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森の学校・少年動物誌

「森の学校」


春馬くんの映画初主演作品である「森の学校」。
この地域では2020.12月から上映でしたが、チケットはすぐさま完売。それでも再上映してくれることとなり、喜々として観に行くことができたのは1月半ばでした。
この映画は河合雅雄先生の「少年動物誌」を原作とし、昭和10年頃の丹波篠山を舞台に、豊かな自然と大人の温かい眼差しの下で、子どもが成長することの大切さを伝えています。

印象深いところが多々あるのですが、特に印象的だったところを3つ挙げます。

(1)夕立と雷
怖がって叫ぶミヨちゃんを何とか落ち着かせようとする優しさと、とはいえ自分も雷が怖いのと、それをいじるミトへのイライラが混じったマトの複雑な感情が、よく伝わってきました。

(2)祖母への暴言
お父さんがマトをぶって納屋に閉じ込めた後、出てくるまでの場面です。お父さんがこっそり閂を外し、マトと同じように寒さに耐えながらマトが気付くのを待つ暖かさ、「こわかったよぅ…」とお父さんに泣いて抱きつくマトに目頭が熱くなりました。

(3)祖母の死
天外者と重なるマトと祖母との対面場面と、マトが祖母を想い、「ご苦労様ー!ありがとー!!」と空に向かって叫ぶ場面です。マトが健気で、その言葉が刺さりました。

春馬少年がとにかく可愛く、内容も心温まるもので、とてもいい映画でした。監督の春馬少年に対する「光ってた」の言葉にも大いに納得でした。
心がポッカポカになったところで、エンドロールの「村木勲」さんのお名前に引っかかりました。帰宅後に調べたら、春馬くんが子どもの頃お世話になった方と同じお名前だとわかりました。せかほしでサインを紹介しながら「お父さんのような存在」と言われていた方がこの方でしょうか。
SNS でもそのようなコメントが見られ、共演していたんだ!と勝手に嬉しくなると同時に、また森の学校が見たくなりました。とはいえ限られた上映場所と期間であったことから、それは叶いそうもありませんでした。

少年動物誌が読みたい

You Tubeでシンガーソングライター堀内圭三さんが、「森の学校」の魅力に加えて、原作となった「少年動物誌」を紹介されていました。その中で「少年動物誌」を読んでから「森の学校」を観るとより一層の感動を覚えるとおっしゃられているのをお聞きし、もう一度観たいという気持ちが強くなりました。
再び上映スケジュールを確認したところ、なんと上映再開!すぐに少年動物誌を注文し、読んでみました。

2回目を観た感想

そして2回目を鑑賞したので、原作と映画がリンクするところを主に振り返ってみます。

(1)鶏の卵
鶏が産んだ卵の数に応じて、お母さんから小銭をもらっていました。私は何をしているのかわからなかったのですが、お父さんが「自分の好きなことをしたい時には、自分のお金でしなさい」という方針のため、鶏を飼って、産んだ卵をお母さんに買ってもらい、子どもたちのお小遣いとしていたとわかりました。

(2)マトとミトの関係
映画でも2人は一緒に行動していますが、原作でも他の兄弟の中でも気が合い、互いに頼り頼られる存在であることがわかります。原作では、ミトの方がしっかりしているように感じました。梟にやる蛙の死骸を見て、マトが「ミト、もう止めようか」と言う場面がありますが、原作ではミトがマトに言っています。

(3)新兵器
ヒコやんが郡家の奴等にいじめられ、仇討ちする際に新兵器として虫を出動させます。あれはいつか敵が攻め込んだ時に備え、マトとミトが飼育していたミイデラゴミムシという毒ガス部隊でした。実戦に使った相手が映画と原作では異なり、原作では不発に終わってしまいましたが、映画では成功しました。

(3)憲兵隊長の息子と喧嘩
お父さんは憲兵隊長と息子を前にマトに「お前はえらい!憲兵隊長の息子をよく殴った。素手で木刀相手に向かっていくのはますますえらい!!」そして憲兵隊長に向かって「喧嘩の仕方を息子に教えて差し上げてはいかがかな」と言います。
この場面は原作にはありませんでしたが、マトなりの正義感に基づく動物への向き合い方がありました。マトが卑怯とは何か自分なりに考え、卑怯なことはしないと決めて動物に向かっていることがわかります。ただ、マトの生物が好き=生物に優しいではなく、残忍だなと思う部分もしばしばありました。

マトとミトは色々悪さをするのですが、映画で襖が映ると「ここでやったのかな」と原作が思い出されます。また原作ではマトが雀の雛を学校に連れてきて騒動になる場面があるのですが、そこを春馬少年が演じたらほんとに可愛いし、面白いだろうなと耽ったのでした。
かわいい春馬少年と、マトの伯父役の村木勲さんを拝見でき、満足でした。そしてこの作品は、春馬少年の道徳心を養う助けになったんだろうなと想像します。

少年動物誌のあとがきを読んで

あとがきで、マトこと河合雅雄先生と春馬くんの相通ずると感じたところを2つ挙げます。

(1)生き物と漢字
マトは、本の中で動植物の名前を努めて漢字で書くようにしたと述べています。ネコやカラス、ヒノキ、カキなどカタカナで表現されることを嘆き、自然を構成する一員としてそれぞれの役割を担っているのだから、各々にはちゃんとした名前を与えて存在を認め、私達の身近な仲間として接していきたいと。そして漢字が持つ素晴らしいイメージを壊したくないから、漢字を多用するのだと。
確かに普段カタカナで見たり書いたりするばかりで、動植物を漢字でどう表現するのかほとんど知りません。
でもふと春馬くんは、どこかで漢字を使っていた気がしました。そして探してみたところ、ありました。アイネクライネナハトムジークの東京での舞台挨拶で嫌いなものを訊かれた際、春馬くんは「蟷螂(カマキリ)」と書いています。
漢字ペディアによると、これは漢名であり、「とうろう」とも言うし、日本語をあてて「かまきり」と読んでるのだそうで、車が近付いても逃げないという意味のようですφ(..)メモメモ
春馬くんは嫌いだからカマキリの漢字、調べたのかな。

(2)想像力
マトは学校の勉強に縛られず、自然の中に埋もれて育ったおかげで、少年期にイマジネーション能力を十分養うことができたと言っています。併せて、物理学者の湯川秀樹博士も、理論物理学者に最も必要なことの1つはイマジネーションが豊かなことだと言っていると紹介し、イマジネーションは、あらゆる分野での創造的な活動の原動力となるものだと言っています。
春馬くんも2020.7.8の太陽の子の記者会見で、「戦争を進めていくうちに人間の想像力が欠如する。僕たちの仕事は、想像力を皆様に届けること」と伝えています。
受け手が想像力を働かせ臨場感を持つには、当然ながら送り手の発信だけではなく、受け手側が自らの感受性を養うことが大事です。とはいえ感受性が低下していく一方…
まずは相手を慮る想像力を、意識して働かせるようにしたいものです。

「森の学校」を上映しているのは現在県内1箇所で、片道2時間かかるのですが、今度別の地域でも追加上映されることになりました。若干時間が短縮されるので、また映画館に足を運んでみます。