限りあるから大切なんだろ
「ナライちゃんの告別式に来る人来る人、みんな永ちゃんのコンサートタオル首にかけてくるんだもん、まいったよ。きっとあの光景みて大笑いしてんだろうなぁ。こっちの気も知らずにさ。」
親友との最期のお別れから帰ってきた父は、笑いながら泣いていた。
"ナライちゃん"は父の親友で、"永ちゃん"は矢沢永吉のことだ。ナライちゃんは、チャイムも鳴らさずにデカイ声で歌いながら勝手に我が家に入ってくるような人だった。そのくせ、自分の愛車をこよなく大切にしていて、幼い頃の私が触れようものなら「ちょっと待ったぁあああ!!!」と阻止してくるような人だった。あの人が死ぬなんてこれっぽっちも思わなかった。膵癌だった。
あぁ、人って本当に死ぬんだな。
あの時、そう思った。だけど、本当にナライちゃんはナライちゃんらしく、死ぬと決めたら「そうか」と潔く運命を受け入れたかのように、ポックリあっちの世界に行ってしまった。「ナライちゃん、どうやらヤバいらしい」そう父から聞いたのも束の間、お葬式までの期間はとてもとても短いものだった。罪なやつさ。私の大好きなお父さんを泣かせるなんてさ。時間よ止まれ。幻でかまわない。時間よ 止まれ。生命の めまいの中で。
永ちゃんの歌詞だけが悲しく響く。ナライちゃんはもう戻ってはこない。あの、玄関がいきなりガラッと開く音とともに「君は Funky Monkey Baby!!!いかれてるよ〜」 って大声が聴こえてくることもない。いかれてるのはどっちだよ。だけど本当にお父さんの人生は、ナライちゃんがいてくれて、楽しかったんだろうな。その証拠に君がいなけりゃ Baby
I'm blue, No no no… ずっと泣いてるんだもん。
ナライちゃんにはどういうわけか、たぶん家族がいなかった。その点に関して父に詳しく聞いたことはなかったけれど、なんとなく、そうなんだろうなと想像はついた。だけど死ぬ最後まで、さすがとしか言いようがないけれど彼女はいたみたいで、父とその彼女に形見をのこしてくれていた。父には、ナライちゃんが愛してやまなかった車のレプリカを。私にはよくわからなかったけれど、とても高価なものらしかった。死んだ後にお金を残す必要もないからと、彼女と父に、自分の大好きなもの(本当は自分が欲しかったものかもしれない)を贈り物にするあたりが、とてもとてもナライちゃんらしかった。それを見ていると、あのやけにデカイ笑い声が今にも聞こえてきそうな気がしたんだ。
あの日、父の泣いている姿を初めてみた。父はきっと私たち家族の大黒柱でいるために、今までだって本当は泣きたいときにでも涙ひとつ見せずに強くいてくれていたんだと思う。大切な人との別れを悲しむ父をみて、私もとても悲しくなった。人は死ぬんだ。そうか、死ぬんだ。そんな時を想像すらしたくないけれど、父も、母も、お姉ちゃんも、そしてもちろん私も、いつか必ず死ぬんだ。嫌だな。そんなの嫌だ。誰も死んでほしくないよ。いなくなるなんて嫌だよ。死はとても怖かった。
***
だけど、私たち家族は死を遠ざけることをしなかった。ナライちゃんのあのキャラクターがそうさせてくれたのか否かわからないが、私たち家族は、夕ご飯を食べながらとか、テレビを見ながらとか、ふとした時に会話の中で「死ぬ間際にどう生きたいか」の話をするようになった。
お母さんは、この話になるといつも「機械を繋げてまでいきたくない」の一点張りだ。「もしお母さんがそういう場面になったら、何もしないでいかせてね。」本当によくそんなことを口にする。
だから、もし、もしも、お母さんがそうなったら、その時は嫌でも「あぁ、お母さんよくあんなこと言ってたな」って思い出すんだと思う。だけど、それでも、私はもしかしたら、お母さんを生かしてしまうかもしれない。お別れなんて嫌だ。死なないでほしい。人工呼吸器をつけて強心剤も投与して、それから1パーセントでも可能性があるのなら、心臓マッサージすら続けてほしい。そう思ってしまうかもしれない。「これ以上は苦しいだけかと思います」なんて言われたって、嫌だよ嫌だよって、お母さんの死を受け入れられないかもしれない。それが例えお母さんの希望した最後の時の過ごし方じゃないと分かっていても、私がそうしたくてそうしてしまうかもしれない。ねぇ、そしたらお母さんは、悲しむ?それとも、いつまでも手のかかる子なんだからって、あっちの世界に行くのをもう少しだけ待ってくれるかな。
