対戦車の星(その2)

「先輩、駅までご一緒します!」
「荒川か。」

 東川崎高校無反動砲部の1年生、荒川瑠心(るこ)は部活のない日は必ず杉村の後を追って駅までついていく。
 大会が終わると一気に夏はかけ過ぎていく。
 今年は特に早かった。
 杉村への取材などが学校にひっきりなしにくるなどして、慌ただしさが全校を覆ったためだ。
 
 しかしそういった喧噪も過ぎ去り、季節は秋になりつつあった。
 日常は平穏を取り戻し、天は高く、空気は乾燥を伴うにつれ澄んでいく。
 荒川はこの秋への季節の変わり目が好きだった。

「先輩、この間のクッキー食べてくれました?」
「ん、ああ。そうだな、食べた。ところで荒川、世界最強の戦車ってなんだろう。」
「ごめんなさい先輩、私そういうの疎くて、知らないんです。」
 荒川はクッキーを食べてくれたという回答に満足しつつ、杉村の質問にいつもいつも回答できない自分を責める。
「俺はやはり米軍の戦車が世界で一番だと思う。
 このあいだようやくエイブラムズが退役してシュワルツコフが配備されたが、その改型が早くもアフガンに行ったらしいんだ。」
「そうなんですか。そのシュワルツコフさんはロシアの方なんですか。」
「いや、戦車の名前だ。大昔、湾岸戦争で活躍した将軍の名前から取っているんだ。俺たちが産まれるずっと前の戦争だよ。」
「すいません、戦車の話でしたもんね。」
「シュワルツコフ改が世界最強だとは思うけど、日本の10式戦車の改3型も次世代戦車の性能をほぼ完全に取り入れていて、実戦経験はないものの、シュワルツコフ戦車にひけをとらない。
 戦車と言えばドイツだが、こっちも負けていない。
 レオパルドがついに退役してガートという戦車が配備される。
 このガートも相当なクセモノだ。」
「へえ。」
 荒川はいつも杉村の博識に圧倒される。

「最近の戦車は対戦車火器対策が進歩していて、歩兵が携帯できる無反動の類で攻撃してもなかなか撃破できないそうだ。」

「部活動でしっかり頑張らないと戦えないですね、先輩。」
「ああ、一発必中だ。
 どんな戦車にも必ず弱点がある。構造上必ず、接合部はむき出しだし、光学部品もどうしても露出する。砲自体にも装甲はない。」
「なんだか頑張ったらいけそうですね、先輩!」

 秋風がそよふく土手の上は案外肌寒い。
 先日冬服に衣替えしたときは、まだまだ暑かったのだが、わずかの間に冬服が手放せなくなってきた。
 陽もつるべ落としだ。
 多摩川の上流に真っ赤で大きな太陽が沈みつつある。
 
 土手の下を走る産業道路はさかんにトラックが行き交い、景気の良さを物語る。これから冬に向けてなにか増産でもしているのだろうか。
 産業の都市に生まれ育った二人にとってはこれが原風景なのだ。

 その時、行き交うトラックの列から一台の車が土手に荒々しく駆け上ってきた。
 二人が異変に気付いたのは早かった。
 杉村がいちはやく、その車を認め、構える。
「自衛隊の装甲パジェロだ。」
「自衛隊?」

 装甲パジェロは悪路走行が可能なのだろう、凸凹の土手斜面を難なく走り、二人の隣に駐まった。
 中から迷彩服の自衛官が降りてきた。
 陸自仕様のデジタル迷彩、頭のヘルメットは限定的ながら光学的な迷彩機能もあるらしい。
 杉村はこの迷彩服の男を知っている。星村2尉だ。

「やあ、杉村君。ちょっと驚かせちゃったな。そちらは彼女?
 いやっはは、かわいいねえ。」
「違います!」
 荒川は顔を真っ赤にして反論した。
「おっと、失礼した。違ったようだ。」
「こんにちは。なんの御用でしょうか、星村さん。」
 杉村は強引に本題にひきこむ。

 星村は胸ポケットからタバコを取り出し、火を点けて言った。
「失礼するよ、タバコ。
 いやなに、この間の大会以来あってないところが、走っていたら君がいたんでちょっと挨拶にと思ってね。」
「それはわざわざご丁寧にありがとうございます。
 タバコですか。よいご趣味ですね。」
「そうだろう、良い趣味だろう。俺の商売ほどじゃないけどね。」
 星村は二人から顔を背けて煙をはく。
「ここはまだギリギリ条例でたばこが吸える。
 人に向けて煙をはくのは御法度だけどね。」
「絶滅危惧種ですね、タバコを吸う人は。」
「ああ、部隊でも吸っているのは私くらいなものさ。」

 荒川は目の前の人物が伝説の男だという実感が湧かなかった。
 無反動砲部に在籍する高校生ならここでサインを要求するのだろうが、今はそういう気分になれない。
 やけに杉村がアンチの気勢をはっているのだ。

 星村が右手を差し出してきた。
 杉村が応じて握手が成立した。
 分厚い掌、40男のごつごつした無闇な力強さが直接伝わってくる。
 杉村は呑まれまいと握り返す。
「光栄だ、杉村君。
 あの三発を決めた英雄と私は今握手をしている。
 できればサインも欲しいところだ。」
 星村は二カッと笑う。
 杉村は無表情だ。
「是非きみに伝えたいことがあってね。」
「なんでしょうか。」
「あらためて、あの技量には感服した。
 謙遜抜きであの射撃は私にはできない。純粋に技量的な問題でね。」
「ありがとうございます。今後も研鑽を積ませていただきます。
 こちらこそご指導ご鞭撻のほどお願いします。」
 固く握った握手を振りながら星村は続けた。
「もうひとついいかな。」
 星村は握った手に力を込める。

「でも、君は対戦車マンではない。」

 杉村は握手をほどいた。

 土手に秋風が吹き抜ける。
 太陽は頭一つを多摩川に残すのみ。
 三人のシルエットは土手でたなびくススキの中にあった。

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