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サッカー部長メッセージ(5) 5/15/2020


こんにちは。きょうの名言です。自分とサッカーとの関係を考える材料にしてもらえたら幸いです。

「どこにのがれようと、運命は追跡してきます」

 今から10年以上前に、僕はアメリカのフロリダ北部の田舎道をレンタカーで飛ばしていました。なぜフロリダにいたのか? それは19世紀にあった戦争の跡地を訪ねたいと思ったからです。
 皆さんは世界史で習ったかもしれませんが、19世紀にアメリカ政府が南部のインディアンを中西部の居留地に排除しようとしたときに、徹底的に抗戦した部族がいました。セミノール族です。セミノール族は3度も合衆国国軍と戦い、とりわけ第二次セミノール戦争は1835年から7年も続きました。
 大半のセミノール族は強制移住させられることになりましたが、数百名のセミノールの人たちは移住を拒み、ワニがたくさん棲息する湿地帯に逃げ込みました。
 僕は、したたかに抵抗したセミノール族の精神の一端に触れたくて、かつての古戦場を見たくなりました。それで、現地に赴(おもむ)き、この目で戦場跡地を見たいと思ったのです。
 正確な地図があるわけではなく、研究書のイラスト地図と、ロードマップを突き合わせながら、車で飛ばしていると、「インディアン交易所」という看板が目に入りました。まだ朝早く開店前で、店のドアをノックしてみると、中年の女性が姿をあらわしました。
 僕がセミノール戦争の跡地を探しているというと、もうすぐそういうことが詳しい人がくるから待つように、と僕に言いました。
 やがて、その人がやってきました。若い人に抱えられて机の向こう側に座ると、その老人は僕に名刺をくれました。名刺には、ドクター・リック・ナイトと書いてありました。ナイトは「騎士」という意味の Knight と同じ綴(つづ)りです。
 ナイト博士は、そのとき70歳でした。若い頃は、観光客相手のインディアン村で、ワニとの格闘ショーなど、危ない仕事をやっていたそうです。その後、大学に行き、心理学を学んで、博士号まで取ったのですが、数年前に、病気から両目を失明することになりました。そこで、店の隣に「教育センター」を設立して、地域のインディアンの子供たちに「部族語」を教えていると言っていました。白人による「同化政策」で、劣等感を植え付けられているインディアンの子女に、自分たちの文化や言語を教えて、自尊心を取り戻させよう、というわけです。
 そんなふうに、僕たちは旧知の友達のように、二時間ほど話し込んでいました。
 別れ際に、僕はふと「偶然にここを通りかかって、幸運でした」と感謝の言葉を述べました。
 すると、盲目の賢者はさりげなく「あなたがここに来たのは、偶然などではありません」と言ったのです。僕は胸を突かれた思いでした。
 老人は言葉を続けました。「この地球のどんな辺鄙なところで起こることでも、それだけでポツンと起こるわけではない。どんな出来事も、みな繋がりがあるのです」
 僕はそのとき、目に見えない「運命」の糸に導かれていたことを悟ったのです。

 さて、きょうの名言に戻ります。これは、中世、14世紀イタリアの詩人で学者のペトラルカが文人ボッカッチョと交わした手紙の中で述べた言葉です。前後の文脈を書いておきましょう。

「場所と心が変われば運命も変わりうると期待していましたが、あきらかに思いちがいでした。わたしがどこにのがれようと、運命は追跡してきます」( 『ペトラルカ=ボッカッチョ往復書簡』(近藤恒一編訳)岩波文庫、2006年)
 
 皆さんが、いま明大サッカー部にいるのは、果たして「偶然」でしょうか。それとも「必然」の「運命」なのでしょうか。

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部員の応答
4年生 OT(フォワード)

おはようございます。
お世話になっております。越川先生の部長メッセージについて思ったことを書きました。

今回の言葉はすごく難しいと思いました。心や場所が変わっても運命は追跡してくるとありますが、心が変化することさえも運命に縛られてるんじゃないかとそう思いました。
例えば日本代表に入る運命の人は、今この瞬間に日本代表に入るために頑張ろうと考えて行動を起こす運命にあると思いますが、入れない運命の人はいつまで経ってもその考えと行動を起こさないんじゃないかと考えます。
なのでペトラルカが述べたこの言葉は共感できる自分がいます。しかし、どこかで運命というものに未来が縛られてることを寂しく思いますし、それに抗いたい自分もいます。その抗おうと思う心も運命によって決まってるかもしれませんが。
この考えにはキリがないので本当に難しいと思いました。

