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『成木責め』を柿の木になったつもりで考えた

小正月にするお祈りに「成木責め」っていうのがあるらしい。

果樹の豊作祈願なんだけど

「大人と子ども」とか「祖父と孫」

とか「お爺さんとお婆さん」とかの

組み合わせで行われる。

まず、一人が鉈を持って果樹の前で「成るか成らぬか。成らねば切るぞ。」という。

続いてもう1人が「成ります。成ります。」という。

一般にこちらは豊作を約束する果樹の役とされている。

実際に鉈やクワで木に小さな傷をつける場合もあるし、その時傷に小豆粥を塗ったり、根本に酒を振る舞うこともある。

だいたいの流れはこんな感じ。

で、私はこれを柿の木の気持ちになってみた。
(柿の木であることが多い。)

パターン①
言葉で脅されて、
本気じゃないけど
ちょっと傷つけられる。

「実をつけますから勘弁して」
って言うと
「よう言うた」
と傷に薬を塗ってケアしてくれる。

どっちでも良かったらちょっと実をならそうかなと思うかもしれない。
薬を塗ってくれたのがポイントだな。そこを信じたくなる。

パターン②
「なります。」
って言うのが果樹ではなく
もう1人の人間だったパターンを考えてみた。
「(この柿の木は実が)なりますから。なりますから。(勘弁してやってください。)」
みたいなことだ。
おまけにまだならせるとも言ってないのにお酒まで根本に振る舞ってくれたりしたら、
このかばってくれて信じてくれた人のために確実に柿の実をならせたくなる。

私ってものすごく単純なのかな?

一応だけど、テレビドラマによると取り調べをするとき、怖い係と優しい係でコンビを組むのは知ってる。

あれも優しい係の時に話したくなるんだろうなー。

この豊作祈願は
人の頑張りを促すヒントだったり
するのかもしれないな。

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