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お姉ちゃんの呪い

突然だけど、私には弟と妹がいる。
2歳下に弟。少し離れて、8歳下に妹。
大人になってから気づいたのだが、
長女歴苦節28年、1度も家族から
「お姉ちゃん」 と呼ばれたことがない。
今もない。

もちろん周囲の大人たちからは、
「さすがお姉ちゃん!」「お姉ちゃんしっかりしてるね」「お姉ちゃんなんだから優しくね」、なんて、
「姉」という物差しで見られることが、何度となくあった。

一体全体何に対しての「さすが」なのか、姉であるということはそんなに偉いのか?
子供心に何度もそう思ったことがある。
たまたま産まれるのが先だっただけで、あみだくじした訳でも、じゃんけんした訳でも、ましてや自分で立候補した訳でもないのに。

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ふと小学生くらいの多感な時期を振り返る。
私はむしろ姉という事に得意げになっていたようにも思う。
「お姉ちゃんだから、弟や妹の見本にならなきゃ」
「お姉ちゃんだから、兄妹の中で私が1番できる」
自覚していたか否かは別として、そう思ったことは正直何度もあったと思う。

先生や近所の人達は、こぞって「姉である私」を見てるから。
そう扱われる度に、私はしっかりしていなければならない、
誰かに甘えてはならない、という強迫観念を少なからず感じていた。

下の妹は、私が小学2年生のころ産まれたので、家事やオムツ替え等のお世話をよく手伝っていた。
その歳になると母性も芽生え、心から可愛いと思っていたが、同時に少々の嫉妬をしていたのも事実だ。

赤ちゃんや小さい子はその存在だけで無償で母の愛を、ハグを、受け取っていられると知ってしまったから。

私がどれだけ手伝ったりお世話しても、ハグはしてもらえない。でも、「私も!」と自分からはどうしても言えなかった。
姉である私が母に甘えるだなんて。きっと私も赤ちゃんの頃、同じように腕に抱かれて育ったはず。
そう信じていても、不安になったりするものだった。

また父は、私を叱る時ばかり「姉」を多用するのだった。
普段、私がどれだけ「お姉ちゃん」の被りものをしてるかも知らないくせに。
そう思って頭の中で何度も姉に生まれたことを呪っていた。

しかし、その父も紛いもなく一家の長男である。
もしかしたら父自身も、両親や周囲から「長男なんだから」と言い聞かせられてきたのだろうか。
そう思った時、きっと多くの大人が無意識に、こんな兄弟の呪いをお互いにかけあっている事に気がついた。

だとしたら、たまたま私が長姉だっただけで、同じように弟や妹にもそれぞれの呪いがあるのかもしれない。
私が姉として生まれてきた時点で、ただそれを肌に感じることが出来ないというだけで。

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私自身、2人目を妊娠する時に心に決めたこと。

上の娘に、お姉ちゃんという呪いをかけない。
下の息子に、弟、男の子、というレッテルを貼らない。

1人の娘と1人のわたし、
1人の息子と1人のわたし、
2人それぞれと、1人の人間として接していく。
もちろん腕は2つしかないから、いっぺんに出来ることは
1対1でそれぞれと向き合うより、少ないかもしれないけれど。

それでも私はきっと、自分が名付けた大切な名前でこれからも呼び続けるし、「お姉ちゃんなんだから」「男の子なんだから」は、絶対言わない。

わざわざ母親である私がそんな風に接したり、律しなくても、きっと勝手に「姉の自覚」が生まれていく。自分がそうだったように。

その証拠に、もうすぐ4歳の上の娘は、自分が「姉」だという自覚をした頃から、「しっかり(ませた)女の子」になり、ここ最近の大人びた言動は、(かなり生意気で)私を驚かせるばかりである。

下の息子は2歳なので、今はまだそのような自覚はないだろうが、いつか訪れるであろう
「男は泣くな」「お前の姉ちゃんデベソ(死語)」
などの呪文に立ち向かう事になるのではないかと思っているので、私の心の備えはできている。

もしそんな大人の声に疲れることがあった時は、
私には、思う存分甘えてもいいんだよ。
もちろん、それが原動力や自分を守る力になることもある。
意思の強さや性格の一部になることもある。
でももし嫌になることがあった時は、
嫌になる事がなくったって、
その呪い、私の前では解いたっていいんだよ。
何歳になったって、ハグしよう。

そういう場所を、残しておきたい。

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兄弟に平等に、分け隔てなく。
これは兄弟育児の最大にして最難関のテーマな気がする。

同じようにとか平等に、と思ったって、違う一人ずつの人間だし、私だってこう見えて人間だし、同等に扱うということは、兄弟どうしが違う人間ということと、相反しすぎてる。
そもそも、発達の仕方も歯の生え方も好きな食べ物も、お尻の色だって違うのに。
求めるものや育ち方の違う2人を、分け隔てなくって、もう相当に難しい。

さらに、1人目の育児と2人目以降の育児では、初めての育児か、そうでないかの違いも正直かなりある。
慣れないなかでも数年間は1対1で育てることができた上の娘と、上の娘と同時進行に育てざるをえない下の息子を、2人が2人とも同等に感じてもらえるように扱う。
改めて文字にしてみると、なんて、なんて、難易度の高い要求だろう、と思う。

それでも私は、一人の娘と一人の息子を、姉とか弟とか以前に、一人の人間として尊重して接していきたい。

これは唯一自分に課した、子育てをする上での目標や指針だと思っている。

もし私が弟や妹から「お姉ちゃん」と呼ばれ続けて生きていたら、こんな事には気づけなかったかもしれないので、2人には感謝している。

ーーーとはいえ、ここまで言っておいてなんだが、姉の風情がないというのも、なんだかなぁと思うこともある。
完全に舐められているし、姉の威厳?
そんなものは昔っからまるでない。姉という理由だけで押し付けられてきた雑多なことは、ごまんとある。
でもきっとその逆で、弟、妹だからと押し付けられてきた、お下がりや兄弟間の比較なども、私が知らない間にごひゃくまんくらいあるんだろう。

それでもつかず離れず絶妙な距離で、友達のような間柄でいられる弟と妹が、好きだ。

こんなこと言ったことなかったけど、大人になった今あらためて思ったので、
自分の目指す唯一の親像としても、ここに記しておく。

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