目はクリクリと大きく頬は朱で(その34)

 日本からの便りは俘虜達に様々な悲喜劇をもたらした。
 今次の戦争では何百万もの軍民に犠牲がでたため、宛先がまるごと消滅した俘虜もままあり、そうでなくとも誰が死んだ彼が死んだという報せには事欠かなかった。
 
 柿揚はそのなかでも奇跡的に家族に大きな不幸がなかったのだが、友人達は運がなかった。
 橘やその他の俘虜達からもたらされた柿揚の学友達の最期は哀れであった。
 
 いつも柿揚に話の腰を折られていた小林は理系学部へ移ろうとしたが失敗し、諦めて幹部候補生になり、北支に渡った。
 北支司令部の兵器管理掛に配置され、北京で安穏と勤務に就いていたのだが、隷下師団の兵器点検で出かけた際に便衣兵の襲撃を受けて戦死した。
 市街地に潜伏していた数名による襲撃で、銃を乱射しただけという稚拙な攻撃だったため、小林の他には数名のけが人が出ただけだった。
 
 現場にいたという下士官は銃撃を伏せてやりすごし、頭をヒョイと上げたら部屋の隅で小林少尉が尻餅をついて動かないから「しっかりしてください」と手をさしのべたところ、どうも様子がおかしいと思ってゆすったところ、頭から血を流して死んでいるのがわかった、という話である。
 部屋に入り込んだ弾丸に不運にも当たってしまったのだろう。
 
 杜は海軍に入ったのだが、その進路はおそらくは彼の希望とは違い、予科練習生になってしまう。不器用な男で、到底飛行機の操縦などできないと思われた。果たして霞ヶ浦で訓練中に事故を起こして丸焼けになって殉職した。

 しかし同期の語るところによると事故の原因はおそらく整備不良であろうとのことである。
 杜の黒こげの顔には操縦桿が深々とめりこんでおり、おそらく生きながらに焼かれる苦痛は味わなかったと思われる。
 不幸中の幸いか。
 あと余談だが杜は宇佐勤務中に地元の娘を妊娠させていたという。
 この娘の今後が気になるところであるが、その消息はわからない。

 平野は造船企業に就職してうまいこと招集免除を勝ち取ったが、昭和19年の暮れには招集免除の御利益も敵わず招集され、南海の孤島に送られ、その途中、輸送船ごと海底に沈んだ。
(なお、柿揚の叔父が招集免除であくまで粘っていた場合、柿揚も平野と同じ運命を辿っていたかも知れない。)
 これは噂だが、平野が乗った輸送船は平野の造船企業が建造した船で、招集されるまで平野がその船の何かの掛になっていたそうだ。
 うまい話なので、柿揚は信じなかった。 

「みんな死んじまったなぁ。」
 橘がこぼす。
 二人は管理棟の庭の斜面に座って友人の消息を語り合っていた。
 向かいの丘に立つ造作の悪い教会に夕日がかかりはじめていた。

 柿揚は彼らの消息を聞いて恥じ入る。
 学生時代彼らが将校になって満州に渡ると言ったときに
「なんだ、安全地帯じゃないか」
 などと思っていた自分を思い出していた。
「運だよ、運、全ては運だ。」
「そうだな・・・」

 確かに運である。
 当時彼らを安全地帯を希望する卑怯な小市民と断じた自分は確かに恥ずべきであるが、今明かされた生死の結果についての評価は平等である。
 結果的には柿揚もフィリピンの戦場に送られ、今生きているのは全くの偶然である。
 柿揚が比島へ送られていた時期だって輸送船が沈められることはままあったし、ゲリラ討伐で死ななかったのも偶然の域をそうそう出るものでもない。
 水くみ中に遭遇した米軍の砲撃で身体が四散したのは用賀一等兵であったが、それが柿揚であってもなんの不思議もなかった。
 桑原に会っていなければ衰弱死していたかもしれない。
 やけをおこして本当に斬り込みをしていたかもしれない。
 米軍に投降できたのも運が良かった。対峙した米兵が小心者だったなら柿揚は射殺されていただろう。

