目はクリクリと大きく頬は朱で(その5)

 ナンセンスと言えば小林だが、萌星でも柿揚からするとナンセンスな指摘が上がっていた。

 いくつかあったが、合わせて要約すると
「女学生の日常生活はあのようなものではない。」
 という指摘だ。

 そのくらいわからいでか。
 柿揚には女学校に通っている妹がいるが、その、家での荒々しい生態と言動から、女学校のクラス生活が如何に修羅の世界であるかを特に観察せずとも察することが出来る。
 男子学級が楽園である、とは言わないが、女学校のクラスは男子学級からすれば妬みと嫉妬が渦巻く派閥地獄であり、いっときひどかった皇道派と統制派の抗争も鼻白むというものである。

 それはそれで抗争物とでも銘打ってありのまま小説に映し出すのも面白いが、どうせこんな下らない指摘をした連中もそれは望んではいまい。
 兄貴が帝大に通っているエっちゃん派と華族出身のフキちゃんの派閥が掃除の当番だ、通学路にある店の使用権だので日々陰湿な振る舞いをお互い行うのである。
 そして縁談が持ち上がるか、決まるたびに学友は抜けていき、卒業までに残るのは選りすぐられた婆娑羅のみという、他に例えようもない第何番目かくらいかの地獄である。

 実に面白いが可憐ではないし、可愛くもない、美しくもない。
 そんな物は俺の望むところではないし、読者も望むまい。

 柿揚は指摘を真摯に受け止め、技術の向上を考える男であったが、これらの指摘については方向性の違いということで黙殺することにした。

 萌星を編集する「月見」氏は罵詈讒謗と冷静な感想をよりわけて掲載しているため、もしかしたら手ひどい暴言のような指摘があるのかも知れないが、それは柿揚には知るよしもない。
 
 それはそうと柿揚は先ほどのナンセンス!から言葉を続ける。

「日本が立ちゆくかゆかないかわかるものか。見通しなんて誰にもわからない。俺たちなんかよりよっぽどの切れ者があつまる大本営の参謀達が日々ねじりはちまきで作戦を練って、支那の戦争は何年で片がつく、蒋介石は降伏する、馬賊は雁首並べて恭順してくる、などと計算しているが、当たったためしがない。
 俺たち素人がここでいくら議論をしたところで立ちゆくかゆかないかなんてわかろうはずもないではないか。」

平野「しかし柿揚、いくらわからんにしても、大ざっぱにこうなるああなると予想も立てられないんじゃ、俺たちのこの先はおぼつかんぜ。」
杜「そうだ、柿揚、わからんからと言って最初から匙をなげるんじゃ無責任じゃないか。しらんぷりを決めたっていずれ俺たちにも戦争はふりかかってくるぜ。」

 ここで議論をしている連中はとどのつまり戦争に行きたくないだけなのだが、日本人としての責務であるとか、大義であるとか、言葉の限りを尽くして空理空論を振り回している。
 もちろん俺だって行きたくない。
 軍隊に入ったらセーラー服の少女どころではないし、戦地で怪我でもしたら元も子もない。怪我ですんだらいいが死んだらそれっきりだ。
 二等兵で行きたくなけりゃ俺たちは大学生なのだから将校になっていくらかでも戦場で死ににくい立場(後方の参謀なんかが最高だろう)を目指すという手もある。
 こいつらは腹が決まらないから、わかりっこない日本の将来についてああでもないこうでもないと堂々巡りの話し合いをしている。

 ちなみに俺は算段がきまっている。
 大学を出たら叔父の商社に幹部待遇で就職して地方の支店を巡り、最後は駒込の本社でそれなりの役職で勤務するのだ。
 叔父の商社は市町村の役所や軍隊に深く食い込んでおり、叔父が手を回せば俺は徴兵を免れるとのことだ。
 もともと、妹はいるが男兄弟のない長男だから優先順位は低い方だと聞いたので、俺が戦場に行く可能性は少なくともこいつらよりは低い。
 その点は実は安心している。我ながら卑怯だとは思うが、俺は自覚している。

「ナンセンス!」
 今日二回目のナンセンスを通達する。
「ふりかかるとはなにか!降りかかる火の粉を払うんじゃない、自ら火の元に飛び込むことが日本男児の生き様じゃないのか。俺は戦地に行くなら招集を受けて二等兵で望む覚悟だ(その可能性はほぼないから言うだけだが)。
 将校としてではなく、一兵卒として戦地に臨み、お国のために戦う覚悟だが、君たちにはないのか。
 ないようだ、どうも話がかみ合わないと思ったが、今日確信した。
 俺と君たちは哲学が違ったんじゃなくて覚悟の有無が違ったのだな。」

 小林がやにわに立ち上がる。
「そりゃいくらなんでも侮辱だ!」
杜「俺は少尉になって満州に渡るぞ!」
平野「俺もだ!」

 ーなんだ満州なんて安全地帯じゃないかー

 と、柿揚は思ったが、流石に兵隊に行く気もない自分が指摘するのは気が引けたため言わなかった。

「柿揚君!僕は将校になって南方に行くよ。」

ー橘!ー

杜「南方?」
橘「日本は近い将来南方の資源獲得のために南進すると思う。まあ、しないかもしれないが・・・僕の目論見通りならあと数年後には必ずやると思うんだ。僕の人生計画からすると、僕が軍隊に入って少尉か中尉の頃になるんじゃないかとにらんでる。」

 ー橘修平ー・・・古い武家の系譜、西南の役で曾祖父は斬り込みで名を馳せた大隊長、祖父は日清戦争では連隊長、日露戦争の師団参謀(件の軍神橘中佐は親族だそうだ)、親父は北支で中隊長をやっている、大日本帝国の戦争の歴史を一族で漏れなく体験している軍人一家、産まれたときにすでに額に陸軍の星の徽章がついてたって話だ。

橘「もし僕の見立てが正しければ、柿揚君、君とは南方のどこかの島で会うことになるかも知れないね。」

柿揚「そうか、南方か、それは僕も感づかなかったが、君が見立てたんならそうなるんだろう、きっと。フィリッピンかジャワかシャムか、わからないが、僕は橘中隊長の下で大いに働くつもりだ。
 それでは諸君、僕は帰るよ。南方と聞いていてもたってもいられなくなってしまった。橘、ありがとう!」

 帰路、柿揚は毒づいた。
 南方!?列強の権益地帯がひしめいてるじゃないか。全部に喧嘩売るっていうのか。新聞の論調は確かにやっちまえ!というものだが、まさかそれを帝国政府が真に受けてやっちまえ!でやっちまうってのか。
 ・・・まあ、俺は幸い兵隊に行く予定はない。戦争が大きくなればなるほど叔父の会社も儲けるって仕組みだ・・・なんの心配もない。
 遠い海の向こうの話サ・・・

 それよりセーラー服の少女だ。今の俺の技量では萌星の中堅にも入りやしない。もっともっと研鑽しなければ。
 戦争などどこ吹く風か、柿揚の意識はセーラー服の少女に集中した。

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