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この町を選んだ夫婦の結婚式


地元出身でUターン組の筆者にとって、「わざわざ丹後へ移住してきた人」の物語を聞くのは、まるでドラマや小説の世界を見ているような。移住にまつわるエピソードには、不思議な縁やタイミングの妙が詰まっていて、いつも決まって聞きたくなる質問があるのです。

それは「きれいな田舎って日本中に沢山あるのに、どうしてわざわざ、はるばる丹後に移り住むって決めたんですか?」という質問。ある何気ない会話でこう尋ねた私に返ってきた言葉は、意外なものでした。


このまちの人たちの”生活満足度の高さ”に嫉妬したんだよね〜 ずるい!私もはやく仲間に入りたい!って

こう答えた言葉の送り主は、京丹後へ2015年5月に移り住んだ小林朝子さん。皆に”あさやん” と呼んで慕われ、人々を丹後へ誘い、ライフワークとして移住支援の活動を続けている女性です。

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あさこさん(右)と太郎さん(左)

「海が綺麗だから」
「食べ物が美味しいから」
「空気が綺麗だから」


田舎、丹後の魅力を語る大抵の場合、景色や食べ物が挙げられます。だからこそ「住んでいる人が自分の暮らしに満足していること」が移住の決め手だったとあさこさんの答えが返ってきた時、自分の心が震えた感覚がありました。楽しそうにしている人のところに、人が集まる。そうそう、一番大事なのは、そこだよね。住んでいる人たちが町の暮らしに誇りを持ってることが大事なんだよね、って。
という訳で、今回の丹後暮らし探求便では、あさこさんが2018年に挙げた結婚式について取り上げてみました。何故なら、あさこさんの丹後愛、このまちの賑わいが全面に表現された、それは丹後にとって記録的なイベント。にも関わらず、今までそのエピソードは写真と口伝で伝わるのみ・・・なんという奥ゆかしさ。このイベントについて3年越しの今からでも記録に残しておかねばと思いまして。当日は参加していなかった筆者・老籾ですが(Uターン前の出来事だったのです)あさこさんからお話を聞きながら、コラムの形で記録を残すことになりました。準備、ゲストとして参加した方々も、あの時を懐かしみながら読んでみてくださいね。

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片付け中の写真 片付けだけでも盛り上がっている

私の住む場所を自慢したい!そんなキッカケから

北海道旭川市出身のあさこさんですが、京都市内の会社で社会人生活を送っていました。2014年にイベントで訪れた丹後で面白い人に出会い、人に会うために通うようになって、移住したのはたった半年後のこと。

移住する際、元職場の方々からは「そんな僻地へ一人で移り住んで大丈夫か・・・??」と心の底から心配されたのだとか。皆さん良い人で本当に心配してくれていたことは分かるけれど、心配するほど未開の地じゃないよ、こんなに良い場所ですよー!と自慢したい心から「友達を丹後へ招いて、私が住まいに選んだ地域を自慢したい

そして丹後に何もないと思っている丹後に住んでいる人に「丹後ってもしかしてすごい!?」と気付いて欲しいという想いで結婚式を企画したのだそうです。選ばれた場所は、久美浜湾に面した浜公園。初夏の海を背景に特設会場を設けるところから、道のりが始まります。


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芝を刈り、木を伐り出し、流木を集める挙式準備

芝刈りから始まった会場準備


「これやりたい!」と言うと、必ず助けてくれる人が現れる町。農家、飲食店、木工、装飾・・・色々な分野で技を持つ人が揃った町。だから「丹後だったら人の力を借りてできるな」と想い、手作りの挙式を決めたのだと言います。あさこさんの予想通り「結婚式やりたい」と話すと「面白そう!やろうやろう〜」と掲げた旗に人が集まりました。挙式準備のスタートは、なんと会場の芝刈りから。若手農家たちが仕事道具の草刈り機を携えて、芝を刈って会場を整えました。そんな挙式ある??


