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かつて星空に憧れた少年たちは、今宵も小さな窓から宇宙を眺める

「お父さんたちは、いくつになっても心に少年もってると思うで。」
気心の知れた先輩が言った言葉を思い出すようなことが先日あった。

父が入っている天文同好会では、毎年同好会誌をつくっている。
最後の製本はみんなで集まってするそうで、別の用事の帰り道、父に誘われてついていった。満腹感と昼下がりの太陽で眠気に襲われていた私は、科学館の飲食スペースで買った缶コーヒーを飲んだ後、一室で行われている製本作業に加わった。

ある人はホッチキスで止め、
ある人は製本テープを均等な長さに切り、
ある人はせっせと製本テープを貼り付ける。

「このテープ貼るのね、案外難しいんだよねえ。僕がやると絶対まっすぐにならないの」
そんなことある?と思いながら、製本テープを貼り付ける部隊に加わった。

年に一回。春の日に集まって、みんなで製本する。
製本テープが貼り付けられた完成品がテーブルの中央に積み重なっていく。
皆既月食と天王星食が同時に起きた去年の夜、同好会メンバーが各地で撮影した写真をつなげた表紙。
満月が欠けて、また満月に戻るまでの月が並ぶ。
手づくり感満載の同好会誌ができていく様をみながら、なんだかいいなと思った。

その後は会議。
おとんについてきた私は、オジサンたちの会話を片耳で聞きながら、ぱらぱらとできたばかりの同好会誌をめくった。1年の間撮り溜めた数々の力作が載っている。最初から読んでみると、色んな話があった。

自分と星との出会いを書いた人がいた。
はじめて望遠鏡を覗き込んだとき、よく分からないけど心が惹かれたと。覗き込むだけだった星空は、いつからかフイルムに写すことができるようになったと綴る文を読み、その人と星とが過ごした50年の時間を数ページの中に見た。

読んでもわからない話を書いた人がいた。
私は天文好きのおとんに連れられて星を見るくらいで、レンズうんぬんの話には疎いので、読んでもよくわからなかったが、とにかくそれが好きということは分かった。

藤井旭さんを偲ぶ話が記憶に残った。
「リメンバー・ミー」というアニメーション映画では、人は二度死ぬ話が出てくる。一度目は肉体が死んだとき。二度目は人々に忘れられたとき。藤井旭さんを偲ぶ色んな言葉を読みながら、この人には二度目の死は訪れないと思った。とても愛された人なのだと思った。

高校の地学の時間。宇宙の誕生の映像を見て、泣きそうになったことがある。
地球星が生まれるよりずっとずっと前に時空が生まれた。
数々の星が生まれて、衝突して、光って、死んでいった。
死んだ星が撒き散らしたガスが、次の星をつくる。かつて、宇宙が息をはじめた頃、そこにあったのは軽い物質ばかりだった。星が生死を繰り返すうちに、重い物質が生じ、それが私たち人間をつくった。
「だから私たちは皆、星の子なのだ」という話を見て目頭が熱くなった。
高校生の私は、たった10分くらいの授業中の映像を見て涙を流すなんてダサいと思われる気がして、教室の電気がつく前にうるんだ瞳を急いで乾かしたのを覚えている。

藤井さんを偲ぶ文章の最後に、藤井さんは本当に星になったと書いてあった。その彼に贈る星の名前を結びにしていた。
星になった藤井さんは、次の星を生む。
星になるということは、宇宙(そら)になるということなのかもしれない。

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

新井満「千の風になって」

死んだら星になるという言い回しに、
私はいつも寂しさを覚えていた。
夜にしか見えない一点の星にその人を閉じ込めてしまうなんてと思っていた。
でも、星になることが、宇宙(そら)になることを意味するなら、
それは、どこにでも在るということかもしれないと、
救われた気がした。

藤井さんは、望遠鏡をとても丁寧に扱ったそうだ。
旭さんが残した本が読みたくなった。

藤井旭(ふじい・あきら)さん
イラストレーター、天体写真家。
天体アマチュア向けの本を数多く残した。天文アマチュアの憧れ。
著書に「星になったチロ」「藤井旭の天文年鑑」など。

そんなことを考えながら、意識を会議に戻すと、
机の周りにすわっている天文オジサンたちが、
かつての天文少年に見えた気がした。

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