藍色について

 人が布をまとい始めた太古の時代から、美しく着飾ることは人々の社会性や本能に深く根ざしている。

 中でも藍色はおよそ6500年以上にわたる歴史を持つ色である。日本でもその歴史は古く、奈良時代にはすでに藍が日本で栽培されていたといわれている。藍の伝来には諸説あるが、弥生時代にシルクロードを通ってインドから中国を経由し、日本に藍が伝来したという説が有力である。

 しかし藍色の歴史は古いが、庶民が自分たちのために藍色の染め物を作ることができるようになったのは江戸時代に入ってからであるという。それまで藍染めは絹を独占していた上流階級の人々のものであったが、江戸時代の木綿の流行とともに藍色の着物は庶民の間に急速に広がっていった。藍色は別名ジャパンブルーと称される通り、江戸時代に日本を訪れた外国人は鮮やかな青を身にまとう庶民に驚いたという。

 青は世界各地で高貴な色とされてきたが、江戸時代、庶民の間で藍染めが広まったというのは、この時期の日本の成長と安定を物語るものであったのではないだろうか。心理学的には藍色は聡明さや知的、理性や創造、賢さ、意志や信念といった概念を示す色であり、これも同じように世界一の大都市となった江戸の街を表しているようである。

 藍染めはもともと生の藍の葉っぱを使う「生葉染め」が主流だったと考えられている。しかしこの方法では夏から秋にかけての藍が茂る季節にしか作業を行うことができないため、葉を保存するために乾燥させておくようになった。乾燥した藍は秋から春にかけて、藍師によって寝床に寝かされ、水やりと切り返しを繰り返して発酵、分解させると、藍の葉の成分を凝縮したスクモと呼ばれるものが出来上がる。この画期的な技術が開発されたことにより、それまでよりも遥かに良い藍染めの染液を作ることができるようになったのである。

 しかし染色において、藍染めは他の草木染めと決定的に違う点がある。他の草木染めが色を定着させるための媒染剤を使用するのに対して、藍の場合、藍の葉にもともと住み着いている還元菌を使い発酵させる「藍建て」という作業を行う。この藍建てという作業は、木灰からとったアルカリの液を使い、菌の活動を助けるために日本酒などを加え、最適な温度を保つことで、発酵が進み、初めて染液が出来るというもので、化学薬品等を一切使わないこの技法は、「天然灰汁発酵建て」と呼ばれている。天然灰汁発酵建てで得られた染液の中では、藍の色の成分は、アルカリ状態でまだ青くはない。その染液に浸けられた糸や布が、空気に触れることで酸化反応が起き、藍の成分が繊維としっかり固着し、そこで初めてあの鮮やかな藍色を発色するのである。

 今日、印刷やデザインのための技術がどんどんと進化している社会となっているが、それは言い換えれば、多くの人が、数えきれないほど膨大な種類の色に、自由に触れ、興味を持つことができる社会が構成されているということである。世界中でいまだ、色の絶滅は確認されていない。いわんやこれほど長い歴史を持つ藍色においてをやである。

 私は高校卒業の時まで薙刀を習っていたが、剣道や薙刀で使用する防具にはいずこかに藍染めの布や紐があしらわれているものがほとんどである。新品の防具を着用して練習すると、必ず道着や顔、藍染めの小手をつかっていれば手にも藍色が付着する。そして不思議なことに体にはべったりと藍色がつくにも関わらず、藍染めの防具のほうはほとんど色落ちしないのである。

 藍色は、色があせにくい特徴があるという。私は中学1年の時に藍染めの小手を新しく買ってもらい、高校からはあまり薙刀に没頭しなくなったが、それでも約3年間使い続けた。その間、手に藍色が付着しなかった時は1度たりとも無かった。しかし小手の内側を覗いてみると、今もなお買ったときとほとんど変わらぬ藍色をしているのだった。その褪せない藍色が今も忘れられずにいるのである。

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