ちと命がけになるが、いいか?」
 省吾はにやりと笑った。
「状況と事情の説明はして貰えますか?」
「後でな。今は急ぐ」
「了解です、支倉博士」
「大悟と呼んでくれと言っただろう?」
 にやりと白衣の巨漢は笑い返した。



 監視カメラの死角になっている場所というのは郊外につれて増えてくる。
 大きな私道、古いビルの建ち並ぶ旧市街、取り壊すことになった古いショッピングモール周辺。
 今回「RAVEN」が選んだのは、取り壊しの決まった立体駐車場近辺だった。
 先行していた無人操縦の自動車のシャフト部分に併設されていた投下装置から幾つもの発煙筒や煙幕弾が投下され、煙が周辺に充満する。
 半径二キロに及ぶ煙幕の中、「バイザー」たちはトレーラーから次々と降りた。
 警察と消防が来る前に、彼等は走り出す。
 停車した自動車の屋根を踏み潰し、バスを蹴り飛ばしながら。
 十数体の「バイザー」たちが突如現れ、現場は混乱に陥った。
 これまで、日本国内では「RAVENの叛乱」の夜以後、「バイザー」が現れることはなかったからだ。
 そうでなくとも身長六メートルの黒い巨人が現れたのだから、驚愕は無理もない。
 パニックになる人々をよそに、「バイザー」たちは郊外の町を駆け抜けた。
 立ち塞がる建物があれば、窓に手を、爪先を突っ込んでよじ登り、屋上を蹴り砕いてジャンプして遅れを取りもどす。
 「バイザー」の群れは、そのまま山の中に迷わず突っ込む。
 ほんの数キロの道程。森を抜け、岩場を乗り越え、林を突っ切る。
 時速四〇キロで移動する、身長六メートルの巨人達にとって、それは散歩にもならない距離であった。


(つづく)




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