目はクリクリと大きく頬は朱で(その30)
「いよ、アカの坂田!」
桑原上等兵のヤジが飛んだ。
広場で集会をしている自由日本同盟のメンバーは目を剥いて桑原上等兵をにらんだ。
「おお怖ぇ、くわばら、くわばら」
桑原上等兵は冗談めかして広場から立ち去る。
帰国の日程が決まった頃から自由日本同盟はその勢力をますます伸ばし、坂田はその中心者として収容所内で活動していた。
今後の日本の民主主義スタイルをおおいに論じあうのだが、柿揚のみるところ、坂田ひとりが気を吐いているだけで、メンバーは喝采を浴びせているだけである。とうてい論じ合っていない。
その内容も上院下院を完備、大統領制の導入など露骨に米側に阿るものであって、日本の現実を映しているとは到底思えない。
戦争が始まる前、柿揚の周囲には「軍」が溢れていた。
あれだけ溢れて日々接していたのに軍隊のことは入るまで知らないことばかりで、柿揚は面食らったものだ。
柿揚は自分がとりわけそうなのかとも思ったが、よくよく見れば周囲の兵隊も五十歩百歩である。
あれだけ「軍」まみれの社会で生活していてそうだったのだ。
坂田が言うような民主、自由が溢れる社会になったとして果たして日本人は本当にそれらを理解するのだろうか。
そこには軍国が民主におきかわった無知蒙昧、夜郎自大な日本人が現れるだけなのではないだろうか。
まあ、そんなことを考えても仕方がない。
坂田が収容所の思想地図を制して白石を一兵卒に落としたとて、結局それは帰国までの話で、帰国すれば俘虜達は日本中に散らばってしまう。
むなしいことだ。
だが、俺は違う。萌星は持ち帰る。
そして今いる編集部員、日本にいる旧執筆陣(「旧」とするのは心苦しいが)とダンガンロンパ俘虜収容所発行から晴れて日本国発行の堂々たる文芸誌で娯楽の分野で日本を席巻するのだ。
いや、流石に席巻まではいかないかもしれないが、いけるところまでいってみせる。
坂田は思想を持ち帰るだろうが、あの頓珍漢な民主じゃ町内会長に立候補がせいぜいだろう。だいたい、日本社会が俘虜を受け容れるかどうかもわからないじゃないか。
「柿揚はん、あないなのと張り合うもんやないで。」
編集部で金子に意図するところを指されて一瞬どきりとする。
「張り合っているように見えましたか。」
「そら、最近の芸風をみたら誰かてわかるがな。
政治屋にひきずられて政治的主張を入れ出すとつまらんくなるで。
きぃつけてな。」
「気をつけます。」
「まぁ、おもろくなれば別にそれでもかまわんのや。
度を過ぎんならな。せやけど、ああいうのはどないしても度を過ぎてまうさかいな。」
「柿揚さん、そんなことより増刷ですよ!」
東海林の明るい声が室内に響いた。
「キルアーギルから来た俘虜が300もいるんです。
こないだタイバニ支隊用に増刷したばかりなのに間に合わない。」
「野間はんに紙頼まなあかんが、限界やろうな。」
「さすがに野間ウェイでも駄目でしょうか。」
「米さん、野間中佐がもみ手で頼み事したらいくらでも物資くれますけど、流石に無理でしょうね。」
「イッツァ、ノマウェイ・・・オゥ」
神々廻が米兵の口まねをする。
「ノマノマウェイや、ノマウェイ。」
「ノマノマウェイ、ノマノマウェイ」
金子も他編集部員も不思議と語呂の良い「ノマウェイ」で調子を取る。
野間中佐は日本流の根回し下調整で米側の要路にしっかりと根を張っており、彼の万全の調整の元出される要求は米軍俘虜収容所長であっても無碍に断れない。
野間流、つまりNOMA-WAYと、折衝に当たった米将校はしばしつぶやくのだ。
しかしノマウェイといえども、たかがといえばたかが文芸誌にそこまで紙は回されなかったため、終戦の大勅以降増えに増えた俘虜達に萌星は行き渡らなかった。
ある日、編集部を少年が訪ねてきた。
その少年は片倉と名乗り、軍属で16歳だという。
「柿揚さんはこちらでしょうか。」
「はい、私ですが。」
「齋藤大尉の遺言をお持ちしました。」
柿揚は一瞬それが誰だかわからなかったが、男色と噂された我が中隊長だと間をおいて思い出した。
「齋藤大尉というと、カンギバルの・・・」
「縒(こより)339部隊だったとかなんとか・・・」
「ああ、確かにそれだ。正確にはそうではないけど、間違いない。
確かに齋藤大尉は私の中隊長です。
しかし、遺言というと戦死されたのですか・・・?」
片倉少年の語るところによると、齋藤大尉はカンギバルを脱出した後、部下を率いて山中を彷徨するうちに北の海岸線にたどりつき、夜陰に乗じてパウドロ島を脱出、レイテ島に渡るが、そこでも友軍の敗走にまきこまれ、結局最後は三々五々偶然に行き会った将兵からなる雑軍として山中にあったところ命令が下りて武器を置いた。
しかし、負傷箇所が化膿して高熱を出していた大尉は先日俘虜病院で死亡したとのことである。
片倉少年はレイテ山中で齋藤大尉にかわいがられていた縁で負傷後かいがいしく大尉の面倒を見ており、投降後も病院内で従卒として働いた。
米軍も俘虜が一気に増えたため、本来は軍属と将校は隔離するのだが、管理しきれず、そこは野放しだったらしい。
しかしこんな紅顔の少年を側に置いて死んだのだから中隊長の性癖から言えばまずまずの人生ではなかったろうか。
「それは残念なことを・・・
ところで君はなんで僕がここにいると知っていたのかな。」
「大尉が萌星を見たんです。そこの編集部員に柿揚さんの名前を見つけました。珍しい姓だから間違いあるまい、と。」
「なるほど。
ああ、そうだった。中隊長の遺言とはなんでしょうか。
話すのはここで大丈夫ですか。」
「大丈夫です。
大尉は日本に帰ったら必ず「梓」氏に俺のフィリピンでの生き様を子細伝えてくれ、とおっしゃって亡くなられました。」
「梓?」
「大尉の内縁の奥様だそうです。」
中隊長は男色ではなかった。
内縁の妻の元に帰りたかった一人の男だったのだ。
40近い中隊長には片倉少年くらいの子供がいてもおかしくはない。
さぞ片倉少年が可愛かったのだろう。
ここで片倉少年は堰を切ったように泣き出した。
つられて柿揚も泣き出した。
思えば少年の日を別として声を大にして泣いたのはこれが初めてではなかっただろうか。
なんだか知らないが、編集部に茶を飲みに来ていた桑原上等兵も男泣きに泣いていた。
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