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関西~山陰の旅日記⑧ 須磨の関守
旅の2日目。
西宮から新快速で姫路に向かうと、左手に淡路島、右手は遠くにあった山が次第に近づいてきます。
淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に
幾夜ねざめぬ 須磨の関守 (源兼昌)
百人一首の一句ですが、天の原(あまのはら/阿倍仲麻呂)、天津風(あまつかぜ/僧正遍照)との3点セットで覚えたのを思い出します。
急峻な崖を馬で駆け下りて平家を襲った「義経の逆落とし」で有名な一の谷を過ぎると、新快速電車は山が海に迫る狭い場所に向かいます。
「須磨の関守」がいたのだから、ここに関所があった、そういう地形です。
「須磨の関」を過ぎると神戸市が終わり明石市に入るのかと思いきや、さにあらず。
明石駅前 魚の棚(泉房穂 明石市長によると「うぉんたな」と読むそうな)の小料理屋の店主に聞いたところ、1956年に神戸市が政令指定都市になる際、神戸の人口水増しの為、もともと明石の縄張りだった垂水地区(須磨の関と明石市の間)が神戸市に奪われた、のだそうです。
・・・神戸が「灘」の地名を独占したのと同じで、政令指定都市になる為なら「何でも有り」だったのかもしれません。
明石海峡大橋も、明石市でなく神戸市 垂水区 舞子 が起点ですが、この橋が出来た時「明石」の名がついて、明石の人達は少し溜飲を下げたのではないでしょうか?
そもそも淡路島の対岸が「明石」だったから「明石海峡」の名がついたのだと思うのですが。(3年前の初訪問以来、大の「明石びいき」になっている私です)
(続く)
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