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部長の応答

お返事ありがとうございます。本当にそうだね。過去のことは運命と理解できても、未来の運命は誰にもわかりませんからね。未来の運命がわからないからこそ、生きている人間は、もがいたり、努力したり、不安に思ったりするのでしょう。
どうせなるようにしかならないから、適当にやろうと思う人もいるし、どん底で開き直る人もいるでしょう。それも運命なのでしょうか。

一つだけ言えるのは、運命を信じられる人は、人との出会い(ご縁とも言いますね)を大事にするので、幸せになる(幸福を感じられる)確率が高いということです。

また、将来の運命(日本代表になることをめぐって)がどうであれ、やるべきことをやった人と、やらなかった人では、結果がどうであれ、あとで感じる達成感や、次のステップへの動機づけがはっきりしてくるので、やはりやるべきことをやったほうがいいと、僕は思います。

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OTの応答
ありがとうございます。
後に感じる達成感や次への進み方については思いつきませんでした。越川先生の言う通りだと思います。過去や未来を気にするのではなく、今を大事にしたいと思います。

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4年生 SK(フォワード)
僕は、人生の中で、挫折とまでは言えないが、苦い思いを沢山してきた。サッカーチームの転移によって、色々な要素をそのチームから吸収した。ジュニア時代は勝ちたいと思う強いメンタリティの部分、中高は基礎技術の研磨、大学では力強さと考える力、そして人間性の部分。
高校3年間で、監督が3回も変わりそれに相応して監督の意図を汲み取り、それをピッチで体現しなければならないという経験もした。

僕の人生における「運命」とは、一人間としての欠陥を補填するかのような試練のようにも見える。その試練を、このくらいでいいや。と楽観視し、無視すると、後からツケが回ってくる。あの時やっておけばよかったな、と。環境を変えても運命(試練)からは逃れられないとはこういうことなのではないだろうか。
今後、「運命」が舞い降りた時、生かすも殺すも自分次第だ。まず、その運命を重要視し、真っ向から向き合い、考え、挑戦していかなければならない。僕は、常にその気持ちを持ち続けたいと思った、「運命」は決して逃げ出したりしないから。

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OBのJリーガー MT(ミッドフィールダー)

越川先生、こんにちは。
ついに、こちらではチーム練習が再開されました。
自分でも理解してますが、やはりここからです。上昇気流に乗れるよう頑張ります。

今回も名言ありがとうござます。
拝読して、ふと明治大学入学時を思い出しました。

私は小学生の時から、歴史好きの父の影響を受けていました。とりわけ、日本史が好きで、僕の名前にある"龍"は父の大好きな坂本龍馬が由来となっています。

しかし、明大サッカー部の推薦をいただいた私は、S学部を第一希望にしていました。あの明治大学から推薦を貰えた喜びと、S学部が看板学部であるという情報だけを手に、熟考せぬままに志望書に記入していたのです。

ところが、何かの手違いで、文学部の日本史、アジア史、ドイツ文学専攻しか受けられないと連絡を受けました。でも、特に戸惑うことなく、日本史、アジア史を志望し、アジア史を専攻することになり、そしてEGWゼミの門を叩きました。

アジア史での生活は苦難を極めました。なにせ、学力のレベルが高く、アジア史には志高く入学したものばかりでした。しかし、ゼミの仲間と父に育ててもらった歴史好き魂が、卒業論文の作成と面接まで僕を支えてくれました。
今考えてみれば、歴史が好きでなければこの苦難を乗り越えられず、卒業も危うい状況だったのではないかと恐ろしくなります。笑笑

話を戻すと、あの手違いは偶然だったのか。
きっと、ぼくの人生の流れが、流れに逆らったぼくを軌道修正してくれたのではないか。つまり必然だったのではないかと思ったのです。


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