目はクリクリと大きく頬は朱で(その4)
柿揚の自信作「ぶらばん!」が載ったのはその年秋の萌星であった。
夏号に載せた前作「珠子市場」(これも柿揚の自信作である)への感想欄には50通を越える投稿があった。
人語を解する鳥と出会った少女珠子の不思議な物語で一話完結の短編、柿揚自身は欧米風物語のエッセンスを加えたと思っている労作である。
挿絵は4枚で、当時絵の具を持っていなかったため、墨でなんとか描いた物だ。柿揚は中学時代に叔母の手ほどきで若干ながら水墨画の心得があったため、そこそこ見られる挿絵にはなっていた。
主人公珠子の眼の表現にはたいそう気を遣った。
世の漫画絵における少女風の眼はべったりと真っ黒に塗っているか、細かい光彩が施されたものかに二分される(柿揚が見る限りであるが)が、柿揚は黒目に墨の濃淡によるグラデーションを施し、ハイライトを加えるという技法を使った。
また、頬の朱は朱墨を用いて表現した。
画中に朱が使われているのは頬だけなので、頬の朱が目立った。
無論この頬の表現にも濃淡をつけた。
感想欄には珠子の美、というか可憐な可愛さを讃える物が多く、嬉しいと思う反面、物語に言及が少なかったことが残念でもあった。
しかしこれらの感想により、「ぶらばん!」の製作方針はいよいよ固まった。
「ぶらばん!」は3話構想であるので来年の春号で完結する予定である。
自分にはどうも物語を作る才能よりも画才の方があるようだ。
物語性を全く放棄するわけではないが、画才を映えさせる物語を作るという方向性で行くのが当面の正解ではないか。
そもそも俺はセーラー服の少女を描きたいのだ。
セーラー服の少女さえ描ければそれでいいのだ。
セーラー服の少女がただ自宅を出て通りのバス停でバスに乗り、衛戍地の歩哨に笑いかけて、学校に着く、勉強をして、学校から帰る。
そんな物語とも言えないただの日常を切り取った小説、その挿絵を描ければ良いのだ。
海底2万マイルを旅しなくてもいいし、南洋を白マストの帆船で航海しなくても良い、馬賊の襲撃にも遭わなくてもいい。
月世界にももちろんいかないし、鉄道強盗と対峙もしない。
セーラー服の少女!可愛いセーラー服の少女が描ければいい!
私の創作の中で息づいていてくれれば、それだけでいい!
柿揚は心中で咆吼した!
だが、現在柿揚は学友の議論の場にかり出されている最中であった。
小林「おい、柿揚。日本の海軍はアメリカを狙っている。陸軍はソ連を狙っている。こんなてんでばらばらでいったい日本は立ちゆけるのか。」
「ナンセンス!」
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