散文「霞演算/モアイの花札」

 あるふたつの関数にしたがって、涙をながすモアイがうまれた。空と機械と三白眼の証明書。孫娘の首をしめて殺さなければならない六月のことである。赤提灯が洟をたらす霧雨。

 ちょうど正面からぶつかるようにして3台の車がこわれていた。人の影はなかった。大通りの真中で、3台の車は2台になった。誰もそのことに気がつかなかった。彫刻家を名乗るひとりの男が、石を人形にみたててあそぶ幼女をみつめている。杏の香り。田口だったか、森田教授だったか、この香りを呪文のように嫌っていたのは。どちらも今は結婚して、かたくなに子孫繁栄を尊んでいるにちがいない。おれは近所の中華料理屋で、塩ラーメンをすする。大盛りにしたかったのだが、財布を改めて見てみると500円玉だと思っていた貨幣が25セント玉だと気づき、しかたなく大盛りにするのを諦めたのである。

 月の話を祖母にしてもらうのが好きだった。母の声は、悲鳴を怒声が打ち負かしたような声で、かつて尊くおもったことはない。消毒液を飲んでしまって泣きだした幼女 悲鳴をあげるその母親 それとはまるで関係の持てないところで、臨終をむかえようとしている骨肉腫の幼女がいる しがらみは無限に存在し、故に月の話をする老婆は、中性子のように、孫息子へ月を伝えようとするのだ。

 菱形の目をした虫が、さめざめ泣いている。それでもまだ春の訪れをまたなければならないのだ。茶碗のふちに、米粒と口紅がついている。明日は彼らに夢が訪れるのだろうか。しだれ桜が今年も咲きはじめる。首筋に小さな水滴が落ちてきて、声を上げた少年のことを他の少年たちがはやしたててゆく。合間に、秒針の音がおし込められていて、おれは、二度と彼女らの時代が訪れないことを祈っている。

 日光の三猿の前には、いつでも学生が通っている。社会的通学路とも言える東照宮の近くに、うがい薬を使ったうがいのしすぎで口の中へ炎症が広がっている友人が暮らしている。屋台で焼かれている鮭を見ないようにするのだが、口からは唾液があふれ、一瞬、痛みがやわらいだあとに、また具体的な痛みがやってくる。

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