カナメくんは宇宙に行きたい

「カナメくんは宇宙に行きたい」

 カナメくんは宇宙に行きたい。どれくらい行きたいかっていうと、すごく行きたい。あれほど宇宙に行きたいと思っている人を、私はこれまで見たことがなかった。超お金持ちの芸能人や実業家が沢山お金を出して宇宙旅行を計画し、インタビューで「子供のころから宇宙に行って見たかったんです」とか「誰も経験したことのないような経験をしたいんです」とかなんとか答えているのだったら見たことあるけれど、あんなのはぜんぶ嘘。カナメくんの宇宙に行きたい気持ちに比べたら、きっとかすんでしまう。
私の覚えている小学生だったカナメくん少年は、「宇宙に行きたい」が口癖だった。口癖だった、なんていうとそういうのはたいてい「〇〇は口癖のように□□と言っていた」、みたいな風に比喩表現として置き換えられてしまうものだけど、カナメくんの場合は比喩でなく、「宇宙に行きたい」が口癖だったのだ。
 たとえば移動教室のとき。「次って、多目的室でいいんだよね」と隣の席の子に尋ねられると、「でもさ、そんなことより宇宙行きたくない?」とカナメくんは答える……というかそれは全然答えになってないんだけど、ありのまま伝えるとそういう感じだった。
「カナメくんカナメくん! 国語のテストどうだった?」
「まあまあだけど、とりあえず宇宙に行きたいかな」
「カナメくんカナメくん! 部活動は何に入るの?」
「一応宇宙には行きたいから、帰宅部だと思う」
「カナメくんカナメくん! 新しい転校生の子、かわいかった?」
「かわいかったよ、けっこう宇宙に行きたくなる感じ」
「カナメくんカナメくん! 中学校に行っても、ずっと友達だよね?」
「宇宙? 学校? そりゃあ宇宙でしょ!」
 というように、カナメくん少年とそのお友達たちの間では頻繁にこういった会話が交わされていた。噛み合ってないといえば噛み合っていないけれど、お友達たちはカナメくんが宇宙に行きたいことは十二分に知っていたから、質問と全然違った答えが返ってきても、それはカナメくんと話をするうえでは暗黙の了解というか、誰も不思議に思ったりしないのである。というよりも、みんなカナメくんにどんな言い方で宇宙に行きたいと言われるのかと、わくわくしながら話しかけていた。
私はそんなカナメくんとは小学校までしか同じじゃなかったから、中学校以降のカナメくんのどうなったのかは知らなかった。よく分からないけど、カナメくんのあの芸当は中学校ではさすがにできないんじゃないかな、と何となく思っていたけど、思っていただけで、実際どうだったのかまで誰かに聞いてみようとは思わなかった。でも、私はカナメくんがカナメくんのまま、宇宙に行きたいとずっと思い続けてくれてたらいいな、と思っていた。いや、うそ。思ってたわけではない。だって私はカナメくんのことなんて今の今まで忘れていたし、そもそもカナメくんと仲が良かったわけでもない。だけれども、テレビの画面の中に映るカナメくん青年が、はつらつとした表情で、宇宙に出発する高揚や責任感について淡々と記者の質問に答えていくのを見ている最中に、幼少の記憶が蘇ってきただけだった。苗字と名前で稲妻が落ちたみたいに、小学校のときのことを思い出した。ずっと忘れていた。カナメくんのこと。なのに不思議。まるでこれまでずっと、私はカナメくんのことを覚えていたみたいに、そんな風に、画面の中のカナメくんを見つめている。カナメくんはハキハキと、受け答えをする。
―宇宙はね、ずっと僕の夢でしたからね。
―小さい頃からね、僕ね、宇宙のことしか考えてなかったんですよ。
―そりゃあまあ、嬉しいです、嬉しいという言葉だけじゃ表現できないです。
―宇宙か、宇宙じゃないか、この世界にはその二つ以外にはないんです、まあ僕の世界の場合の話ですけど。
沢山のフラッシュ。眩い光に、見ているこっちまで目が痛くなる。そんなカナメくんを見ながら、私はなぜだか涙が止まらない。私にはカナメくんのことみたいに、忘れてしまった記憶が沢山あるのだろう。カナメくんのことを見ながら、私の忘れてしまった記憶は、もしかしたら宇宙にあるんじゃないかと。思ったり、思わなかったり。

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