家族には、もしもの時は藁にもすがる思いで生き続けてほしいと願うのに、私自身は、臓器提供意思表示カードをずっと持っている。それに対して家族は、私と同じような反応をするから困る。「そんなの持っていたって、心臓が止まってなければ絶対に臓器を取り出すことなんてできない」って言うんだ。「ポックリいってしまうのなら宇宙葬にしてほしい」なんて言ったら、それも却下された。「空に行って粉々になったらあっちの世界で会えないじゃん」だってさ。もしも宇宙葬をしたら、誰かに「メメはどこに行ったの?」って言われた時に、「お星さまになったのよ」って嘘偽りなく言えるのにな。だけど、そうは言っても私は100歳まで生きたいし、今すぐに自分が死ぬ気なんてさらさらないんだから、本当に自分勝手だよね。そんなことは、百も承知だ。
死ぬのも嫌だし、先立たれるのも嫌だ。
もしもの時に判断がつかないのが目に見えてるから嫌だ。深い悲しみが容易に想像ついてしまうから嫌だ。後悔してしまいそうだから嫌だ。誰も死んでほしくないと、願わずにはいられない。
***
家族と、"もし自分が死んだ時にはこうしてほしい" "いやそうはしたくない"なんて、一向に答えの出ない会話ばかりを繰り返して、歳月が過ぎた。今後も答えがみえる気は全くしない。まるで意味のなさない、他愛のない会話だと思っていた。
だけど、看護師になってから、その意味のない、話し合いとも呼べないほどの「死についての会話」が、その家族にとってどれほど大切なものであるかということを知ることになった。
看護師という仕事をしていると、本当に多くの家族の奥の奥の方までお邪魔することがある。幼い子供と奥さんを遺して最後の言葉も言えずに旅立つことになったお父さん。生死をさまよっている90歳のおばあちゃんの死をどうしても受け入れられずに挿管を懇願して、蘇生したけれど意識は戻らずずっと呼吸器に繋がったままになってしまったその姿を目にして、自分のせいだと、しばらく面会にこれなくなってしまったおじいちゃん。「僕はもう長くないんだよ。僕はもうあっちの世界にいくよ」と、いろんな人にお別れの電話をかけながら半年も生きたあの人。きっとその半年間で、ご家族の心の準備が少しずつできていたのかな。亡くなった日、死化粧をみて「いい顔してるじゃない」と穏やかに泣きながら笑っていた。
大切な人とのお別れは、いつ訪れるかわからない。正しい答えなんて、その時になってもわからないんだと思うんだよ。答えが出ないうちに悩む暇さえなくお別れとなる時すらあるんだよ。「いつか死ぬ時にはさー、」なんてそんなことを重苦しくなく話せるのは、生きているうちだけなんだ。だからこそ、答えを出すための話し合いじゃなくていいから、死ぬことについてを生きているうちに、ああでもないこうでもない言い合う時間が必要なんだ。そんな答えのでない話し合いの末に「まだまだ死にたくないね」なんて笑えるだけでいいんだよ。その時間を共に持てたことが貴重なんだ。
死ぬって思ってないから死の話をしない。死ってなんとなく不吉だし縁起悪いから遠ざけてしまう。そんな人が多いと思う。だけど、死ぬことについてどう思っているのか話すのは、生きているからこそできることだ。そんなふうにして話すことを、人生会議と呼ぶらしい。
今パッと思いつく中で、私の身近にいる人の中でいちばん高齢なのはお父さんのお父さん、つまり私のじいちゃんだ。高齢だから先にいくってわけではないし、誰しもが死と隣り合わせなのは重々承知の上で、それでもこのコロナ禍、在宅酸素をゴロゴロ転がしながら歩くじいちゃんが心配なのは確かだ。お父さんの涙はまだ見たくない。頼むよ、じいちゃん。そうだ、じいちゃんと人生会議をしよう。なんてったってじいちゃんは、私が初めてガラケーを持つよりも先にスマホデビューしていたツワモノだ。当時ガラケーが最先端と思っていた時代に既にスマホを華麗に操っていたじいちゃんは、今でもパソコン2台持ちで囲碁のゲームをしている。果たして2台持ちでないといけない意味はわからない。将棋ゲーム以外に何ができているのかもわからない。だけど、今を楽しそうに生きているじいちゃんと、離れていても会話ができる。じいちゃんと今だからこそできる人生会議をしよう。なんならお父さんも交えて。
そしたらきっと天国から勝手にナライちゃんも参加してくるかもしれないな。そっちの世界が寂しいからって、またいきなりガラッて玄関の扉を勝手に開けて、お父さん迎えにくるようなことだけはしないでよ?まだまだ、見守っていてよ?こんなことお願いしても、ナライちゃんならきっと
『俺はいいけど、ただ、YAZAWAが何て言うかな?』
そう言って笑うんだろう。
いいよ、神頼みも仏頼みもしないから。話せるうちに話せる人と話すことの大切さを身に染みて知っているからこそ、こうして、たくさんの人に言葉にして伝えるんだ。人生とか命とかって、ようするに、限りあるから大切なんだろ。
大切な人と人生会議をしよう。
死んでほしくなけりゃ、人生会議をしよう。
愛しているなら、人生会議をしよう。
その人の声で、その人の言葉を聞けるうちに。