不登校をうらやむ嫌な大人になってしまった

 私はいつからか、不登校をうらやむ嫌な大人になってしまった。

 現在社会人1年目、双極性Ⅱ型障害の私。
はじめて死にたいと思ったのは中学1年生の時だった。小学生の時は給食がどうしても苦手で学校に行きたくなくて憂うつで、給食さえ無ければ学校もそんなに悪くないのに、と思っていた気がする。きっとあの時が1番精神的に健康だった。昔のことだから脳が良かったように書き換えてるのかもしれないけど。

 私はあの子のことを一生恨んでいるから、何度もこの話をしてしまうのだけど
中学1年生の時、出席番号が近く、席が近かった女の子とお互い仲良くなろうと試みた。けれど、私の何が悪かったのか、ウマが合わなかったのだろう。いつしか悪口を言われ避けられるようになっていった。そこからいろいろあって何となくクラスで孤立して、移動教室とか一人でするようになって、いわゆるぼっち状態だったことがある。初めて本気で死にたいと思ったのはその時だった。

 それから10年間、ずっと死にたい気持ちが消えない。
学校に行くのはつらかった。学校という場所が嫌いだった。通ってた学校の中では、どちらかというと勉強はできる方だったけれど、人間関係が上手くいかなくて学校は嫌いだった。
双極性障害の診断がおりたのは大学生の時だったけど、高校生くらいの時に真剣に自殺を考えたこともあった。自分の部屋のカーテンレールに、スカートの腰紐で輪を作って結んで首を通した。
母は自殺のニュースを見て「死ぬくらいなら仕事とか学校とか行かなくていいのにねぇ」と言うような優しい人だった。それを聞いて私もそう思っていた。
でも、私が死にたいくらいつらくて、死ぬくらいなら休もうと思って学校を休もうとした時、母はすごく怒った。私は「死にたい」なんて言わなかったから、それを知らなかったから「ズル休み」として叱ったのだと思う。だって、産んでくれた子供に死にたいなんて言われたらどんな気持ちになるだろう、そう思ったら死にたいなんて口が裂けても言えなかった。ズル休みを叱られて、私は余計につらくなって、「もう休もうなんて思わない。休みたいって言わないで、いきなり死んでやるんだ」、そう思った。
結局死ぬ勇気は無くて今も生きているし、その後も一回くらいズル休みをしてしまったが。

そんな感じで、死にたいくらい憂うつな気持ちがあっても私は不登校にはならなかった。そして私は今、不登校をうらやむ嫌な大人になってしまった。

 子供はつらくても不登校になれていいな、そう思ってしまう。最悪だ。学校は仕事と違って休んでも生活にあまり支障は出ないし、不登校になれば、それなりの対策がとられる(教師や学校がちゃんとしていれば、だけど)。
たとえば、教師は不登校の子を気遣ってくれるし、スクールカウンセラーにも繋がりやすい。いたわってもらえる。小学校や中学校なら、休んでいたって卒業できる。子供は簡単に休めていいなって、守ってもらえる存在でいいなって、そんなことを思う最悪な大人になってしまった。

本当はそうじゃないこと分かっている。子供には子供の事情がある。自分がそうだったように、子供にとって学校という世界はすごく強大で、簡単に休めるものではない。主な世界が学校と家庭しかないんだから、その学校を休むことも、学校に行けないくらいつらいことも、世界が狭い子供にとっては重大事件なのだ。なんなら大人の方が広い世界を知っているのだから、世界が狭い子供の方がつらいまである。
そして、不登校の子には不登校の子なりの悩みがあるのだ。本当は楽しく学校に行きたい気持ちだってあるだろうし、なりたくて不登校になったわけじゃない子がほとんどだろうと思う。どうしても行けないから、仕方が無くそうなってしまったのだろう。

そう分かっているのに、子供はつらいとき「不登校」という選択ができていいな、と思ってしまう。
私だって、社会人になってたった1ヶ月で休職したんだから、不登校みたいなもんだっただろ、という感じなのだが。

でも社会人になって休職して、社会人版「不登校」を経験してみて、あんなに無理して学校に行く必要無かったな、とも思う。
学校に通っていたのは良い経験には勿論なっているとも思う。私の性格じゃ、学校に行っていなければ勉強しなかっただろうし、勉強しなかったら大学も行けなかっただろう。大学に行かなければ今よりもっと収入だって低かったかもしれない。
当時は学校に行くのが、私にとって必要だったことで、そうして良かったのだろうし、社会人になってすぐ休職したことだって同様に、その時の自分はそうするしか無かったし、そうするべきだったのだと思う。後から考えたら、たらればなんて山ほど出てくるけど、それは後になったから言えることであって、その時の自分にとってその時最善の選択をしていて、その選択は仕方が無いものなのだと思う。あらゆる決断や行動について「当時の自分にはそうするしかなかったのだ」と私は考えている。

 私は、ズル休みを叱られたあの日から、「休んで怒られるくらいなら死んでやる」と「死ぬより休んだ方が良い」の間で葛藤していたけれど、10年経ってようやく休むことができるようになったのかもしれない。それは成長なのだろうか、退化なのだろうか。結局完全主義的な所は治っていないから、「休むくらいなら死ぬ」か「休職して何ヶ月も休む」のどちらかしかできていないのだと考えると成長も退化もしていないと考えられるか。

 不登校、多いに結構だ。転ぶなら若い時の方がいい。若い時の方が柔軟で、傷だって治りやすい。学校なんて休んでいても卒業できるんだし、大人が守ってくれる子供という立場のうちに、その立場を利用して沢山休んで回復するのがいいと思う。休む権利をガンガン行使していこう。じゃないと、子供は休めて羨ましいなんてことを考える最悪な大人になっちゃうぞ。

 ああ、子供に戻りたくはないけど、大人にもなりたくないな。一生全力モラトリアムでいたいよ。


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