目はクリクリと大きく頬は朱で(その27)
戦争が日本の不利に進んでいることは収容所に時折舞い込む雑誌や公刊誌から察せられたが、新入りの俘虜の話をつなぎ合わせることでも確認できた。
「新客」達によればフィリピンでの戦いは終わり、日本軍は陸海ともにレイテ周辺で大敗北を喫したようである。
そういえば確かにここ数ヶ月は特に米空軍の戦闘機、爆撃機の飛行が頻繁であったように思われる。
同胞を殺しに行くこれら兵器群を米軍給与でぬくぬくと暮らす身でもって眺める背徳感と無力感は筆舌に尽くしがたい。
「なぁに、肉を切らせて骨を断つ、さ。」
アラフォーでの降兵、越谷伍長はそう評した。
「次はいったいどこの肉を断たれるんだい。」
「断たれない。大本営はここで一旦引いて油断した米さんの鳩尾にうまくたたき込む心算だろう。」
「俺たちは断たれた肉片ってわけか、どうりで最近臭うと思ったぜ。」
「日本は負けんぜ。いや勝ち目は確かに薄いが、鳩尾に一発たたき込んだところで講和だ。今回アメリカからは金も領土も取れないだろうが、ともかく負けはしない。」
ベッドに寝っ転がった越谷伍長を取り巻いて今後の日米戦の推移を話し合うグループがあった。中心が越谷伍長でないだけで、他の棟にも同じようなグループはあっただろう。
柿揚も時々越谷の戦況解説を聞いていた。
皆、話し上手な越谷伍長の弁舌を暇つぶしに聞いているだけで、大まじめに聞いているわけではない。
案外越谷伍長自身とてそうではないかと柿揚は思っていた。
なお越谷伍長のあだ名は小本営である。
越谷伍長のような希望的観測方向を見る遠めがねもいたが、だいたいの俘虜達は日本が次はどこの肉を断たれるのか、そこに興味を集中させていた。
「台湾だろう。蒋介石と連携して、いや、いいように蒋介石をこき使って日本を大陸からたたき出すつもりだ。」
「沖縄かもしれんなあ。」
「一足飛びに九州に攻め入るかもしれん。」
「アメリカの海軍は戦艦も空母も艦載機も豊富だ。
雲霞のように攻めて、一気に東京を陥落させるのではないか。」
捕虜として米軍に降り、俘虜として生活するうちに彼らは米軍の優秀な兵器を間近に見て、日本の敗北を感じ取っていた。
戦車が一軒家の様に大きく、トラック、ジープの類も豊富である。
柿揚は特にオートジャイロを見たときは科学技術の絶対的な差を感じた。
越谷伍長にしても内心は敗北を認めているのではないか。
彼の強気な戦況解釈にも、言葉の端々に日本の敗北を認めた表現が混じっている。
野間中佐が文芸誌などで俘虜の反抗的気運を削ぐ必要などないといえた。
敗北の予想をハッキリと口に出さずとも共有する俘虜の群れが今更米軍に反抗などするはずもない。
果たして
沖縄に米軍が攻め入ったとの報が収容所を駆けめぐった。
ほどなく収容所の雑役係の米兵がめっきり減り、それを比島人が埋めた。
アメリカは沖縄の戦で苦労しているのだ。日本軍が善戦している(善戦という表現がすでに敗勢を認めている。)から米さんも手を焼いてフィリピンから兵隊という兵隊を根こそぎ集めているに違いない。
沖縄戦が長引くことは越谷伍長のような俘虜の心を慰めたが、県民からすれば随分迷惑なことであっただろう。
この頃、それまで雑多な集まりとして管理されていた俘虜達は米軍風の中隊に編成され、俘虜守則も日本語訳されたものが完備された。
将校棟の将校もこれまでは下士官兵俘虜収容所を訪問できていたが(米軍も一人二人なら目をつぶっていた。)今後は規則通り原則禁止となってしまった。
米軍による給与支払いも始まった。
未払い分として2ヶ月前の給与から支払われたが、その2ヶ月分はタバコや石けんなどの補給品でまかなわれた。
俘虜達はそれまで全員一律に少数配られるタバコを節約に節約を重ねて吸い、大切にしていた。
昼食につく肉のスープとタバコ数本が交換されるなど、時には通貨の役割を果たしていたところに大量のタバコが流入した。
結果、タバコを吸わない柿揚などのタバコ長者はインフレでその力を一気に失うことになる。
PXが開設され、俘虜の労働賃金で生活雑貨が買えるようになった。
日本を離れて久しい俘虜達は知らなかったが、これら生活の質だけを比べると銃後の日本国民よりも良い暮らしが出来ていた。
銃後の貧窮した生活を知る、最近招集されて俘虜となった者達は米軍給与で内地以上の生活を享受していることにことさら後ろめたいものを感じていた。
ただし彼らは「PW」と表記された米軍制服を着て、柵の中にあり、自由はなかった。
柿揚は編集の仕事をしつつ、物質的な自由と柵の中にあるという不自由の天秤についていつも考えていた。
そしていつも同じ結論に帰結するのだ。
想像は自由である、と。
祖国の逼迫に起因する背徳感、無力感、物質的な自由と精神的な不自由、収容所にあるということから発するあらゆる感情を超克して柿揚は日々創作し、編集する。
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