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博物館の庭

味わったことのないような
興奮で眩暈がするようだ。

「空海展」の展示室から出た
私は現実世界に戻るため
博物館のスロープを下っていた。

スロープの先に
ガラスのドアが
目に飛び込んできた。

「こんなドアあったかな?」

奈良国立博物館。
過去に私は何度も来ている。
このドアをみるのははじめだった。

ドアの横にある表示に目をやると
入場者は庭園散策を楽しめるようだった。

博物館の外の現実世界にもどる前に
緩衝地帯としてあるのだろう。
今の私は緩衝地帯が必要である。

必要な時に必要なものが
目に飛び込んでくる不思議を
感じたのはきっと
さっきの「空海展」の影響だろう。

私は…まだ酔っているようだ。

大きな期待はしないまま
ドアを開けた。

シャラシャラシャラシャラシャラ

ドアを開いた瞬間に
水の音が耳に飛び込んできた。

!!

水の音が思考の疲れを一気に流してくる。

さらに耳を澄ますと鯉たちの跳ね回る音が聞こえる。

ぴちゃ  ぴちゃっ    ちゃっ

どこか一定な水の流れの上に
ランダムな生き物の奏でる音が
心を和ませる。

水の上にかけられた石の橋を渡る。

これは境界である。

この橋を渡ることで自分が別世界へ行くのを完全に理解して、私は渡った。

先ほどまでの頭でっかちな思考ではなく、身体全体で理解した。

文字や理論に比べて庭はなんと有機的な装置だろう。

大きな驚きに身を包まれながら橋を渡りきった私を迎えたのは一本の楠の木の巨木であった。
幹の脚元は大きなコブで埋め尽くされており、見上げずともその楠の木の生きてきた長い時間を彷彿とさせる。
この木は先ほどまでの私の興奮を笑って眺めてくれているようでなんだかとても安心することができた。

目線を庭全体に向けると、大きな池を道がぐるっと取り囲んでいるようで、待合や茶室がみえる。

飽きないでさまざまな感触、リズムを味わえるように作られたその道を私は素直に愉しむことにした。

飛び石、延段、砂利(あったかな?)
脚元の切り替わりは、景色の切り替わりにリンクする。

池をみるのに抜群の眺めだと思うと、そこには腰掛けなどがちゃんとあって嬉しくなる。

灯籠などのフォーカスポイントもリズムを添える。

気がつくと私は散策に夢中になり、さっきまでの緊張はすっかりどこかへ行ってしまった。

池の周りをぐるっと一周して、また違う石の橋を渡り、はじめと同じ橋を渡って庭から去る時、私はこの庭に足を踏み入れる前とは、違う自分になっていることを身体全体で理解した。

昨晩の酔いは覚めて、気持ちの良い朝を迎えたような心地で私はまた、ガラスのドアを開けた。

現実世界に戻るために。

博物館の庭は夢を見せてくれる装置のようだ。

言葉では語りつくせるものではない。そのために絵や、仏像、香り…たくさんのもので表現します。
しかし人に説明するのにはやはり言葉がいるのです。

「空海展」でみたメッセージは
庭のおかげでなんとなく身体に浸透した気がした。

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