目はクリクリと大きく頬は朱で(その28)
ある日、夜中にサイレンが鳴りひびいた。
消灯過ぎの出来事であったが、収容棟は大騒ぎになり、俘虜達は軍隊時代を思い出して急ぎ足で広場に集まった。
なんだなんだと烏合の衆達が西の空を見ると、海の方でサーチライトがいくつも空を照らしつけていた。
誰かが叫んだ。
「友軍の爆撃だ!」
ここ何ヶ月であろうか、もう久しく友軍の飛来を警戒するサーチライトなど見ていなかった。だからこそ、今晩は日本軍が温存してきたその全力でフィリピン奪回のための大部隊を送り込んできたのだ。
おおかたの俘虜達はそう解釈した。
俘虜達は騒ぎの度を増し、ある者は柵に駆け寄り、ある者は土工具を出すために倉庫に急いだ。
「友軍の爆弾で殺されたんじゃ割にあわねえ!」
「ちょっとでも穴を掘るんだ!」
俘虜達は日本軍が自軍の俘虜など一顧だにしないだろうと確信していた。
自分たちだって捕虜になるまでは降伏した兵隊の命のことなど考えたことがない。誰だってそうだろう、これから爆弾を雨あられと降らす友軍機の爆撃手だってそうだろう。
米軍施設だろうと俘虜収容棟だろうとおかまいなしだ。
この混乱は各俘虜中隊の中隊長と本部勤務者がなんとかおさめた。
「動くなー!騒ぐなー!空襲じゃないぞ、攻撃はなーい!」
「点呼隊形に集まれー!」
本部勤務者や少数の落ち着いた者が共同して俘虜を点呼の態勢に集める。
喧噪一転静まった広場に俘虜達が整然と並んだ。
うやうやしく大隊長の白石が点呼隊形の中央に現れて宣言した
「米軍情報によると、日本は連合国の休戦案を受け容れたそうである。」
点呼隊形ががやがやとにわかに騒ぎ出した。
「私語やめい!
どのような休戦案なのか、日本がどの程度それを受け容れたのか、細部は依然不明である。
我々俘虜は軽挙妄動を慎み、日々の勤めを変わらず果たすべし。
大隊長としては連絡員を増やし、米軍情報を逐一入手、その都度発表するつもりであるから、勝手な噂を流すことのないように!
以上解散!寝ろ!」
白石というのはもともと第16師団の砲兵の兵長あがりの男で、自身は曹長だったと詐称していたが、今では信じる者はいない。
もっとも彼の収容所内での権力の大きさと、今更曹長だの兵長だのの階級がなんら意味を持たないという二点の理由で指摘されることはない。
耳が遠く、それゆえか声が大きく、体躯もがっしりした強面で、海軍の俘虜が多数いた最初期の収容所で少数派であった陸軍俘虜でありながら政治力を発揮して子分を増やし、今の地位に就いている。
エゴイストかつ見た目に似合わず小心な男で、食糧の分配などで公正に欠けるなど欠点が多々あったが、大隊長という、なんだかんだと気苦労の大きい役職を概ね良く勤めていた。
俘虜達を解散させた白石は本部勤務者を連れて米軍管理棟に向かった。
俘虜達は白石に禁じられたうわさ話をさっそくしながら収容棟に戻る。
柿揚は知っていた。
白石の言っていた休戦案というのがポツダム宣言であることを。
中隊付サージァントが持ってくる軍機関紙、米新聞紙等ではその宣言を日本が受け容れるかどうか、毎日一喜一憂の記事が載っていた。
英語が出来る者はだいたいみんな知っており、英語が出来なくともそういう情報収集に長けた者が興味のある俘虜達に触れ回っていたから、まあ俘虜の半数はポツダム宣言の名前くらいは聞いたことがあるだろう。
「カキ、日本は負けたんか。」
桑原上等兵が収容棟への帰路訊ねてきた。
「負けましたね。」
「負けるのはおおよそわかってたがこれからどうなるんだ。」