 小林も杜も平野も全員運が悪かった。

「帰ったらお弔いしなきゃな。」
「正直な話をするぜ、橘。これは自分を棚に上げた話なんだが、俺はあいつらをバカにしていた。小市民的で小狡くて、そのくせいっぱしに学はあった。そんなあいつらにどうしてもなじめなかった。」
「俺だって正味の所はそんなもんさ。」
「でも、死んで良しという悪人じゃあなかった。
 なにも死ななくたってよかった。」
「さっきから言ってるが、運だよ、運。天命だよ、柿揚。」

「柿揚、俺は帰ったら兄貴の未亡人と結婚することになった。」
「兄貴の?」
「兄貴は新婚早々沖縄で死んだらしいんだ。」
「たまにそういう話は聞くが、まさかお前がなあ。いいのかい。」
「いいもクソもないよ。軍人一家橘家の宿命さ。
 俺もその義姉さんは写真でしか見たことがないが、なかなかの器量良しだ。生き残っただけでも運が良いってところなんだから文句は言うまいよ。」
「天命か。」
 
「柿揚、俺はディオニーソスだよ。」
「なんだい藪から棒に。」
「俺は兄貴の影さ。
 兄貴が死んでようやく橘家オリンポス十二柱に上番だよ。
 兄貴は差し詰め柱を譲ってくれたヘステイアだな。」
「橘家の長子かあ、気苦労が多そうだ。」
「今まで出来の良い兄貴のおかげで大過なく過ごせていた。
 しかしヘステイアは女神だから、そうだな、俺はヘステイアのヒモだったってわけだ。」
「ヘステイア無しじゃこれからはそうもいかんってわけか。」

「しかしなあ、柿揚笑うなよ、俺にも一人前に恋愛ってやつをしていたんだぜ。お前らと喫茶店で侃々諤々やってるときに俺はフッと消えることがあったろう。」
「俺も消えていたからな。わかるよ。」
「あれはな、店を変えて、そう、ミルクホールに行ってたんだ。」
「なんだ古風だな。まだあったのかよ、ミルクホールなんか。」
「店長が懐古趣味でな。それで俺はそこの女給に入れあげてたってわけだよ。橘家の男子としちゃ落第点なんだろうけどさ。」
「へえ、お前の印象ががらりと変わったよ。」
「出征前にいい仲にはなっていたんだが、踏ん切りがつかなくてなあ。
 どうせ死ぬだろうさって思っていたから結婚だなんて言い出せなくて、そのままフィリピンだ。」
「そりゃあ惜しいことをしたな。」
「ピエロだ、まるで。運命の壇上で空踊りだ。無為に幸運を求めていただけの愚か者だ。結婚を申し込んで強行していれば、兄貴の嫁さんをもらうこともなかったろうになあ。」
「なに、壇上に出会いを求めるのもあながち間違いじゃないさ。」
「気休め言うない。」
「お前みたいな悲劇を聞かされちゃ気休めしかいえっこない。」
「そうだな、ありがとよ。
 しかしだ、悲劇だなんておおげさだ。死んだ奴が一等賞、帰る場所が焼けてなくなったやつが二等賞、俺の悲劇なんてビリッケツの部類だろう。」「そうだな。生きて帰るんだ、しのごはいうまい。」

 飯上げの声が広場から聞こえてくる。

「さ、コーンビーフ汁もあと少しで食べおさめだ。
 味わいに行くとするか。」
「なんだ将校棟も一緒のメニューか。」
「お前らと違って銀蠅っていうのか、海軍の万引き。あれができない分、粗末なもんだよ。」
 橘は柿揚に肉の缶詰をリクエストして将校棟に戻っていった。

 帰国まであと2週間
 明日は帰国編成の発表である。

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