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山城の春に思いを寄せて

過去から現在に至るまでをどう振り返っても接点が見つからないのに、なぜか不思議な縁を感じる場所というのは、大なり小なり人それぞれあるのではないだろうか。

私にはいくつかそのような場所がある。
その中でも一番そういった「度合い」が強いのは、ある山城の城跡だ。

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そこを初めて訪れた時の私は、その場所の歴史がどのようなものかも、城主が誰だったのかも、何も知らない状態だった。いつもひと気のない鬱蒼とした曰くありげな山(もとい城跡)という認識。実際に足を踏み入れた時も、その印象は変わらなかった。

土塁に沿って歩こうにもあまり整備されていないので、いくつかの倒木をくぐったり跨いだりながら歩みを進めなくてはならない。広い迷路のような敷地をぐるぐる歩き回っても、耳にするのは自分の呼吸音と鳥の声しかないほど全くひと気がない。

俗世から隔絶された世界だった。

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その日以来、私は頻繁にそこへ足を運ぶようになった。やたらとその場所が肌に合った、という表現が一番近いように思う。その場に足を踏み入れると恐ろしく静かな気持ちになり、そこから先はただ淡々と歩みを進めるだけだ。必ず敷地内全てをくまなく歩き回る。全く楽しい気持ちにもならないし、心動くようなこともない。でも不思議と「私の場所」のように感じた。思い入れのある場所は他にも色々あるが、そのどことも違う特別な感覚。

ある日、あまりにも知識がないのでそこについて検索してみたことがある。そこですぐに得られた情報は、心霊スポットとして扱われているらしいことだった。予想外の展開に面食らったが「そうか。ここが本当にもし心霊スポットなら、私はここの霊と随分気が合うようだ」と思わず笑ってしまった。強く引き寄せられる人もいれば、強く畏れる人もいる場所ということか。

だが、歴史を紐解いていくと確かにそのように言われても仕方のない場所であることもまた分かってきた。曰くありげな山(もとい城跡)という私が抱いていた印象は、あながち間違いではなかった…というよりズバリそのものだったのだ。

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それから城主についても時間を掛けて知るようになっていく。

名門一族の生まれだが、やや特殊な出自で、それが不幸を呼ぶ形で凄惨な最期に至っていた。その特殊さは母方の血統に由来しているのだが、驚くことにその氏族は私が別口で強い思い入れを抱いている場所・神社とものすごく深く関係していた。(今まで他人に言ったことはないが、実はそこで何度か不思議体験をしている。)

このように知識が増えるほど自分の中で無関係だった点と点が徐々に結ばれていくようになり、逆にちょっと身構えてしまった。私は、こういうので無邪気にはしゃげる性質ではないのだ。

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城主であった人は非業の死を遂げ、一族も滅亡した。

命日が新暦で今日なので、何となく悼むような気持ちで過ごしている。当時の春は一体どんなものだったのか。桜が咲いていることすら気付くことが出来ない状況だったであろう。辞世の句をあらためて眺めながら、いつかこの日を彼が自刃した場所で迎えてみたいと思っているところだ。

いや、でもそれはちょっと生々し過ぎるかな。美しく桜を散らせる城跡で、静かに思いを馳せる方が私らしくて良いかもしれない。

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