僕の家

先日、誰も住まなくなって数年の空き家にお邪魔した。
今、自分の住んでいる家の家主さんが貸していた家で、住人は老夫婦だったが旦那さんが先に入院し、最後は奥さんだけに。その奥さんもある日病気を患い入院し、そのまま家へ帰ってくることなく亡くなったらしい。これは僕にとって衝撃的な記憶となった。必ず記録を残しておかねばならない。そう思った。その直感に突き動かされて駄文を承知で試みてみる。今の自分にとってこの気持ちはとても重要だ。うん。

家のカレンダーは2016年で止まっていた。カレンダーは最初には意気揚々と飾るけれど、結局めくることなく昔の日付のままになっている事が多い代物のため、どう評価すべきかはわからない。ちょうどその日付が人がこの家に帰ってこなくなった境目なのかもしれない。もしカレンダーの日付が、この家に誰も帰ってこなくなった日を示しているとしたら、それは「この家が6年誰にも住まれず放置されていた証」である。論理的だ…。しかし、家全体、そしてそのカレンダーさえも、その理性を超える雰囲気が充満していた。
それは、昨日まで、もっというとまるで今、夕飯の買い物に出掛けているだけの人の家のような雰囲気である。全ての物体に素通りできない生々しい生活感がこもっている。ダイニングの机の上には様々な書類が平積みされていて、自動食器洗い機の中には、お皿と包丁が置かれている。お皿を洗うという行為が、当たり前に次回を前提としていることにハッとさせられる。シンクやゴミ箱は空になっていて、さすがに空き家になった際に生ものの類は処理をしたんだろう。

『何でも持っていっていいよ。どうせ近いうちに業者を入れて全部処分しちゃうんだから。』

と、家主さんは言う。脳みそでは分かっている。そして現に僕はちょうどこの度新居へ引っ越すために、色々なものを失敬させていただいた。しかし、これが本当に「失敬」に感じる。まるで空き巣に入って家のものを物色しているかのような心持ちだ。食器棚には律儀に皿が仕舞われており、どの引き出しを開けるたびにも自分が一体今どこで何をしているのかを忘れそうになる。そこには人がここで生活するために便利なような工夫と、少しの可愛げをまとってきれいに収納されていた。
ここに住んでいたのが老夫婦ということだから、これは要は、擬似的な「僕のおじいちゃんおばあちゃんが亡くなったあとに入る彼らの家」なんだ。老人が持っているものは神奈川でも兵庫でも似通っている。「古い」そして「(僕から見ると十分)伝統的な習慣に沿っている」という点だ。自分はずっとレコードプレーヤーが欲しいと思っていたのだが、二階の一室には立派なステレオスピーカーに接続されたレコードプレーヤーが置いてあった(頂いた)。1978年製のYP-S4R。当時の定価40000円。古い。音響関連の製品はヤマハで一式セットで購入したらしく、それらスピーカーやレコードプレーヤーを置く棚もヤマハで、配線が逃がすため背部には穴が開いている。高かったに違いない。どれくらいこれで音楽を聞いたのだろう。棚にはプラスティックの袋に仕舞われた取扱説明書や保証書が保管されていたが、どれだけ空気との接触を断つ努力をしていたとしても抗えない黄ばみがあった。

『お買い上げありがとうございます。』
『製品に問題がございましたら下記店舗へお電話ください。』
『保証期間は8年です。』
『お買上日;昭和 年』

お買上日が昭和という選択肢しかないことにクスッときたが当たり前だ。これをお買い上げした時にはまだ世界に「平成」「令和」という言葉は「存在しなかった」。過去を振り返ることは多いが、当時の自分と今の自分の違いがそこまで大きくないことを実感するたびに、「しかし、当時の自分はまだ〇〇と出会ってなかったんだ」とか、「このことが全然理解できてなかったんだ」みたいな風に考える習慣がある。知識や記憶は、一つ一つはかなり小さいが、それを知っているか、体験したかどうかということは不可逆的に人間性に作用しており、またロマンチックな考えでは、バタフライ効果的に世界の命運にさえ干渉している。古びた保証書を前にしただけでそこまでは考えた。

リビングの壁には色々な物が飾られていた。「風林火山」と書かれた木の板(頂いた)。3次元的にこちらへ飛び出した船の模型のような壁掛け(頂いた)。雉の剥製(頂いた)。自分の実家にはこのようなものはあまり飾られていないので、こういう類のインテリアは自分にとって「よその家の雰囲気」を感じるスイッチのような役割を果たす。僕は意味のないもの、骨董品、平たく言ってガラクタが好きなのでよその家へ行くといちいちこういう物が気になる。しかし何か聞けない。こういう類のものはあまり聞けるような空気がない。質問したり詳細を尋ねるのは、それが質問者にとって何かスペシャルで、自分の知識では対処できないもので、かつそれが分からないといささかばかりの不便が生じるからという理由が多いが、その質問が問題なく被質問者へ伝わるには、一定、これらの理由が共通認識としてその場に醸成されている必要がある。意図のわからない質問は答えづらいものだ。こういう類のものは、僕にはスペシャルだが、別に素通り出来ないことはないし、知らなくても特に不便はない。極めつけは、このような類のインテリアは、家主が特にこだわりなく置いていることも多い。こだわっていないものに対して誰かに、「相当こだわって置いているのでしょう?」と聞かれるとき、相手の意図と自分が吐き出せる回答と背景の浅薄さの落差に戸惑ってしまう。こういうわけで、僕は好きだけれど、話で触れるまでもない、しかしよその家に行けばどこの家にもそこそこあるようなこの類のインテリアに対し、半ばコンプレックスともいうべき感情を持っていた。今回、『全部持っていっていいよ』ということだったので、それら全て失敬した。住んでいた方にこれらをどのようにして手に入れたのか聞くことはもう出来ないけれど、自分の新居に飾ったこれらについて誰かに聞かれた時には、話せる意気、背景が十分にある。嬉しい。よその家に当たり前のように飾っているインテリアへの自分の積年のコンプレックスが内側から吸収されてなくなってしまったような気持ちがした。

