最近の米津玄師が好きという話

特定のアーティストの話をしようとするとどうしてもどこか誰かのための正しさを追求してしまいそうで近しい友人に話して終わりにしたかったが、やはり言語化して残しておきたくなりここに筆をとった。あくまでこれは個人的な世界観のなかでの感想で、そこに都合よく巻き込まれてしまった米津玄師への勝手な感謝である。

米津玄師、さん、はハチ時代「結ンデ開イテ羅刹と骸」から存じ上げている。別にコアなファンでは無い。diorama、YANKEEはデジタル版を購入したがそれ以降はサブスクにお世話になっている。ライブは行ったことがない。
特に歌詞の読み解きやら深堀りにも苦手だ。私が生息していた頃のニコニコのボカロは深読みの運動会が嫌になりコメントを切ったりそういうファンが多いPを苦手意識した。実際ハチもその部類であった。

前半はかなり容姿の話になる。ハチは米津玄師としてデビューして彼は顔出しをした。当時は大いに盛り上がったように記憶している。私世代だとBUMPの藤くんに例えるが、そんな感じの目元を隠したヘアスタイルで顔出ししたようでしてないみたいな、ミステリアスなキャラクターとして売り出した。当時はニコニコ発アーティストの先駆けとしてみんな注目した。
その時に出てくるのが彼の学生時代の同級生だ。話題欲しさに顔写真を漁りネットに拡散し容姿を弄った。特徴のあるパーツを弄りにいじった。クラスの浮いたやつがインターネットで話題になって表舞台に出てきたぞ、とインターネットがサブカル・オタク(日陰者的な意味合いを含んだ)の巣窟として認識されていた時代の象徴とその終わりが彼のデビューである。

前述の通り彼は目元を隠すヘアスタイルで表舞台に登場した。また、曲(私の聴いた範囲だと)には自身のルーツや何かしらを否定するフレーズがちょいちょい存在していた。当時気にしていなかったが、10〜20代特有の自分への否定というか、自分ではない誰か何者かへの渇望感が私に刺さったのかもしれない。そういう意味でいうと、目を隠すスタイルは所謂厨二・自分に対する抵抗感・他者への憧れ等々を詰め込んだアイコンとして機能した…かもしれない。

数年経ち、米津玄師は日本を代表するアーティストになり、私は立派な社畜になった。彼を追いかけることはしなくなったが彼の曲はちょいちょい聞いていた(そのくらい彼の音楽は日本のあちこちにある)。彼に興味がなくなったというよりは、ストリーミングやサブスクが登場したことで音楽の楽しみ方が変わったからのように思う。

2024年、「さよーなら、またいつか!」と「毎日」がリリースされた。「さよーなら、またいつか!」から話をすると、過去の曲ではMVを見ることはなかったのだがなんとなくMVを見た。まず見る気になったというところからなんとなくのフィーリングを感じたのだ。冒頭でまず彼の鏡越しの顔を見ることになった。そこで彼が目までちゃんと見えるヘアスタイルにしていることと、サビでの笑顔とピースに「大きくなったね」と親戚のような気持ちになったのだ。工夫された撮影技術にも関心があったが、それ以上に彼の表情に価値を感じて何度もMVを再生し、何度もストリーミング再生したのだ。

歌詞についても触れる。Xでこちらのポストが流れてきた。

そ、それ~~~~~~~~~~

つまり私は、彼が顔を見せてくれていることに、自身への許しのようなものを感じるのだ。他の曲がどうだか、彼がどういう魂胆でやったかは知らないが、そういった点で私はこの曲がたいそう気に入っている。

ここまではたまたま一曲私にクリーンヒットしただけの話である。私もそのつもりであった。しかしその後リリースされた「毎日」でまた驚かされることになる。

「毎日」はTikTokで知った。ダンサーすごいなと素直に思った。そこからMVを見たのだが私史上最高の米津玄師の表情集でなんかもう情緒が…きてて…
だってもともと顔半分隠して歌ってる人で、顔映っても決め顔っていうか、「この顔なら見られても死なない」みたいな自己防衛してそうな表情だった彼の、そんな表情のバラエティ知らないんですよ、この人の顔の筋肉がどう動くのか私は知らなくて。髪を分けて目を出してるだけでなくくしゃっとしたり笑顔になったり、その表情の移り変わりをみていると「この人は自分を受け入れたのだな」としみじみ思えるのです。

リリース直後は各所でインタビューされており、30代になって心境の変化があったと答えていて同世代として大変共感できる内容だった。

ここです

そうやって自分が今まで生きてきた人生を振り返って、どうあがいても、どうがんばっても自分は自分でしかないなっていうあきらめがついた。よく言えば受け入れた、悪く言えば開き直った感じがあったんです。

いやほんとこれわかりすぎる。

ここから少し自分語りをする。
10~20代の私は「自分でない何か」に大変なあこがれがあって自分自身と自分を構成する何もかもが大嫌いだった。顔のパーツ単品、それらの組み合わせ、髪の毛の色、質、クセのつき方、肌の色、背丈、足のサイズ、スリーサイズ、へその形、みみたぶの厚み、名前、性格、家族構成、親の職業、家の間取り、立地、、、とにかくなにもかもが気に入らなかった。自分以外の何かになりたかったしそのために周りを困らせたし自分もたいそう困った。今でも恥ずかしいと思うことが多々ある。その一環にコスプレもハマった。自分以外の何者かに扮し、その姿を褒め称えあう文化にどっぷり浸かった。
しかしコスプレのために食生活を見直したり筋トレ等で体系を整えたりということはしなかった。特に困ったことがなかったからではあるが、そこまでして自分を否定する気がないことに気づいたのかもしれない。

20代後半から徐々にコスプレ趣味をあがり、社畜として中堅になり自分らしさよりも「人に不快感を与えないか」を重視するようになった。前述の気に入らなかった部分も「しょうがないか」と諦めがつき、自分を形作るアイデンティティとして受け入れられるようになった。

どうあがいても私でしかないのだ。同世代のアーティストが歌ってくれて、私はまた自分の移り変わりを受け入れることができた、という話である。孔子も30にしてようやく立ったのだ。しがない自分も30で立てたのであれば十分であろう。

ありがとう米津。ありがとう孔子。
これからようやく自分を生きてくと思う。


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