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テーブルの下の脚に勇気づけられた話

ここは涅槃か?

私は訳あって合唱団のレッスンの見学に来ていた。

平均年齢70を越える合唱団なので、何曲か歌うと、休憩がてら先生がお話をされる。

先生は女性だが、話が上手い。
みんなを笑かしながらお坊さんみたいみたいないい話をする。

「女さだまさし」
私は頭の中でニックネームをつけた。

会場にいる生徒は先生の話に夢中である。ウンウンうなずいてて、ちょっと気持ち悪いほどだ。

そこには先生が掲げる理想空間を良しとする場がしっかり出来上がっていた。

ああ、この先生のやりたいのはこっちだな。
私はそう思った。

先生にとっては合唱の指導は手段であって、本当の目的は
「笑いながら、お互いを認め合う世界の創出」
なのだなと直感した。

レッスンのたびに理想のあり方を語る。
生徒が家に帰って理想を忘れかけたところにまたレッスンだ。
エンドレスな努力が要求される。

感心して眺めていると
そのうち生徒の1人が質問した。

「さっきの話聞いてましたか?」

それは見学の私ですらわかる、トンチンカンな質問だった。

先生は表情を曇らすことなくむしろ笑顔で
「よい質問ですね。」
ともう一回違うやり方で説明を試み始めた。

タフだな。
私は感嘆した。
理想のあり方を語るやつがイラついてはいけないのだ。
よくやってる。

ふと視線を落とすと
先生の足が目に入った。

壇上の先生が腰掛けているのはパイプ椅子なのだ。

右足が揺れている。
一見、貧乏ゆすりのようだが
さすがは音楽家だ。
リズムを刻んでいる。

伝わらないイライラを
リズムにして
上手に地面に逃がしている。

つまり先生は
上半身は如来で
下半身は人間だった。

いいものをみたと
感じた。
先生は人間なんである。

努力すれば多分
誰でもちょっとは
涅槃を創出できるのだ。

優雅に水面を移動する水鳥は
水面下で必死に水を掻いている。

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