目はクリクリと大きく頬は朱で(その1)

「生きておったのかーー!柿揚ーー!」
 祖父の突然の一喝で孫の橘大輔は飛び上がってビックリした。
「柿揚貴様ァーー!」
 祖父はわなわな震えてテレビ画面に飛びつく。
 テレビ画面には今流行の萌え系日常アニメが流れている。
 女子校の女学生がブラスバンド部で送る毎日を描いたアニメで内容はそれほどないのだが、キャラクターの可愛さで大ヒットしている。
 もちろん柿揚などというキャラクターは出てこないし、大輔が知る限り製作に携わる人々にもいない。
「じいちゃん、どうしたん・・・?」
「この娘はキミちゃん、この娘はあだ名がニャア・・・!」
 もちろん全く違う。
 大輔は祖父がついに呆けたのかと焦る。
 このアニメのファンである大輔は毎週木曜を楽しみにしていたのだが、祖父がこのアニメを目にするのはそういえば初めてである。
 たまたまリビングを通りかかってアニメを目にした祖父の剣幕に大輔は為す術がない。
 祖父は震え震え涙を流して萌え日常アニメに食いついている。
 どうでもいいがどいてくれないだろうか。
 今日は学園祭の発表会でボーカルの娘が転んでパンツ大開陳の回なんだ。

 ちょっと時代は遡る。
 
 クラシックの流れる喫茶店で柿揚徳治は同級生達の侃々諤々の議論を聞いていた。
 柿揚は政治がどうだ、哲学がどうだという話には全く興味はない。
 そんなつまらない話でよくも議論ができるもんだと、いつものメンツには毎度毎度感心させられる。
 クラシックはぼちぼち好きである。
 そうそう、ここの小節でだんだん、そう、ここでバァーンと盛り上がって・・・そうだ、次はしめやかな感じになる、ここの流れが好きだ。
 音楽の知識があるわけではないが、この店のレコードは柿揚のお気に入りだった。
 もっとも家で蓄音機を買って聞こうと言うほど好きでもないが。
「柿揚君!君はずっと押し黙っているけど、いまだに長州の政治家が日本を牛耳っていることに対してどう思うんだ!」
 突然話を振られた。
 こいつ、小林は薄っぺらな正義漢で、貸してやった金は返さないくせに、やれ日本の政治は金権だ、陋習に溢れているなどとうるさい奴だ。

 話は全く聞いていなかったが、そもそも長州の政治家ってのが本当に日本の政治を牛耳っているのかどうかなんて知らないし、仮に牛耳っていたとしても、それはそれで何らかの均衡を保っているのだろう。
 長州の政治家を例えば海軍のキチガイ将校連が皆殺しにしたとして、それで日本がよくなるとも思えない。
 
 柿揚はそろそろこの場を立ち去る頃合いだと見て取り、いつもの必殺技をだすことにした。
「ナンセンス!」
 柿揚は突然叫んで立ち上がった。
 一同は議論をやめて柿揚を見る。
「いったい君たちはなにを話し合ってるんだ。ナンセンスだ。哲学がない。」
「柿揚、お前はいつもナンセンスだナンセンスだってそうやって我々を小馬鹿にする。お前は日本の政治に哲学があると思うのか。」
 柿揚は辟易する。しかし立ち去るいい機会だ。

「哲学は・・・ある!」あるかどうかなんか知るか馬鹿野郎

「○山公を知っているか。あの篤志家は先日こう言った。日本の進むべき道は東亜の盟主たらんとすることである!と。満州はそのさきがけであり、万民が食っていける世界を作る責務を持つ、と! 
 これが正しい道かどうか、それは今はわからないが、これが哲学でないというならなにが哲学なんだ。万民が食べていける道、こういう人間の生理を満たす根本をわきまえた政治家はたくさんいる!」○山公?名前しか知らないよ。なにが東亜の盟主だ。銘酒の方が断然好きだね。学内誌読んでて話の種を拾っててよかったよ。

 柿揚は続ける。
「僕は帰るよ。僕には僕の哲学がある。でもまだ言語化できない。君たちと違って語彙が乏しい、知識が乏しい。僕にはまだまだ勉強が必要なんだ。 今日の所はここでおいとまさせてもらう。」
 そう言い放って柿揚は堂々の退場を決めた。
 残された一同は「流石柿揚だ。」「やつはだんまりだが最後に何か必ず核心をついてきあがる。」「オイ、あいつの家には古今東西の政治哲学の全集本があって中学の時代に全部そらんじてたってのは本当か。」
 などとひそひそささやきあう。

 小雨の降る街路、柿揚は帰路を急ぐ。
 鞄が濡れないように大切に抱えて急ぎ足でバスに向かう。
 鞄の中身は絶対に濡らしてはならない。油紙で二重にくるんでいるがそれでも安心ならない。
 
 20分後、柿揚はようやく自室に戻った。
 身体と鞄を手ぬぐいで拭き、丁重に鞄から荷物を取り出す。
 二重の油紙をそうっと開ける。

 中からは女学校に通う少女達の漫画絵が出てきた。
 5人の少女達は目はくりくりと大きく、頬は朱に染まり、躍動感が感じられる動きが絵に現れている。少女達は手に手に楽器を持ち、楽しそうに校舎で雑談をしているようだ。
 この絵は柿揚の自信作で、今季の同人誌に投稿する小説の挿絵だった。

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