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僕と父とプレイステーション

「なあひろし知ってるか?スーパーファミコンよりすごいゲーム機が出るんだよ」

1994年の夏頃だったか、ゲームに熱中していた僕にいきなりこんな風に父が語りかけてきた。当時はスーパーファミコン全盛期で中学生だった僕がその言葉をにわかに信じれたわけがない。何で父がそんなことを言い始めたかというと、父は販売促進業の事業をやっており、店頭用のプレイステーションの販促企画の下請けを担当していたようなのだ。(なにせだいぶ前の話なので、よく覚えていないが、確か店頭のディスプレイやポップを担当していたような気がする)

「お父さん、何言ってんだよ。スーパーファミコンが負けるわけないじゃん」

「ふうん、そんなものかな。でも3Dですごいんだぞ」

何言ってんだよ。スーパーファミコンにはスターフォックスがあるんだぜ。ゲームセンターも必要ないレベルなんだ。当時の小・中学生は誰だって思ったはずだ。俺たちの任天堂が負けるわけない。

その年の冬、12月3日、プレイステーションがいよいよ発売した。
その少し手前で発売したセガサターンはバーチャファイターで盛り上がっていた。もちろん僕も友達の家でプレイした。奥行きのあるグラフィック、滑らかな動きに驚愕した。そして当初は全く期待していなかったプレイステーションが欲しくて欲しくて堪らなくなっていた。

それから数ヶ月後、世間はプレイステーション一色になっていた。僕も経緯は忘れたが何とかプレイステーションを手にし、リッジレーサーや闘神伝などを遊び倒していた。3Dのゲームを遊んでいるうちに父のある一言を思い出していた。
それは遡ること3年前。テレビでドラボンボールZの超武闘伝のCMを見た時の父の一言だ。超武闘伝のCMは当時の最先端のコンピューターグラフィックスで悟空とセルがバトルするという内容の間にスーパーファミコン実機でのゲーム画面がインサートされるというような構成になっていた。父はこう言った。

「何だよ、CMのグラフィックで戦えたら面白いのにな」

(ああ、あの時父が言ってたことが現実になったんだなあ、わずか数年ですごい進化だな。直接開発に関わった訳ではないけど、プレステを世に送り出す仕事に携わった父は先見の明があったんだなあ)

そんなことを子供心ながらに感じ、ちょっと誇らしかった。

父はそんなに遅くに帰宅するタイプの働き方はしていなかったが、たまに僕の就寝時間を過ぎてから帰ってくることもあった。その時は必ず僕の部屋のドアを開け、こっそり僕の顔見てからリビングに行くのだ。小学生の時は僕もぐっすり寝ていたのでたまにしか気づいてなかったが、中学生ともなると文化放送のラジオを聴いてたり、なかなか寝付けなかったりで布団の中で父が僕の部屋をこっそり覗いている様子を伺ったりしていた。

95年秋のとある日、その日も父親は帰宅時間が遅かった。
僕は布団の中でゴロゴロしながらなんとなく寝付けないでいた。僕の部屋は玄関を開けてすぐのところにあったので誰かが帰って来ればすぐに気づく。

ガチャリ、とドアが開いて父が帰ってきた気配があった。

(今日も部屋覗いていくだろうな)

何となく、起きてるのがばつが悪い気がして僕は寝たふりを決め込んだ。
僕を起こさないように気遣ってか、キィィ・・・とゆっくりと部屋のドアが開く。次の瞬間だった。

ぽんっと父親が何かを僕の布団に向かって投げた。ボスっとお腹あたりに何か落ちてきた感触がある。父は何かを僕に投げた後、ドアを閉めリビングに向かっていった。

(何を投げたんだろう・・・?)

触った感触から何かのゲームソフトのケースであることはわかった。気になってしょうがなかったので僕は少し明かりをつけタイトルを見てみた。

(??????????????????)

僕の布団の上に落ちてきたのはときめきメモリアルだった。
謎だった。なぜ父がときメモを持っているのか、なぜそれを思春期真っ只中の中二の僕にくれたのか、なぜ無言で置いていったのか全く意味がわからなかった。どちらかというと父は厳格なイメージで恋愛趣味レーションゲームに興味があるようには全く思えない。ものすごくモヤモヤしたが、寝たふりをしている以上確かめる術がなかったのでその日は大人しく寝ることにした。

翌朝、会社に行く前の父にときメモのケースを見せながら質問してみた。

「これ、どうしたの?」
「取引先から今一番流行っているゲームって言ってもらったんだよ。」
「そうなんだ、ありがとう。」

なんてことはない。ただ取引先に流行ってるからという理由でもらっただけだった。硬派だった父からすると恋愛ゲームを直接僕に手渡すのが恥ずかしかったのだろう。僕も父からときメモを手渡されたらめちゃめちゃ照れただろう。ちなみに僕はこの時までときメモの存在は知ってはいたけど全然興味はなかった。せっかく父がもらってきて来れたのだからととりあえずプレイしてみたらこれがどハマりして、向こう半年くらいはきらめき高校の生徒として過ごす羽目になる。

それから2年くらいして父は亡くなった。父からもらったプレゼントで一番最後に印象に残っているのがこの出来事だった。
このときメモ事件から2年生きていたので、きっと他にも何かプレゼントもらっているような気がするのだけれど、夜帰ってきて、こっそり子供達の寝顔を見にくる父の気持ちが嬉しくてもうすぐ40代を迎える今になっても忘れられず、大切な思い出になっている。

#プレステの思い出

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