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大切な思い出の行く末

せっかくクリスマスなので…と思ってツイートした、こちら。

今では焼失してしまったノートルダム大聖堂。かつて12月のパリで、夜のノートルダムへ訪れたことを思い出していた。昼とは違う聖堂内の雰囲気と、ノエルの空気感が醸し出す特別さが印象深く残っている。

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そのパリ滞在の際、蚤の市を一人でブラブラしたことがあった。その時の話を今、ここに改めて残しておきたい思う。

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通りは雑多なモノ・モノ・モノであふれ返っていて、その物言わぬモノ達の群に私は眩暈を起こしそうになっていた。そんな中を彷徨うよう練り歩いていたら、木箱に[何か]が大量に入っているのを見つけた。

それは、写真だった。

個人の所有物であった無数の白黒写真が無造作に放り込まれ、モノの森の中で誰にも見向きされずにいた。思わずその箱の前で立ち止まり、写真を一枚一枚手に取ってみる。(とても全てを見きれる程の量ではなかったので、ほんの一部だけれど。)沢山の人の生活や思い出や人生が、目の前で山のように存在していた。そしてそのどれもが主を失ったことで行き場を失い、最終的に此処へと流れ着いたのだろう。

写真を裏返すと、撮った年代や写っている人/場所が丁寧に書き込まれているものが多かった。1889、1903、1931、1947…。

あまりにも多くの人生を垣間見すぎた私はクラクラしてきてしまい、それから無性に哀しくなってしまった。「これはいったい、何なのだ?」誰かの大事な思い出が、寒空の下で埃と共に山となっているのはこの上なく切ない。

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私はそれらの写真の内の何枚かを日本に持ち帰った。(もちろん金銭と引き換えに。)遠い場所の過去に生きた彼らは、この極東の島国に来ることになるとは夢にも思わなかっただろう。私の手元にある写真はどれも戦前のものであるがゆえ、写真の中の人達の穏やかな笑顔を見ると、その後迎えることになる世界大戦が頭を過ってしまう。

ここで、さきほどのノートルダム大聖堂でのミサを見返す。

ノートルダム大聖堂は焼失した。二度目のロックダウンは終了したものの、フランスは依然として夜間外出禁止令が出ているはずだ。宗教施設と感染症との相性の悪さ(集団、閉鎖空間、合唱…)。一旦終わりを迎えた、飛行機に乗って気軽に移動できた時代。

かつてあった光景が、今となっては遠く感じる。世界規模で人類が感じている現状だろう。

「写真の中の人達の穏やかな笑顔を見ると、その後迎えることになる世界大戦が頭を過ってしまう」という先ほどの文言は、そのまま「●●を見ると、その後迎えることになる人類を脅かす感染症の世界的大流行が頭を過ってしまう」として自身にも返ってくる。

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日常の一変を改めて思う、2020年の聖夜。


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