最後に、二階の寝室の奥の、少し背伸びが必要な物入れに入っていたものを紹介したい。それは、ここに最後まで住んでいた奥さんの学生時代のノートと教科書である。「よく分かる日本史」「詳説世界史」「数学ⅢC」背表紙を見て、ああ、老夫婦が学生だったときもこういう教科書だったんだな、と不思議な気分になった。アラサーになって感じるのは、自分が古びていく感覚よりも、世の年寄りが案外古くないという感覚かもしれない。自分が子供の頃の老人より、今存命の老人との方が自分は歳が近い。至極当然の事実だ。自分の中に、歳を重ねてきた間に妙にアップデートされず放置されてきた感覚を発見する。老人の持っている所有物、感性が、僕のイメージの中の老人より数倍新しい。いずれこれが等価になったとき、自分に三途の川が迫っていて、老人と呼ばれるカテゴリに分類されることになるのだろう。若者と呼ばれる間、こんなことには一顧だにしないが、きっと向こう20年ほどではそういうことを考えていくことが多くなるのだろう。
この押し入れの教科書やノートを見たときに、直感的に「これは見てはいけない」そう感じた。ホラーのような理由ではない。人の日記がそのあたりに落ちていたとしても見ずにしておく、ということと同じ感覚だ。奥さんが学生だった頃は、もっと大量の教科書、ノートに囲まれていただろうから今この家にあるのはその内のごくわずかだろう。奥さんは『なぜこの押し入れに置いてある教科書とノートを選んだんだろう』これが中心的な問いで、この問いの中に、これら書類に対してその人の日記と同等の価値を認めている理由が含まれている。その科目が好きだったのか、あるいは今後の人生で折に触れて見返す可能性を感じたのか。ノートについては、自分が学生時代に頑張った証を残しておきたかったのか、それともその板書の先生が好きだった可能性だってある。数十年間あるものを捨てず保管しているような行動には、その人の人となり、想いがこもっていると思う。これをひっくり返すのは日記を見るくらいに失礼なのだ。
しかし実はそう言いつつ自分はこの内一つ、ノートを手に取った。表紙に『古文』、下に『3-C』と名前が書いてある。初めてこの家の住人の名を知る。「お世話になっています」「よろしくお願いします」「お疲れさまでした」
ノートをパラパラとめくると、鉛筆とボールペンできれいに板書が書き写されていた。枕草子、源氏物語、土佐日記。自分が学生時代通ったような古典文学ばかりだ。古文だから大学ノートを縦に使用しているというのも同じ。懐かしい。数学や英語は大学ノートを横に使う。日記やその他用途に使用するとしても基本的に大学ノートは横に使う。しかし、古文や漢文などの国語では縦で使用することが学校で推奨される。また一つ共通点を見つけた。

他にもノートと思しき物が数十冊見えた。きっとあれを全てひっくり返せば、それぞれの教科の物があって、もしかしたら本当に日記だってあるかもしれない。板書のノートをくまなく見れば、一箇所くらい落書きをしているかもしれない。ノートや教科書への落書きは学生時代の特権だ。自分もだいぶやった。きっとそれらをこの人のノートで見かけたなら興味深く見てしまうだろう。その持ち主はもうこの世にいない。今僕がそれを見たところで嫌な気持ちをする人はどこにも居ないのだ。そして自分には何か創作の上でパンチを食らわされるような体験を欲していた。これはまさに待っていた待望のパンチに思える。手にとることに何の妨げもないように思えた。
しかし自分はそこまでにした。これ以上見ないことにした。それはノートを広げたときに目や鼻を襲うホコリが嫌だったからではない。礼儀だ。相手が生きているか死んでいるかとかは関係がない。見るべきでないものは見ない。ここに明確な一線を引きたい。引くべきだ。色々なものを失敬したが、最後に古文のノート越しでお礼と挨拶が出来て良かった。これ以上は不要だ。もう誰からも呼びかけられることはないよ。さようなら。

色々なものを失敬するときにやや気になるのは死者の怨念であるとかのオカルトチックな側面であるが、考えないことにした。いや、こう考えるようにした。
「彼らのものが捨てられるのではなく、僕の新居に置かれ、また現役で役目を果たしてもらう。つまりまさに命をつなぐということだ。センチメンタルやオカルト的な恐怖心から全て捨てるよりも遥かに老夫婦の気持ちに沿っている」
これは自分の気持ちの問題だ。だから何も恐れることはない。また楽しくやっていける。

家から必要なものを全て運び出したあと、家主さんへ連絡し、鍵を締めてもらった。家の改修が始まるまでは何かあればいつでも運び出してよいと言ってもらった。書いていて思った。この家は擬似的な「僕のおじいちゃんおばあちゃんが亡くなったあとに入る彼らの家」なんかじゃない。違う。

「僕が亡くなったあとに入る僕の家」なのだ。

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