目はクリクリと大きく頬は朱で(その33)

 11月、ついに萌星の最終号が発行された日、日本からの郵便が届いた。
 野間中佐が手配した郵便で俘虜達が手紙を出したのが3ヶ月前である。
 この手紙は途中紆余曲折を経て、なんとか日本に届き、郵路を通り各宛先に向かった。
 そして日本からの手紙も紆余曲折、万里波頭を越えて、ここ、ダンガンロンパ俘虜収容所に届いたのだ。

 米軍のトラックが収容所の広場に乗り込んできて、係の兵隊が強化ボール紙で出来た箱をいくつも無造作に置いていった。
 箱は白石大隊長以下役員達が開封し、午後までかかって各収容棟に手紙を分別した。
 強化ボール紙は役得として白石達が持って帰っていった。

 柿揚にも2通手紙が来ていた。
 両親から1通、叔父から1通。
 柿揚はこの返事の手紙を見て、自分が生きていることは伝わっているようでひとまず安心した。

 まず両親からの手紙を見てみる。
 まず一通り息子である自分が無事であることの喜び、戦死告知書が来たときに母が1週間寝込んだことなどが書いてあった。
 東京の空襲は運良く全部やり過ごしたが、隣家に迫った火勢で半分ほど焼けてしまった。生活には困らないが柿揚の部屋と仏間が使えなくなったので荷物は二階に引き上げているそうだ。

 しかしなによりまず驚いたのは妹、同封されていた倫子の花嫁姿の写真であった。妹は柿揚が出征した翌年、叔父の伝手でお見合いがなされ、軍人の妻となっていた。
 相手はなんと大本営で参謀をしている(していた、だろう)中佐だそうだ。もっとも戦争が終わった今は大本営も何もないのだろうが。

 しかしなんとも堅苦しい義弟ができたもんだ。兄貴は陸軍歩兵一等兵なのに弟が陸軍歩兵中佐では釣り合いが取れない。
 正月に一座で介したら一体俺はどう挨拶したものか、挨拶じゃなくて敬礼か。まあ、日本の軍隊は解散したそうだから、中佐も兵卒もいまさら関係ないだろう。 

 そんなひねくれた感想を頭に並べつつ、柿揚の目には涙が溢れていた。
 いったいなんだろう、この涙は。
 思えば妹とは幼少の頃を除いてあまり接していない。
 同じ家に住みながら知らぬ間に成長し、学校に通いだし、今度は結婚している。

 兄貴らしいことは何一つしてやれなかった。などという殊勝な心がけが今頃になって急に沸いてきたが、なにせ急に沸いたものだから「兄貴らしいこと」がどんなことかさえ思いつかない。
 
 中隊長や他の大陸の戦を転々としてきたような歴戦の勇士達とは比べるべくもないが、柿揚とて招集以来、自身の歴史の中でこれほど異質で野蛮な生活に身を置いたことはない。
 その異質な生活に舞い込んできた、かつての平穏な生活の匂いが誘った涙だったのかも知れない。
 
「おや、柿揚さん、その女性はもしかしてお見合い写真では。」
 神々廻が背後からやってきた。
「見るなよ。」
 といいつつ柿揚は神々廻に写真を差し出す。
「俺の見合いなんかじゃない。妹なんだ。知らないうちに軍人と結婚していたよ。」 
「これはべっぴんさんですねえ。」

 そうなのだ。
 柿揚は妹がこんなにめかし込んで綺麗な衣装でおさまっている姿は見たことがないのだ。
 柿揚にとっての妹はあくまで女学校時代の婆娑羅女であり、夏目漱石の小説中に出てくる主役と脇役を男同士の恋仲にし、柔道の道場でむつみ合う創作小説を書いて学校で回し読みをしていた変態なのだ。
 それが今は立派な軍人(元だが)の妻として、凛とした美人におさまっているのがどうしても解せない。

「柿揚さん、もうお認めなさいよ。あなた妹さんを内心ずっと誇りに思っていたんですよ。」
 神々廻に諭されるが、柿揚はあくまで抵抗してつぶやいた。
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」
 呵々大笑して神々廻は去っていった。

