好きになること

コミュニケーションできない相手を好きになれないって話があったけど、コミュニケーションしてるうちに好きになるパターンと、なんだかわからんけど好きになってしまったからコミュニケーションしたいってパターンがあって、好きな人と思うようにコミュニケーションできないこと、あるいはコミュニケーションが実を結ばないことにどこまで耐えられるか、ってことなのかなぁ。

僕がアイドル追っかけを始めたのはまさに「なんだかわからんけど好きになってしまったからコミュニケーションしたい」って理由で、特に最初に追っかけた子については、正直今でもなんで好きになったのか自分でもよくわからない。

かわいいな、とは思ったし、元気な子だな、とも思ったけれど、かわいい子も元気な子も他にいくらでもいる。なんでその子の笑顔だけが、目を閉じてもまぶたに焼き付いて離れないのか。一種のフェティシズムなのだろうけれど、何フェチとは言えないような不定型な何かで、好きになるってそういうことだってあるんだ、としか言えない。

僕が追っかけているのは幸いアイドルの卵のような人たちなので、まがりなりにもコミュニケーションのチャンスはあった。でも、コミュニケーションしたその先について、リアルな恋愛を期待するのか、妄想でもいいと割り切るか、という両極はあって、僕も含めファンはみんなその間のどこかで揺れ動いている。

実らない恋に身を焦がすのは辛いことだけど、それでもプレゼントを選んだりとか、お手紙を書いたりとか、恋してる気分は味わえる。貰ってる側がどう思っているのかは薄々わかってるし、虚しさがないと言ったら嘘になる。でも、そこで味わう楽しみは嘘ではない。

このことを考えるといつも思い出すのは、飼っていた猫が外でスズメを捕まえてきて僕のところに持ってくるあの行為だ。子猫にあげる食べ物を持ってくる習性が元になっていると言われるけれど、猫は僕がすずめを食べないのをわかっていても何度でもそれを繰り返した。これはそういう遊びなのだ。

でも、同じ遊びは長くは続かない。だんだん一人の人間としての相手を知り、相手から自分がどう見えているかも分かってくると、細くていびつな、だけどリアルな「絆」だけが残る。細くても繋がっていたいと思う気持ちと、いびつな絆に繋ぎ止められた自分をみじめに思う気持ちが交錯する。


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