溜息でしゃぼんが膨らむ可能性

継続ができない。ピアノも、絵も、漫画も、歌も、片手で足りないくらいの年月を費やすほど好きだったはずなのに、いつの間にかやめてしまった。今は書道をやっているけれど、それも今年度でやめる予定だ。昨日は短歌をやめたいと初めて感じた。

継続は力なりっていうけれど、それは好きでい続ける才能じゃないの、と思う。続けられなかった言い訳として、そうであってほしいと願っているだけなのかもしれない。漫画のメインキャラはみんな一途だ。努力家だし、浮気しないし、挫折しても乗り越える。あのときは頑張ったなあって胸はれるものがないし、泣けるほど好きになったことがないし、挫折まで辿り着けない私は、何をすればいいんだろう。

最近、頑張ってることはなんですか、と問われたときに、短歌を挙げていた。本格的に始めたのはうたの日と出会ってからで、所謂「うまい歌」が詠めなくても、星とか音符とか記念日で褒めてくれるからどうにか続けていた。たまに忘れちゃったり投稿に間に合わなかったりする日もあるけれど、最初の半年くらいは毎日投稿を目標にしていた。継続は力なりを信じていたし、短歌なら継続できるって期待していた。短いし、言いたいことは沢山あって、喋り上手ではなかったからかも知れない。

やめたいと思った理由は些細なことで、ただ、自分の歌に自信がないとか、そういういつも抱えている劣等感の気まぐれだったんだろう。寧ろ今までやめたいって思ったことがなかったことに驚いたけど、好きだと思っていた短歌に対してもそう感じてしまった自分にがっかりした。続けなきゃいけないとかいう義務じゃなくて、続けられるんじゃないかっていう期待を裏切ったことに対して、がっかりした。結局何も変わらない自分。仮にやめたらって考えてみる。うたの日に出詠しなくなって、今やり取りしてるいちごつみをできる限り早く終わらせて、Twitterのアカウントを消して。随分あっさり終われるみたいだ。いなくなって気づく人がいないなら、最初からいなかったみたいに消えられる。今まで積み重ねてきたと思いこんでいたものが、突然透明になった気分だ。こんなに曖昧なものに一喜一憂していたの……。それで、新短歌教室までたどり着いて、ああ、まだやめるには早いって思い直す。なけなしのお金を払ったからとか、憧れの歌人の講義を受けられるからとか、本に掲載してもらえるからとか、受講できなかった人もいるからとか、いろいろな理由が渦まいて、でも全部後付になっちゃう気もする。

結局、費やしてきた時間とお金と、注ぎ込んできた感情と、得てきた知識と感受性が、惜しいのかも知れない。継続できないのと同じくらい、やめることを躊躇う優柔不断なだけかも知れない。実はこのノート自体は数ヶ月前(もしかしたら1年以上前かも)に初投稿をしているのだけど、そのページは過去の自分が何かを思ったらしく削除されていた。今はとりあえず、そんな、いつでも消せる小さな存在として、気楽に短歌を続けていくことにしたいと思う。詠み続ける根気も、好きでい続ける情熱も少ないけど、惰性で続けていくことにする。いつか短歌が好きだって、自分の歌が好きだって、自分は歌人だって胸をはれる日が来るかはわからないけど、せめて、昨日やめてなくてよかったって思える日が来ますように。

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