 柿揚は涙をぬぐって叔父の手紙にとりかかる。

 叔父は柿揚の無事についてはさらりと触れるにとどめて、事業は敗戦で多少の打撃は受けたが損害は軽微である、これは大本営発表ではない、と出だしに書いていた。
 お前を受け容れる体制を整えておくので兵隊稼業はフィリピンで終えて、事業に専念せよとのことである。

 さて、叔父はすっかり自分を跡取りにするつもりでいるようだ。
 萌星出版のことはどう説明したものか。
 まあ、そのへんは帰国してからおいおい話すとしよう。
 
 封筒の中に油紙で丁寧に包まれた写真があったのであけると、妹に続いてまた着飾った女性の写真が出てきた。
 叔父の筆になるものが同封してあり
「おまえの両親と先方には承諾をとりつけてある。」
 と冒頭に書いてある。嫌な予感しかしない。

 実家から1町歩ほどのところにあるタバコ屋、あそこの照子さんは知っているか。今年19になる。

 知っているもなにも、幼なじみである。
 中学に入ってからはサッパリだが、子供の頃はよく遊んだものだ。

 照子さんの両親とは仕事で関わることもあって、お前が生きている旨、話をしたらとんとん拍子に話が進み(どうせ叔父が進めたのだろう)お見合いをさせようということになった。

 ああ嫌だ嫌だ。こういう古い因習、お見合いだけは嫌だね、やはり恋愛だよ、自由恋愛に尽きる。
 学生時代、周囲に蔓延していた風潮が久しぶりに蘇った。

 だいたい叔父が勝手に進めた話(当然そうだろう)じゃないか。
 応じる義務もあったものじゃない。
 とはいえ叔父、承諾したという両親、照子さんのご両親の顔もある。
 やんわりと自然にお断りする方法はないものか。

「おや、柿揚さん、お見合いですか。」
 東海林が後ろから話しかけてきた。
「おい、見るなよ。」
 といいつつ柿揚は写真を見せた。

「これまた美人さんですねえ。うらやましい。」
「気だてがいいかどうかはまた別の話さ。」
「ご両親の推薦でしょうから、そのへんは折り紙付きでしょう。」
 そういえばテルちゃん、いや、照子さんはあまりお転婆ではなかった。
 うちの妹とは大違いで、なにをするにしても静かだった。
 
「これは叔父の作戦なんだ。つきあう必要はないと僕は思ってる。
 第一相手の娘さんが乗り気かどうか怪しいもんだね。」
「柿揚さん、まだ開封してない封筒がありますね。」
 叔父の便箋に紛れていてちょっと気付かなかったが確かにもう一通封筒が入っていた。何通入れるつもりだ。
 どうせこの中身は気の早い何々支社勤務の辞令かなにかが入っているのだろう。有り難いことなのだろうが、まあなんとも気ぜわしい。

 ところが違った。
 これは照子さんの手紙であった。
 柿揚は辞令とばかり思いこんでいたため、偏見の段差で心が躓き、動揺しつつ本文を読む。

 子供の頃から慕っていたこと
 柿揚が中学校に入ってからが寂しくて仕方なかったこと
 たまにタバコを買いに来たときにお話をするのが楽しかったこと
 といったことが書かれていた。
 
 叔父が書かせたものではあるまい。
 叔父は段取りさえつけてしまえば、こういう繊細な心の機微に触れるような部分にはあまり興味をもたない。
 叔父が強引に進めた話だとばかり思っていたが、これは照子さんが一世一代の勇気を振り絞って画策したことなのかもしれない。

 幼なじみのたばこ屋の娘の恋愛とは、現代小説の惚気にもでてこない。
 こんな通俗な出歯亀が喜びそうな話が自分の身に起きるとは。

 空から照子さんがふわりと降ってきたような気がした。

「柿揚さん、どうも恋文のようだ。私は失礼しますよ。」
 東海林はニヤニヤしながら去っていった。

 柿揚は二枚目に目をやる。
 柄にもなくドキドキしながら読み進め、ついに柿揚は最後の一文にたどりついた。こう書いてあった。

「アンナ木像ニハ負ケマセヌ 照子」

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