不適応の理由は「極端さ」にある

今回はタイトル通り、不適応の理由の一つとして極端な思考があるのではないかという話をしていこうと思います。

病んでる人は何かと直ぐに白黒つけたがる

タイトルを言い換えると、こういう事です。「病んでる」っていうのは単純に病気って意味では無くて、精神的に不安定だったり、いわゆるネットスラング的な意味での病んでる人のことを今回は指します。

病んでる人の口癖ランキング1位「死にたい」

これは私もそのうちの一人です。病んでる人ってすぐ死にたいって言うんですよね。小見出し通り、もう口癖というか思考の癖みたいになっちゃってる人もいれば、悩みに悩んで本気でそう感じている人もいることでしょう。

ここで注意ですが、しょっちゅう死にたいと呟いているからと言ってその言葉の意味が軽いわけでは無いと思います。このへんについても色々と書きたいですがそれはまた別の記事でそのうち形にしたいです。

話を戻しましょう。ちなみに2位は「やめたい」です。「学校やめたい」「仕事やめたい」とかですね。死にたいっていうのは生きるのをやめたいという意味でもあると思うので、その点共通していると思われます。

あ、このランキングは統計とか取って無くて私が勝手に言っているだけですのであしからず。

「生きるか」「死ぬか」2択で考えようとする

なぜそのような口癖になるのか、心の元気が無く視野狭窄になっていたりする場合もありますが、多くは思考が極端になっているからだと考えます。
完璧主義と言い換えることもできるかもしれません。

たとえば「死にたい」と言う人は「生きるか 死ぬか」の2択しか考えていないことが多いのでは無いでしょうか。もっと詳しく言うならば「ちゃんと生きる or 今すぐ死ぬ」って感じです。この「ちゃんと」っていう言葉の中身にはきっと、「自分の理想通りに」とか「誰かに望まれるような状態で」とか「社会的役割を果たして」とか、人それぞれ抱えているものが反映されています。

「やるか やめるか」 同様です。「ちゃんとやるか or もうやめるか」になっていること、多くありませんか。
例えば、私の場合だったら「私より絵がうまい人は沢山いるし、見てくれる人も少ないし、もう絵を描くのやめたい」とか。一般的な不適応として多いのは「ミスばかりするので仕事をやめたい」とか「学校に行けない不登校状態」とかですかね。

全ての物事にはグレーゾーンがある

さっきも言いましたが、病んでる人および不適応に苦しみやすい人は白黒はっきりつけようとする思考の癖があることが多いです。ですが、世の中のだいたいの物はそんなに極端ではなくて、全ての物事にはグレーゾーンがあります。

ですから、グレーゾーンが見えるようになれば、生きやすくなるのではないかと思います。でも極端な考え方が癖になっているとグレーゾーンって見えないんですよね。なのでいくつか例を考えてみようと思います。

「生きる」か「死ぬか」のグレーゾーン

確かに心臓が動いているか否かを見れば二極端かもしれません。でももっと心の中の言葉を分析して詳しく見ていくと先ほどのように「ちゃんと生きる」か「今すぐ死ぬか」になっていたりします。これは極端ですよね。

グレーゾーンの考え方としては、「ちゃんと生きない」「いい加減に生きてみる」「死ぬけど、今じゃ無くていつか死ぬ」「寝る」とか。
意識が無い、という点について短時間に焦点をあてて見れば「寝る」のと「死ぬ」のってそっくりだと思います。だから「死にたい」じゃなくて「ずっと寝てたい」って言う人もいますね。

「やる」か「やめるか」のグレーゾーン

これも上記とほとんど一緒です。
例えば先ほどの私のお絵かきの例で言えば「今は一旦描くのをやめて、また描きたくなったら描く」「絵柄を変えてみる」「好きな物だけ描く」「見てくれる人が少ないから、誰か一人にあてた絵を描く」「楽しめる範囲でだけ描く」とかですね。

私はまだ学生なのでお仕事のことはあまり分かっていませんが「違う部署に異動させてもらう」「休職する」「有給を使う」「ミスしてもいいので出来る範囲で仕事をする」などがあるかもしれません。仕事をなめてるとお怒りに思う方がいらっしゃったら、その方がもっと働きやすい環境になることをお祈りしています。

不登校なら「保健室登校」「行ける時間にだけ行ってみる」「教室の外から中を見せて貰う」とかがあるような気がします。私は不登校対応については勉強不足なので、あくまで例としてですが。

あとは「悪口をいっちゃいけない」とかも不適応に繋がりやすい極端な思考です。小学校とかではそう教えると思うのですが、実際は「悪口をいっちゃいけない」ではなく「言う相手やタイミングを間違って悪口をいっちゃいけない」なんですよね。例えばクラスの人の悪口を、同じクラスの人に言えば人間関係に問題が起きますが、家に帰って信頼できる家族に話すことは問題にはならないし、むしろ精神衛生上良いと言えます。

極端な思考は不適応につながる

タイトルに戻ってきました。長々と書きましたが、つまり何が言いたいかというとコレなのです。なんでもかんでも完璧にやろうとか、きっぱりやめようとか、はっきり決めなくていいんです。なんなら決断すらしなくていいんです。
もちろん決断が必要な時や、極端な選択肢をとらなければいけない時もあるかもしれませんが、「極端な2択」に思考が支配されてしまっている時は気をつけてみてください。
グレーゾーンを探してみたり、決断を先延ばしにしてみたり、自分が楽しめる範囲でだけやってみたりしたらいいと、私は思います。

最後に

繰り返しますが、極端な思考、白か黒かの二極端な考え方、それが不適応や病んだ気持ちに繋がっている場合が多いです。
完璧主義の人に鬱が多いなどの研究もありますね。面倒なので論文などは貼りませんが調べたら出てくると思いますので興味がある方はぜひ。

今回のこの話は大学で臨床心理士の先生から習ったお話と、私が実際に感じたことを元に書いてみました。ただ、授業の内容をきちんと振り返ってまとめ直したとかではなく、頭の中にぼんやりと残っていた先生の話の欠片を実体験と照らし合わせて、自分の考えを織り交ぜながら文章にまとめたものです。

極端な思考をしてしまう人は真面目な人が多いのかもしれませんね。
美味しいご飯を食べ、ゆっくり睡眠をとり、誰かに話を聞いてもらったりしながら、無理せず思いつめず、生きていきましょう。

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