テントや会議机は商工会や市役所からレンタル、ブース設営用のパレットをホームセンターで無料でいただき、パーティー用の椅子やテーブルを丹後の超おしゃれな家具屋さんが貸してくれたり、森から材料を伐り出して来る人がいたり。運搬が必要となれば、皆が手伝ってくれて、何台もの軽トラが集まったり「こうやって何でも自前で調達してもらえるのって、都会じゃ無理だったよね〜」とあさこさん。自前での会場設営は想像以上に大変で、企画メンバーのうち2人は前日も会場にキャンプ泊して遅くまで準備に勤しんだのだそうです。そんな挙式ある??(再)

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当日朝6時「ほんとに間に合うの??」と思いながら準備中の様子・・

それは、まるで海沿いのサマーフェス


手作り結婚式といったって、手作りの温もりを残しつつも職人が集い最高のサービスが提供されるイベントとなりました。

とにかく丹後のスペックを自慢したい!とフード・デザート・ドリンクは地元で愛される飲食店10店舗が出店。引き出物は工務店に作ってもらったウッドプレート。友人に作ってもらった手作り石鹸。ゲストに配る陶器のブローチも、友人による手作りの一点もの。会場装飾はデザイナーに、ヘアメイクは東京で活躍していたメイクアップアーティストに、それぞれ地元在住のプロたちに依頼しました。

当日のステージでは、余興の域を超えたバンドの方々、木彫作家に作ってもらったリングホルダーまで登場して大いに盛り上がりました。ちなみに式の開催までのスケジュール管理、駐車場整備など人員と詳しい知識が必要な分野では、地元のウェディングプランナーの方々がお力添えされました。「こうしたい」の理想を下支えして叶えるプロたち、そして一緒に汗水流して動いてくれるボランティアメンバーが集まって、結婚式を迎えることができたのですね。

太郎さん&あさこさんの丹後でできた繋がりで生まれたこの日限りのスペシャルコラボ。そう、それは、まるでサマーフェス!

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狙いは「今日何しに来たんだっけ?」の式


当日は引き出物として友人の丹後工務店にオーダーメードで作ってもらっらウッドプレートを配り、その器に好きなブースの食べ物を取って食するスタイル。席まで料理が運ばれる従来の式と違って、自由席で丹後に住む地元の人や移住者、新郎の出身であるお隣の但馬の人、遠方から祝福に訪れた友人、球技大会終わりで様子を見に来た近所の人、移住希望者まで、総勢250人がゴチャまぜに交流できるパーティー

4時間続いた挙式のあと、主催者側では二次会を企画していなかったのですが、はじめましての人同士が自分たちで二次会を企画して丹後を回遊していったのだと言うから、集まる人同士、分け隔てない交流会になっていたことが伝わるエピソードですよね〜

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当日ゲストにプレゼントされたウッドプレートも丹後で加工されたもの


あさこさんの挙式の狙いは、ゲストが「今日何しに来たんだっけ?」と思うくらい、自分たちの結婚のことを酒の肴に、丹後を満喫してもらうこと!この一点にあったのだと言います。実際、丹後でこの挙式の思い出は「例のフェス」と呼ばれて語り継がれていて「賑やかなお祭り」と記憶されている様子。これはきっと、あさこさんの狙いどおり!

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サマーフェス結婚式バージョン??

「コロナ明けにまたやろう!」


本来、結婚式とは一度きりのものですが、楽しさのあまり「あさやん、次の結婚式はいつやるの??」なんて声が度々上がっています。あさこさん自身、何年かに一度、今度は自分達が主役ではないフェスを開催することが目標なのだとか。私行けなかったから、次は参加したい!次はいつ?と尋ねると「うーん、コロナ明けとか? その時出会ってなかった人とも思い出を作りたいし、理由はその都度何でも良いからまたやりたいよね〜」と、ゆるーい回答が返ってきました。そうそう、理由は後付けでも良いから、楽しいことやろうって気持ちが大事ですよね〜

