T.A(その1)

「ようこそ、ウェルグリー大尉!」
 ウェルグリー大尉に握手を求めてきたのは陸軍情報部の大物、スコット大佐だった。
「初めまして、大佐。」
 ウェルグリー大尉はかしこまって握手をした。
「固くならないで欲しい。我々は君の助けを必要としているのだ。」
「お話は伺っております。」
「真珠湾、あれが事前にわかっていたということはご存じかな。」
「はい、日本軍の暗号はすでに解かれ、あたかも通常郵便のごとく飛び交っております。それなのに、なぜあのような奇襲を受けたのか、暗号に携わる私にはちょっとわかりません。」
「T.Aだ。」
「T.A?」
 ウェルグリー大尉は聞き返した。
「いや、これについては後で話そう。こちらに来てくれ。」

 大佐はウェルグリー大尉を奥の別室に案内した。
 そこは書類が積み重なり、暗号解読に要する様々な器材がひしめく作業室だった。中には数名の男達がいた。

「紹介しようウェルグリー大尉、大統領の命で特別に編成された暗号解読班、そして彼らがここの専任暗号解読班員だ。」

 男達は作業の手を止めてウェルグリー大尉に駆け寄った。
「よく来てくれた、私はマクスン、日本文化研究の専門だ。」
「初めましてウェルグリー大尉、私はMITで数学と暗号理論を研究していたマクガナフだ。よろしく。」

 ウェルグリー大尉に次々握手を求めてくる彼らはいずれも米国一流の学者にして実践者達だった。
 この特別班は1937年から日本の暗号解読をてがけ、1940年末は日本軍の行動が手に取るようにわかる段階になっていた。
 しかし、ある日を境に日本軍の暗号がまったく解読できなくなったのだ。

「ウェルグリー大尉、ヨーロッパ方面で暗号解読に携わっていた君の力が欲しい。ジャップの暗号はいまだに解けないままだ。このままでは奴らが東海岸に殺到する日もそう遠い話ではなくなった。」

「さきほど大佐がおっしゃられたT.Aとはなんなのでしょうか。」

 T.Aと聞いて先ほどまでほがらかだった特別班の面々の顔が曇った。

「いまいましいジャップの暗号さ。」
 ひときわ明るかったマクスンが吐き捨てた。
 
 マクガナフが一冊のノートをウェルグリーに渡した。
「これは」
「ジャップの暗号だよ。」
 ノートには数字や記号の羅列がビッシリ書かれている。
 日本軍の暗号だろう。ウェルグリー大尉はだいたいの察しをつけた。
 しかし、なにか引っかかる。ところどころに不可解な「カタカナ」が混じっているのだ。

「気付いたか、それがT.Aさ。」
「これは真珠湾攻撃の通達文の一部ですね。しかし・・・
 ところどころ「タ」が混じって意味をなさない。」

「攻撃タ隊ハ明タ朝タ真珠湾タ攻撃ニ向タケ・・・?意味がわからない。」
「そうだ、真珠湾という単語から、奴らが真珠湾に何かをしようという意図は伝わるが、それ以上のことは・・・「タ」つまり「T.A」が邪魔をしてわからないのだ。忌々しい!」
 ウェルグリー大尉はこのとき思った
 いかな難解な暗号であっても人間が作ったものだ。
 かならず解ける。ただその手順が複雑かどうか、だけである。
 日本軍自慢のT.Aなる暗号もその一つに過ぎないと。

「なにかヒントになるもの、そういったものは掴んでいるんでしょうか。」
「ああ、あるさ。」
 マクガナフがノートの右端を指さす。
 そこには落書きが描かれている。
「この小さなイラストですか。」
「そうだ。日本軍はT.Aに必ずこのイラストを添付してくる。」
「だが、そのイラストがなんなのか、何を意味するのかどうしてもわからないのだ。」
 大佐は忌々しげに言った。
 
 動物のように見える。しかし何の動物かはわからない。
 子供が描くようなデフォルメがなされており、おそらく元々の動物とはかけ離れたデザインなのだろう。
 
 別室にノックがあった。
「大佐、緊急電報です。」ドア越しに報告があった。
 大佐はドアから出て報告を受け、再び戻ってきた。

「コレヒドール要塞が陥落した。」
「フィリピンはついに日本のものか・・・!」
 班がどよめく。
「日本軍の暗号がついに解読できず、マッカーサー将軍は後手後手にまわり、ついに主導をとりえなかったということだ。ファック!」

「T.A、か・・・」
 ウェルグリー大尉はノートを見つめてひとりごちた。
 次に日本の軍勢が狙うのはどこか。
 暗中にある米軍に灯りを!
 ウェルグリー大尉はほぞをかんだ。

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