目はクリクリと大きく頬は朱で(その23)

「萌星」編集には内地とは違った苦労があった。
 当然と言えば当然であるが、米軍を敵視するような内容は駄目で、日本軍隊を称揚するような内容もむろん駄目である。
 過度な政治的主張も米側に目をつけられたら即廃刊となる。
 その他列挙すればきりがないが、俘虜の立場で公刊誌を作成するあらゆる労苦が編集部にのしかかった。
 その労苦を金子編集長はよく引き受けた。

 当初収容所に声をかけて詩歌、俳句、絵画なんでもいいからと投稿をよびかけたが、集まりは悪かった。
 お国自慢の唄や相撲が得意な者はいたが、当然文芸誌に載る性格のものではなかったため、これらは残念ながらおひきとりとなる。
 しかたがないので、編集部から執筆者が選定されることになるのだが、編集のエンジンたる柿揚と神々廻はその執筆陣に名を連ねた。
 
 しかしいきなり萌星的な作品を発表しても読者はついてこないのは明白で、最初は支持を得られるような作品を心がけた。

 公募の俳句、詩歌、戯画等の他に執筆者達が苦心して作った作品
 生意気な坊主が周囲を振り回す日常活劇「鉛筆しん坊」
 西洋の大怪盗の孫が埼玉県の警部とやりあう「西洋怪盗対大警部」
 一子相伝の呼吸法で妖怪を退治する士族の男の話「奇怪恕叙伝説」
 などが紙面を飾る。  

 野間中佐が米軍接収の日本軍の印刷機械を回してきてくれたおかげで公刊誌の体裁も整う。
 発刊すると俘虜達は飛びつき、むさぼり読んだ。
 柿揚が望んだとおり、すり切れるまで回し読みされたのだ。

 編集部は数号発刊して、要は退屈を友としている俘虜達は何を書いても喜ぶのだとわかった。
 そしてだんだん公募の作品も増えだし、活況を呈し始める。
 米側も、そのたわいもない内容に、危険性はないと判断してほぼ野放し状態であった。

「そろそろ、ですね。柿揚さん。」
「そうだね、そろそろ、だね。」
 編集部で二人がぼちぼち萌星的な作品をもぐりこませても良い頃かな、と機会を狙っていたところに話しかけてくる人物がいた。
 
「ちょっといいですか、柿揚さん、神々廻さん。」
 
 校正係の東海林伍長が話しかけてきた。
「どうしました、次郎さん。」

 明らかに偽名の東海林次郎は大分の農民で、戦車を失った戦車兵として山中を彷徨するうちに栄養失調で人事不省の所を米軍に捕獲された。
 捕虜になったことが知られると家族に害が及ぶと思ったため、米軍の尋問に偽名を名乗ろうとしたが、思いつくのは知人の名前ばかりで、これでは知人に害が及ぶと思い、歌手の東海林太郎を名乗ることにしたのだが、2世兵士に「東海林太郎なら5人いるぜ。お前もか?」と見透かされたように言われたため、とっさに東海林次郎と名乗り、2世兵士は苦笑しつつ了解した。
 この逸話はいつかどこかで使わせてもらおうと柿揚は密かに思っていた。

「実は・・・実はですね、私も以前の萌星は知っておりまして。」
「ほう。」
 柿揚と神々廻の目がきらりと光った。
 編集会議で感じたもう一つの目は彼であったか。

「習志野の戦車学校にいたとき、ちょっと読むことがありまして・・・あれはなかなか面白いものでした。」
「こんなところにも萌星読者がいたとは。」
「すみません、最初から名乗り出たかったのですが、ちょっと気後れしてしまいまして。」
「いえ、いいんですよ。して、次郎さんもひょっとして何か書きたいと?」
「その、恐縮なんですが、その通りでして。お二人がもしかしたらそろそろ萌星的な何かを作られるのではないかなと思いまして、もしそうなら私もちょっとお手伝いできればなあ、と思ったところで。」
「いや、それは心強い。」
「なにか良い案でもあるんでしょうか?」
「私が習志野にいたときのことなのですが・・・」

 東海林が戦車学校にいた頃、学校祭で近隣の女学校から見学者を受け容れて、女学生を戦車に乗せたことがあった。
 危険なのでもちろんエンジンは始動していない状態であったが、普段むくつけき男が乗り回す戦車に清楚な女学生が乗り込んだ様が凛々しく、美しく東海林の心の内に感動の渦を巻き起こした。
 女学生と兵器という取り合わせ、この美、この内心を暴れる衝動をどうにかしたい。
 
「なるほど、なるほど!」
 柿揚が食いついた。
「いきましょう、それはいける!」
 神々廻も食いついた。

「私の空想は絵になりますか!」
 
「なる!」
 柿揚と神々廻は声を揃えて答えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?