目はクリクリと大きく頬は朱で(その8)

 柿揚は大学を卒業し、予定通り叔父の商社に就職を果たした。
 半年ほど駒込本社で仕事を覚えた後、新潟は高田の支店に配置された。
 大学の卒業研究と仕事を覚えることに必死で趣味どころではない毎日が続いたが、萌星を失った柿揚はやけくそで困難に全力を投入した。

 そのうち日本は橘が予言したとおり米英と戦争をして南方に軍隊を送り出した。開戦は雪深い高田で夕方のラジオを聞いてようやく知った。
 
 その後いろいろ知ったのだが、日本軍はアメリカの主要艦艇をハワイで軒並み沈めたほか、シンガポールにも勇躍前進中らしい。
 アメリカは陸軍はパッとしないが海軍は強力だ。
 母がホワイトフリートの話をときどき私にしていた。

 アメリカの軍艦の勇壮なこと、水兵の規律正しいこと、その体格がズバ抜けて大きかったこと。
 艦船マニアの父(私の祖父)に連れられて横浜までわざわざ見学に行き、水兵にハローハローと手を振ったら振り返してくれたそうだ。

 日本海軍がアメリカと事を構えるのを最後の最後まで嫌がっていたのはアメリカ海軍に勝てる計算がたたないからだと言われていたが、その障壁が払われた今は太平洋全てが日本海軍の庭になったようなものだ。
 蒋介石みたいな話の通じない大陸人とアメリカは違うから、そのうち日露戦争みたいな手打ちで戦争は終わるだろう。
 
 などと考えていたある日、叔父が高田にやってきた。
 仕事の要件で来たのだが、その晩叔父に旅館に呼ばれて宣告された。

「すまん、お前もいつかはわからんが徴兵されることになる。今度の戦争はもはや俺がどうこうできるような物じゃなくなる。
 こうなることがわかっていたらお前を幼年学校にでも行かせておくべきだったかも知れないと俺は後悔しているよ。」

 柿揚は面食らう。
 喫茶店できった啖呵がそのまま自分に降りかかってきた。
 こりゃあ橘中隊長の中隊に配属されてよしなにやっていくしかない・・・

「先週市ヶ谷から来た参謀が満面笑みを浮かべて俺に言ったんだ。」

ー柿揚さん、今度のはとびっきり大きいですぞ。今から増産の手はずを整えてもらわなくちゃ困る。おたくにもどんどん軍需品をまわしてもらいますぞ。どのくらいかは今度資料を渡すので参考にしていただきたいー

「その資料を見て愕然とした。日本は破綻する。間違いなく破綻する。戦争以前の話だ。米英にももちろん負けるだろうが、大陸からもたたき出される。10年以内に日本は素寒貧になって江戸時代からやり直しだ。
 この話は重役とお前にしかしていない。
 お前は俺の跡取りだからな・・・
 しかしこの戦争でいったん招集されてしまったら十中八九は死ぬだろう。
 お前が招集されたら悪いがその時点ですでに死んだものとして俺は計画を立てる。
 だが、お前を見捨てるわけではない。
 生きて帰ってくれば元の役職に就ける。
 日本は破綻しても俺の商社は破綻しない。これは確実だ。
 普通の日本国民が粟やヒエを食べて生活していても、俺の社員には米を食べさせる。もちろんお前にも食べさせる。
 だから生きて帰ってこられるよう全力を尽くすんだ。
 いくらかでも生きて戻れるようできることはなんでもする。
 お前の推薦なら何人でも、両手両足ない奴でも俺の商社で雇うぞ。
 だから戦地で信頼の置ける奴を仲間につけろ。
 戦争から戻っても食うや食わずの生活が待ってる連中は死にたがるが、戻りさえすれば大商社に職があるとすれば話は別だ。
 お前の「仲間」は中隊長なんかよりもお前の命を守る。
 だいたいにして大尉の給料なんか知れている。戦時加俸があったってたいしたことはない。うまくたち振る舞えばあるいは中隊長がお前を大事にするかもしれん。」

 この後も叔父の戦陣訓は続いた。
 
 柿揚は萌星をもう一度読めるだろうか、「月見」氏は今頃どこでなにをしているのだろうかという考えを振り払い降り払い、叔父の話を聞いた。

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