「休戦案というのはポツダム宣言と言いまして、これの内容を全て飲むとなれば台湾と朝鮮はアメリカ、というか連合国のものになり、戦争指導者は戦争犯罪人としてきっと銃殺か絞首刑でしょうね。」
「日本はばらばらになるんか。賠償金はどうなる。」
「明治維新の頃の領土に戻りますがバラバラには多分ならないと思います。
賠償金には触れていなかったと思いますが、まあ、ふんだくられるでしょうね。」
「天皇さんはどうなる。」
「さあ・・・連合国が陛下を戦争指導者だと強弁すれば陛下とて処刑はまぬがれないかもしれませんが・・・」
「そりゃあ困る。大臣が何人銃殺でも縛り首になっても痛くもかゆくもないが、天皇さんがそれじゃ、それじゃ困る。」
桑原上等兵はいつになく毛色ばんだ。
軍隊でも収容所でもそういうそぶりはいままで見せていなかったが、案外尊皇家であったようだ。
「私は、柿揚は思いますが、連合国は合理的な思考で日本に対するでしょうから、もし日本から天皇陛下を除けば大混乱が生じ、結果的に休戦や自らの勝利にケチがつくと判断すると思います。
つまり連合国が天皇陛下を害することはないと。」
「そうか、カキがそういうんならそうなんだろう。
じゃあ安心して眠れるぜ。」
桑原上等兵をとりあえずは安心させたものの、柿揚にだって当然だが今後の推移などわかったものではない。
神々廻が俘虜の群れの中から柿揚を見つけて駆け寄ってきた。
「柿揚さん、ついに戦争も終わりですね。」
神々廻はやや興奮気味であった。
「ああ、ついに帰国できそうだ。あと何ヶ月かかるかわからないけど。」
「どうです、萌星で戦争終結特集でも。」
「君、それは白石じゃないが軽挙妄動だと思うね。
萌星は時事誌ではなく文芸誌なんだから、いつも通りで行こう。」
「そうですね。金子さんもそう言うと思います。」
「白石なんかに言われるまでもなく我々はいつも通りの日常を送る。
それが最善だと思う。」
翌日、編集部に白石が本部勤務員を連れ立ってやってきた。
「金子編集長、ポツダム宣言の件で米軍から指令があった。」
「なんでっしゃろ、大隊長。」
「貴誌は文芸誌であるのでその存立の意義を再度確認されたい。
つまり休戦のことには触れるな、ということだ。」
「そんなん言われんでも触れるつもりないですわいな。
萌星からしたらそないなもんマラやらケツメドみたいなもんや。
触りとうもない。」
金子編集長は大きく笑い出した。
「それと大佐が編集方針に介入する件を伝えてきた。」
金子編集長が笑いを止めた。
柿揚も神々廻も聞き耳を立てる。
東海林も校正の手を止めた。
「貴誌の戦車の小説には多国籍の登場人物が出てくるが、そのうち米人女子に「アリッサ」を登場させるべし。かつ「アリッサ」には作中枢要な地位を与うるべし。とのことだ。」
金子編集長は肩すかしをくらった格好で白石に問いただした。
「アリッサはんはいったいどこのどなたなんでっしゃろ。」
「大佐の孫で一週間前に産まれたそうだ。」
数日後の萌星に載った「少女機甲倶楽部」に「アリッサ」は登場した。
奇しくもその日は8月15日
豊満な肉体に愛嬌のある栗毛の美少女で、笑顔を絶やさず僚友愛に富み、戦車の操縦も弾薬装填も射撃も満点で皆に愛され信頼される完璧な人物として物語をリードした。
しかし前日に日本の降伏を知らされていた俘虜達はさすがにそれどころではなく、アリッサの活躍が皆の深く知るところとはならなかったのはちょっとした不幸であったろうか。
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