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”情報の玄関口”の文化が残っているから


あさこさん曰く、丹後には「これやりたい」と旗を揚げると「ええやん、やろう!」と乗って、力を貸してくれる人の顔がすぐに浮かぶのだとか。このノリの良さには「文化と情報の玄関口だった町の歴史」も影響しているのでは?というのです。
丹後半島はかつて、新しい文明の玄関口としての位置する地域の一つでした。海洋ゴミの漂着を見れば分かるとおり、潮の流れの関係で、中国大陸・朝鮮半島から流れ着きやすい場所だからです。当時は文明の最先端であった大陸から、稲作、機織り、酒造り、ガラスや鉄製造技術が持ち込まれ、発祥の地としての記録が丹後の各所に残っています。田舎は閉鎖的とか、”地域の古き良きを大切にの精神が根強い”とか言いますが、丹後の人は結構、新しいもん好き。各々の技術と行動力があって「とりあえずやってみる」が得意な人が活躍しているように思います。単純に田舎で娯楽が少ないから、自分たちで面白いモノを作る精神が鍛えられているようにも感じるところです。さらに、丹後ちりめんの最盛期には、大きな雇用を生み出していたので、山陰地方から集団就職で人々を迎え入れる地域でもありました。太古の昔、大陸との交流が盛んだった時代から始まり、近代の産業まで、外から人を受け入れることに親しんでいた風土が根付いているのでは?とあさこさんは話します。もちろん丹後の人と言っても色んな人がいて、一概に括ることはできませんが、この分析に私も共感するところなのでした。

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「何でも面白がれる人」がいたら、まちは賑やか

今でこそ丹後暮らしを紹介している私(著者)ですが、多くの丹後出身の若者と同じく、かつては何もない(と思っていた)退屈な地元に飽き飽きする10代を過ごしたまま、高校進学を機に地元を離れました。しかし、かつて「ここには何もない」と感じていたのは「何もない、不便、ダサい」とこの町を卑下する言葉に囲まれて育ったからなのかもしれないと、今振り返ってみると感じ方が変わるものです。この町が退屈で仕方がなかった10代の頃、わざわざ丹後を選んで「友達にここを自慢したい」と挙式を企画して、人を誘って。そんな大人と出会う機会があったならば ”この町だからあるもの”を探す心が育まれていたことでしょう。町の見え方が変わっていたように思えてなりません。


一度ふるさとを離れたものの、10年越しに帰郷した私には、2度目の丹後は予想外の連続でした。そして、予想外の出来事ランキングのトップに君臨するものは「若者の賑わい」です。ふるさとに帰ってから、こんなにも同世代の友達に出会えるとは考えてもみなかった!何なら大阪に住んでいた頃よりも、同世代の仲間と出会える機会が格段に増えました。いえ、確かに若者の絶対数でみれば、都会とは比べ物にならないくらい、田舎は数が少ないことは事実です。

しかしながら、今の丹後には「わざわざ丹後を選んで移住した人」「意思を持ってUターンを決めた人」が集っています。それぞれに思いと理想の暮らしがあって、関わり合いの中で営みを生み出しています。だから、人口の少なさなんて、若者の少なさなんて微塵も感じないほど、賑わいがあるのだ。目の前にあるものを面白く解釈して、自ら遊びを作れる人々の賑わいです。町の賑わいって、単純に人数だけのお話ではないんですね。


まだ当面続きそうなコロナ時代ではありますが、リアルに人が介せない世の中だって、この賑わいは停滞していません。いまの世の中だから出来る色々を皆が模索して、オンラインサービスなど駆使しつつ、楽しみながら企画を立てています。次はどんなプロジェクトが始まるのだろう? うーん・・・でも、やっぱり、太郎&あさこペアのフェスが心待ちでならないのです。


ー最後にー


記事中に使用している画像は、KOKOIRO井上さん(京丹後市網野町)による撮影画像のデータを使用しています。

この町ならではの結婚式について、こちらの記事もどうぞ。
この記事の筆者・老籾(おいもみ)が自宅で行った結婚式のレポートです。

丹後の「人」と「暮らし」を綴った、丹後暮らし探求記。
次はどんな風景を切り取ろう。どうぞお楽しみに。

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