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読書感想文 傷を愛せるか

宮地尚子さん著、『傷を愛せるか』
第二章 〜 クロスする感性 〜  より
【見えるものと見えないもの】

ある音楽療法センターのビデオに映っているセラピストと、自閉症の5歳の男の子のお話。

言葉をしゃべらず、すぐにかんしゃくを起こし、男の子は泣きわめくばかり。

そのうちスタジオの中の楽器に気づき、木琴を叩き始めるものの、ただばちを振り回し、かんしゃくをぶつけているだけのように見えたと宮地さんはいいます。

セラピストがそれにピアノで対応するものの、異質の音がバラバラにぶつかっているようにしか聞こえない、と。

せいぜい、男の子が泣きやんで音をより自発的に出しはじめたことがわかるだけだったようです。


しかし、5〜6回セッションが進むと、まだまだ音楽とはいえないが、リズムが発生し、メロディらしきものがときどき聞こえ、音程が重なったり、和音が響くときもあったそうです。


そして男の子はその後、1年あまり音楽療法をつづけ、家でもすっかり行動が落ち着き、言語療法に移っていったということです。


ごく些細な徴候。
発する者と、読み取る者の感覚器官と感性。か。


自身が発するものと他者が発するもの。
自身が読み取るものと他者が読み取るもの。
逆に、それぞれに読み取ることのできないもの。
他者との交流の糸口としてのものは、きっとその者とその者の間にあるのであろうし、ないのであろう。


私にも、自身の行いや、存在意義に対する疑問を投げかけることはある。
自身で見出だす解もあるにせよ、他者との間に見出されるそれは、きっと、安心感や幸福感、勇気や意欲を与え、自分を律し、たくましく生を歩ませてくれるものとなり得るのではないか?
私には幸運にも、それを見出せた相手はいる。

願わくは、一人でも多くの人がそれを見出せる相手と出会えたらと思う。
一人でも多くの人が笑顔になれたら、と。
目を輝かせ、心の底から楽しそうに音を出した男の子とセラピストのように。

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