T.A(その2)

 ウェルグリー大尉が参加してからも暗号解読は遅遅として進まず、日本軍は快進撃を続けていた。
 
 どうしても、あのイラストの謎が解けないのだ。
 各地から上がってくる日本軍の行動と暗号を精査し、研究するのだが、最後に行き詰まるのはいつも「T.A」である。
 
「このままでは埒が明かない。」
「単純なイラストだ。もしかしたら日本軍捕虜の兵卒なら何かわかるのではないか。」
「軍機を敵の捕虜には見せられんし、日本軍もそこらの兵卒が知っているような暗号を使うまい。」
 あれこれ悩む中、突破口は意外なところから開いた。

 悩むウェルグリーは帰宅してからも自室に閉じこもり、メモ帳に謎のイラストを描いて考えをまとめていた。
 この、動物に見えるイラストが日本軍の暗号にかかわっていることは間違いない。ではこのイラストは何か。

 全く見たことがない上に想像もつかないため、アメリカに棲息しない動物である可能性もある。日本にのみ棲息か?
 デフォルメを辿り、原型をみたいところだが、戯画化がひどく、なんの動物であるか、この観点からも推測が難しい。
 睾丸が異状に肥大している点から奇形種をわざわざ選んで戯画化しているものかもしれない。

 その時、ウェルグリーの背中に妻が抱きついた。
「あなた、ふさぎこんでるの?」
「ジェシー!入るときはノックをしてくれ。
 僕は今、軍の重要な情報を扱っているんだ。」
「なによ、タヌキの漫画なんか描いて。そんなものが軍の重要な情報?」
「とにかく出て行ってくれ!合衆国の若者の命がかかって・・・
 ジェシー今なんと言った?」
「漫画?」
「いや、違う、何の漫画だと?」
「タヌキ?」
「タヌキ、そう、タヌキだ。なんだその動物は。」
「昔、チャイナで見たわ。でもその漫画は日本のものね。」
「なんだって!?タヌキはアメリカにも棲息しているのか?
 僕は見たことはないが。」
「アメリカにはいないんじゃない。詳しくは知らないけど。」
「ありがとう。君の協力で合衆国の若者の命が万単位で助かった!」
「あら、そう。
 じゃあ私は万単位の合衆国の母親に感謝される立場ってわけね。」
「よし、今夜はちょっと奮発してレストランだ。」
「万単位の合衆国の母親よりもあなたに感謝されて嬉しいわ、ウェル」

 翌日ウェルグリー大尉は早朝から作業場にでてタヌキの件を調べ、大佐に報告をした。
「なに、タヌキ!わかった、徹底的に調べ上げよう。」
「妻が偶然教えてくれたものですが、私も日本の文献などを調べ、確信しました。間違いなくこれはタヌキと呼ばれる動物のキャラクターです。」
「合衆国中の動物学者にタヌキの生態を調べさせよう。」
「私は日本の文献を調べ、タヌキが日本の文化に与えた影響を調べます。」
「マクスン、頼もしいな。」
「漫画の専門家にも協力を得よう。
 ジャップがタヌキを戯画化する過程に暗号解読の鍵を入れ込んでいるかも知れない。ディズニーに連絡をとれ。軍の依頼だ。」

 こうして暗号解読班は全力でタヌキの研究を始めた。
 流石は米国一の頭脳が集まる解読班であった。
 わずか6日間でタヌキの生態と日本文化におけるタヌキの地位は白日の下にさらされ、一流の専門家達によってイラスト学的な解剖でもタヌキは説明された。

 ーしかし

「手がかりが、ない!」
「我々はタヌキについて全ての情報を知り尽くしたと言っても過言ではないのだが、それでも「T.A」の謎は解けない。」
「睾丸の肥大の謎も、剥製の謎も解けた。
 他のものに化けて出るという伝承についても調べ上げた。」
「諸君、まごまごしてはいられないぞ。
 日本軍は西太平洋で再び大規模な海軍作戦を企図しているらしい。
 今度情報戦で負ければ我々は空母を失い、丸裸となってしまう。」

 コンコン
 ノックがあった。
「大佐、緊急電であります。」
 大佐はドアの外に出て報告を受け、再度入室した。

「諸君、悪いニュースがある。」
 解読班はごくりと唾を飲んだ。
「ジャップの新手の暗号が現れた。」
 大佐は先ほど伝令から受け取った文書を机に投げた。

「これは・・・!」

 文書には解読済みとおぼしき日本語の命令書の一部分が印刷されていた。
 しかし「T.A」よろしく奇妙なカタカナが混ざっている。

「今度は二文字だ。」
 マクガナフが嘆息した。
「「S.E」と「N」ですな。」
 マクスンが補足した。

「たった一文字でこれだけ振り回されている今、さらに二文字が追加か。」
「二文字ではない。加えて新たなイラストもだ。」
 文書の端にはタヌキではないイラストが描かれてあった。

「まてよ、しかしこれは知っているぞ。ボトルオープナーではないか。」
「瓶の蓋をあける奴だな。しかし全く意味不明だ。」

「いや、ジャップは暗号を複雑化しようとして我々にヒントを与えてしまったと見るべきでしょう。」
 さきほど絶望にうちひしがれていたマクガナフが今度は気を吐いた。
 ウェルグリーも同意見だった。
「ボトルオープナーは日本語でセンヌキと呼称します。
 似ていませんか・・・」
「語尾の「ヌキ」が共通しているな。」
「そこがポイントです。」
「よし、わかった!ジャップめ。浅知恵を後悔させてやろう!」

 解読班は大佐の指示で「ヌキ」と呼ばれる日本の文物全てを調べ上げることになった。
 米国中の大学に連絡員を派遣し、民間の研究機関にも躊躇無く「ヌキ」の調査を依頼した。
 果たして「ヌキ」とはなんなのか。
 
 時は1942年4月
 世に言うミッドウェー海戦まであと二ヶ月
 解読班の努力は果たして間に合ったのか。
 

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