最悪雑記①

 しんどい、自分のいきすぎた完璧主義、白黒思考に疲れてしまった。疲れたならやめたらいいのだけど、ずっとこの考え方で生きてきたからやめられない。他人を変えるより自分を変える方が容易だ、みたいな言葉をどこかで聞いたけど、自分を変えるのだって相当難しい。

 私の駄目なところは変にこだわりが強くて、頑固で、融通が利かないところだ。自分の駄目な所は沢山見えていて、自分がどういう人間なのかもうっすら分かっていて、自分にできないことが沢山あることも理解している。でも、それを受け入れようとも、変えようともできない。誰かにアドバイスされても受け入れずに突っぱねてしまう頑固さがある。私が真に駄目人間である所以は、駄目人間であると自負しながらも駄目人間から脱出する努力をしたくないと感じているところにある。

 世の中の大半の人間がどうして平常な顔をして生活をしているのか本当に分からない。最低なことを考えてしまう。皆どうして生きているのだろう。「死ぬのが怖いから」という理由で生きているのなら分かるけれど、「別に死にたくないし、死にたいとも思わない」と言う人がいる。とりあえず二人は周囲で確認している。というか世の中の大抵の人は死にたいと思って生活していないんだと思う、多分。私は死にたいと思って10年くらい生きてきたから分からないけど。

 でも私だって一応死にたいと思いながら生きてきたわけで。どうして死んでいないかというと、死んだ後どうなるのかとか、死ぬ瞬間の苦しさ、自殺未遂のリスクなんかのネガティブな要因と、遊ぶ約束があるとか、まだやりたいことがあるとかそういうポジティブな要因と2種類の要因で生き延びてきた。ネガティブな要因は死にづらい要因であって生きたい要因ではない。冷静に考えて、生きたい理由と死んだ方がいい理由を数えたら後者の方がどう考えても多い。友人はそんな私の考えを視野狭窄というが、イマイチわからない。友人の言うことが正しいことは分かるが、私は認知のゆがみが激しいのでそれを正しく受け入れられない。私は思考が極端すぎて、死んだ方がいい理由の判定がかなりガバになっている。

 価値の無い、何者にもなれない人間は生きる理由を何としたらいいのか。何者にもなれないという悩みは最近の若者がよく抱く一般的な悩みで、年を取った人や割り切っている人にとってはくだらない悩みだろう。でも、どうやって割り切っていいか分からない。理想が高すぎて割り切れない。だって私は今まで学校の成績を自己肯定感の拠り所にしていた。くだらないけど、地方の普遍的でレベルも別に高くない公立の学校で、そこそこ成績が良かったということだけが私の取り柄であり、自尊感情の支えだった。でも成績だって、たまたま地域の学校のレベルの学習内容を一夜漬けできる程度の能力が少しあっただけで、本当に頭が良いわけでは無い。学校の勉強だってもう全然覚えていない。定期テストの評定は、態度が真面目ちゃんだったから良かったけど模試は悪かったし大学だって推薦で入った。
何の取り柄も無い私はどうして生きているんだろう。

 何の取り柄も無ければ、頭も悪く、性格も悪いし、最悪人間だ本当に。私のことを大切に思ってくれている人が可哀想だし、そう思ってしまうこと自体が失礼で私の性格の悪さを示している。

 私の何が悪かったんだろう。
 承認欲求と理想ばかりが肥大化して、現実とのギャップの谷間に落ちて死にそうだ。

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